碧巌録 / 第九則
又似問人。又似問境相似。趙州不移易一絲毫。便向他道。東門西門南門北門。爍迦羅眼絕纖埃。此頌趙州人境俱奪。向句裏呈機與他答。此謂之有機有境。纔轉便照破他心膽。若不如此難塞他問頭爍迦羅眼者。是梵語。此云堅固眼。亦云金剛眼。照見無礙。不唯千里明察秋毫。亦乃定邪決正。辨得失。別機宜識休咎。雪竇云。東西南北門相對。無限輪鎚擊不開。既是無限輪鎚。何故擊不開。自是雪竇見處如此。爾諸人又作麼生。得此門開去。請參詳看。
新字:又似問人。又似問境相似。趙州不移易一糸毫。便向他道。東門西門南門北門。爍迦羅眼絶繊埃。此頌趙州人境倶奪。向句裏呈機与他答。此謂之有機有境。纔転便照破他心胆。若不如此難塞他問頭爍迦羅眼者。是梵語。此云堅固眼。亦云金剛眼。照見無礙。不唯千里明察秋毫。亦乃定邪決正。弁得失。別機宜識休咎。雪竇云。東西南北門相対。無限輪鎚撃不開。既是無限輪鎚。何故撃不開。自是雪竇見処如此。爾諸人又作麼生。得此門開去。請参詳看。
書き下し
又人を問ふに似、又境を問ふに似て相似たり。趙州一糸毫をも移易せず、便ち他に向つて道ふ、「東門西門南門北門」。「爍迦羅眼纖埃を絶す」、此れ趙州の人境倶奪を頌す。句裏に向つて機を呈して他に与へて答ふ、此れ之を有機有境と謂ふ。纔かに転ずれば便ち他の心胆を照破す。若し此の如くならずんば、他の問頭を塞ぎ難し。爍迦羅眼とは、是れ梵語、此には堅固眼と云ひ、亦金剛眼と云ふ。照見無礙にして、唯だ千里に秋毫を明察するのみにあらず、亦乃ち邪を定め正を決し、得失を弁じ、機宜を別ち、休咎を識る。雪竇云く、「東西南北門相対す、無限の輪鎚撃てども開かず」。既に是れ無限の輪鎚、何が故ぞ撃てども開かざる。自ら是れ雪竇の見処此の如し。爾諸人又作麼生か此の門を開き去ることを得ん。請ふ参詳し看よ。
現代語訳
また人を問うているようでもあり、また場所を問うているようでもある。趙州は毛すじほども動かさず、すぐに彼に向かって「東門、西門、南門、北門」と言った。「爍迦羅眼には微塵ひとつない」とは、趙州の人境倶奪、すなわち人も境もともに奪うはたらきを頌したものである。句の中で機鋒を示して彼に答えてやった、これを有機有境という。少し転じただけで、たちまち相手の肝っ玉を照らし破る。もしこのようでなければ、彼の問いを塞ぐことは難しい。爍迦羅眼とは梵語で、ここでは堅固眼といい、また金剛眼という。照らし見て妨げがなく、千里先の細い毛先まで明らかに見るばかりでなく、邪と正を定め、得失を見分け、機の宜しさを区別し、吉凶を知るのである。雪竇は言う、「東西南北の門が向かい合い、限りない鉄鎚で打っても開かない」。限りない鉄鎚であるのに、なぜ打っても開かないのか。おのずから雪竇の見るところはこのようなのである。お前たちはまた、どのようにしてこの門を開くことができるか。どうか詳しく参究してみよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第九則句裏に機を呈して劈面に来る、爍迦羅眼纖埃を絶す。東西南北門相対す、無限の輪鎚撃てども開かず。
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『碧巌録』第九則趙州の機に臨む、一に金剛王宝剣に似たり。擬議すれば即ち爾が頭を截却し、往往更に当面に爾が眼睛を換却す。這の僧也た敢へて虎鬚を捋でて箇の問頭を致す。大いに無事に事を生ずるに似たり。争奈せん句中に機有ることを。他既に機を呈し来る、趙州も也た他の問頭に辜負せず、所以に亦機を呈して答ふ。是れ他特地に此の如くするにあらず。蓋し透底の人は自然に轍に合ふが為に、一に安排し来るに似て相似たり。見ずや、一外道有り、手に雀児を握つて、来つて世尊に問うて云く、「且く道へ、某甲が手中の雀児、是れ死か是れ活か」。世尊遂に門閫に騎つて云く、「爾道へ、我出づるか入るか」。外道無語、遂に礼拝す。此の話便ち這の公案に似たり。古人自ら是れ血脈断えず。所以に道ふ、「問は答処に在り、答は問処に在り」。雪竇此の如く見得透して、便ち道ふ、「句裏に機を呈して劈面に来る」。句裏に機有りとは、両意を帯ぶるが如し。
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『碧巌録』第九則挙す。僧、趙州に問ふ、「如何なるか是れ趙州」。州云く、「東門西門南門北門」。
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『碧巌録』第九則汾陽の十八問の中、此の問を之を験主問と謂ひ、亦之を探抜問と謂ふ。這の僧箇の問頭を致す、也た妨げず奇特なることを。若し是れ趙州にあらずんば、也た他に抵対し難し。這の僧問ふ、「如何なるか是れ趙州」。趙州は是れ本分の作家、便ち向つて道ふ、「東門西門南門北門」。僧云く、「某甲這箇の趙州を問はず」。州云く、「爾那箇の趙州をか問ふ」。後人喚んで無事禅と作し、人を賺すこと少なからず。何が故ぞ。他趙州を問ひ、州答へて「東門西門南門北門」と云ふ、所以に只だ他に趙州を答ふと。爾若し恁麼に会せば、三家村裏の漢も、更に是れ仏法を会し去らん。只だ這れ便ち是れ仏法を破滅するなり。魚目を将て明珠に比況するが如く、似ることは則ち似たるも、是なることは則ち是ならず。山僧道ふ、「河南に在らず、正に河北に在り」。且く道へ、是れ有事か是れ無事か。也た須らく是れ子細にして始めて得べし。
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『碧巌録』第九則這の僧恁麼に問ひ、趙州恁麼に答ふ。且く道へ、作麼生か摸索せん。恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず。畢竟如何。這些子是れ難処なり。所以に雪竇拈出し来つて、当面に人に示す。趙州一日坐する次で、侍者報じて云く、「大王来れり」。趙州矍然として云く、「大王万福」。侍者云く、「未だ和尚に到らず」。州云く、「又来れりと道ふ」。参じて這裏に到り、見て這裏に到る、妨げず奇特なることを。南禅師拈じて云く、「侍者只だ客を報ずることを知つて、身の帝郷に在ることを知らず。趙州草に入つて人を求め、覚えず渾身泥水」。這些子の実処、諸人還つて知るや。雪竇の頌を看取せよ。
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『碧巌録』第九則垂示に云く、明鏡台に当たれば、妍醜自ら弁ず。鏌鎁手に在れば、殺活時に臨む。漢去り胡来り、胡来り漢去る。死中に活を得、活中に死を得。且く道へ、這裏に到つて又作麼生。若し透関底の眼、転身の処無くんば、這裏に到つて灼然として奈何ともせず。且く道へ、如何なるか是れ透関底の眼、転身の処。試みに挙し看ん。
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