碧巌録 / 第十則
兩喝與三喝 作者知機變若謂騎虎頭二俱成瞎漢 誰瞎漢拈來天下與人看
新字:両喝与三喝 作者知機変若謂騎虎頭二倶成瞎漢 誰瞎漢拈来天下与人看
書き下し
両喝と三喝と、作者機変を知る。若し虎頭に騎ると謂はば、二り倶に瞎漢と成る。誰か瞎漢。拈じ来つて天下に人の与に看せしむ。
現代語訳
二喝と三喝、練達の者は機の変化を知っている。もし虎の頭にまたがったと言うなら、二人とも盲になる。誰が盲か。取り上げて天下の人に見せてやろう。
解説
雪竇重顕が第十則に付けた頌である。一句目と二句目は、僧の二喝三喝を挙げ、練達の者は機の変化を知っていると詠む。三句目と四句目は、喝を重ねることを虎の頭にまたがる勇気と見なすなら、僧も睦州もともに盲になってしまうと言う。そして誰が盲なのかと問い、この公案を天下の人に取り上げて見せると結ぶ。喝そのものに優劣はなく、それを使う者が機の変化を知っているかどうかが要である。現代の働く者には、同じ手法でも使い手によって生きもし死にもすることを思わせる。
この章句が説くこと
機変喝雪竇頌公案分別
関連する章句
-
『碧巌録』第十則所以に雪竇頌して道ふ、「作者機変を知る」。這の僧睦州に収められたりと雖も、他却つて機変を識る処有り。且く道へ、什麼の処か是れ這の僧の機変を識る処。鹿門の智禅師、這の僧を点じて云く、「法を識る者は懼る」。巌頭道ふ、「若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在す」。黄龍の心和尚道ふ、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」。這箇些子は、是れ祖師の天下の人の舌頭を坐断する処なり。爾若し機変を識らば、挙著すれば便ち落処を知らん。有る般の漢云く、「他の三喝四喝と道ふを管して什麼か作ん。只管に喝し将ち去れ。什麼の三十二十喝をか説かん、喝して弥勒仏の下生に到らん」と。之を虎頭に騎ると謂ふ。若し恁麼の知見ならば、睦州を識らざることは則ち故より是なり、這の僧を見んと要するも太だ遠きこと在り。
-
『碧巌録』第十則人の虎頭に騎るが如きは、須らく是れ手中に刀有り、兼ねて転変有つて始めて得べし。雪竇道ふ、「若し恁麼ならば、二り倶に瞎漢と成る」。雪竇は天に倚る長剣に似て、凜凜として全威あり。若し雪竇の意を会得せば、自然に千処万処一時に会せん。便ち見ん、他の雪竇の後面の頌は、只だ是れ注脚を下すのみなることを。又道ふ、「誰か瞎漢」。且く道へ、是れ賓家瞎か、是れ主家瞎か、是れ賓主一時に瞎なること莫しや。「拈じ来つて天下に人の与に看せしむ」、此れは是れ活処なり。雪竇一時に頌し了れり。什麼としてか却つて道ふ、「拈じ来つて天下に人の与に看せしむ」と。且く道へ、作麼生か看ん。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。還つて人の免れ得る有りや。
-
『碧巌録』第十則雪竇妨げず人の為にする処有ることを。若し是れ作者にあらずんば、只だ是れ胡喝乱喝せん。所以に古人道ふ、「有る時は一喝、一喝の用を作さず。有る時は一喝、却つて一喝の用を作す。有る時は一喝、踞地の獅子の如く、有る時は一喝、金剛王宝剣の如し」。興化道ふ、「我見る、爾諸人、東廊下にも也た喝し、西廊下にも也た喝す。且く胡喝乱喝すること莫れ。直饒ひ興化を喝得して、三十三天に上らしめ、却つて撲ち下し来つて、気息一点も也た無からしむるも、我が甦醒し起き来るを待つて、汝に向つて未在と道はん。何が故ぞ。興化未だ曾て紫羅帳裏に向つて真珠を撤して、爾諸人に与へざること在り。只管に胡喝乱喝して什麼をか作す」。臨済道ふ、「我聞く、汝等総て我が喝を学ぶと。我且く爾に問ふ、東堂に僧有つて出で、西堂に僧有つて出で、両箇斉しく喝を下す。那箇か是れ賓、那箇か是れ主。爾若し賓主を分ち得ずんば、已後老僧を学ぶことを得ざれ」。
-
『碧巌録』第十則挙す。睦州、僧に問ふ、「近離甚れの処ぞ」。僧便ち喝す。州云く、「老僧汝に一喝せらる」。僧又喝す。州云く、「三喝四喝の後作麼生」。僧無語。州便ち打つて云く、「這の掠虚頭の漢」。
-
『碧巌録』第十則這の僧も也た善く雕琢す。争奈せん龍頭蛇尾なることを。当時若し是れ睦州にあらずんば、也た他に惑乱せらるること一場ならん。只だ他の「近離什麼の処ぞ」と問ふが如き、僧便ち喝す。且く道へ、他の意作麼生。這の老漢も也た忙はず、緩緩地に他に向つて道ふ、「老僧汝に一喝せらる」。他の話を領して一辺に在くに似、又他を験するに似て相似たり。身を斜めにして他の如何を看る。這の僧又喝す。似ることは則ち似たるも、是なることは則ち未だ是ならず。這の老漢に鼻孔を穿却せられ来る。遂に問うて云く、「三喝四喝の後作麼生」。這の僧果然として無語。州便ち打つて云く、「這の掠虚頭の漢」。人を験する端的の処、口を下せば便ち音を知る。惜しむべし、這の僧無語にして、睦州の掠虚頭の漢と道ふことを惹き得たり。若し是れ諸人ならば、睦州に「三喝四喝の後作麼生」と道はれて、合に作麼生か祇対して、他の掠虚頭の漢と道ふことを免れ得べき。這裏若し是れ存亡を識り、休咎を別つ、脚実地を踏む漢ならば、誰か三喝四喝の後作麼生を管せん。只だ這の僧無語なるが為に、這の老漢に便ち款に拠つて案を結せらる。雪竇の頌出するを聴取せよ。
-
『碧巌録』第七十則却つて請ふ和尚道へ、虎頭角を生じて荒草を出づ。十洲春尽きて花凋残す、珊瑚樹林日杲杲たり。此の三人の答処、各各同じからず。也た壁立千仞なる有り、也た照用同時なる有り、也た自救不了なる有り。「却つて請ふ和尚道へ」、雪竇便ち此の一句の中に向かつて機を呈し了れり。更に中に就いて軽軽に拶して、人をして見易からしめて云く、「虎頭角を生じて荒草を出づ」と。溈山の答処、一に猛虎の頭上に角を安くに似たり。什麼の近傍の処か有らん。見ずや、僧、羅山に問ふ、「同生不同死の時如何」。山云く、「牛の角無きが如し」。僧云く、「同生亦同死の時如何」。山云く、「虎の角を戴くが如し」と。雪竇只だ一句に頌し了れり。他は転変の余才有りて、更に云く、「十洲春尽きて花凋残す」と。海上に三山十洲有り、百年を以て一春と為す。雪竇の語は風措を帯び、宛転盤礴たり。春尽くるの際、百千万株の花一時に凋残し、独り珊瑚樹林有りて凋落することを解せず、大陽と相奪ひて、其の光交映す。正当恁麼の時、妨げず奇特なることを。雪竇此れを用ゐて、他の「却つて請ふ和尚道へ」を明かす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る