碧巌録 / 第九則
這僧恁麼問。趙州恁麼答。且道作麼生摸索。恁麼也不得。不恁麼也不得。畢竟如何。這些子是難處。所以雪竇拈出來。當面示人。趙州一日坐次。侍者報云。大王來也。趙州矍然云。大王萬福。侍者云。未到和尚。州云。又道來也。參到這裏。見到這裏。不妨奇特。南禪師拈云。侍者只知報客。不知身在帝鄉。趙州入草求人。不覺渾身泥水。這些子實處。諸人還知麼。看取雪竇頌。
新字:這僧恁麼問。趙州恁麼答。且道作麼生摸索。恁麼也不得。不恁麼也不得。畢竟如何。這些子是難処。所以雪竇拈出来。当面示人。趙州一日坐次。侍者報云。大王来也。趙州矍然云。大王万福。侍者云。未到和尚。州云。又道来也。参到這裏。見到這裏。不妨奇特。南禅師拈云。侍者只知報客。不知身在帝郷。趙州入草求人。不覚渾身泥水。這些子実処。諸人還知麼。看取雪竇頌。
書き下し
這の僧恁麼に問ひ、趙州恁麼に答ふ。且く道へ、作麼生か摸索せん。恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず。畢竟如何。這些子是れ難処なり。所以に雪竇拈出し来つて、当面に人に示す。趙州一日坐する次で、侍者報じて云く、「大王来れり」。趙州矍然として云く、「大王万福」。侍者云く、「未だ和尚に到らず」。州云く、「又来れりと道ふ」。参じて這裏に到り、見て這裏に到る、妨げず奇特なることを。南禅師拈じて云く、「侍者只だ客を報ずることを知つて、身の帝郷に在ることを知らず。趙州草に入つて人を求め、覚えず渾身泥水」。這些子の実処、諸人還つて知るや。雪竇の頌を看取せよ。
現代語訳
この僧がこのように問い、趙州がこのように答えた。さあ言ってみよ、どう手探りするか。こうであってもだめ、こうでなくてもだめ。結局どうなのか。このわずかなところが難所である。だから雪竇が取り上げて、目の前で人に示したのである。趙州がある日坐っていると、侍者が「大王がおいでになりました」と知らせた。趙州ははっと驚いて「大王、ご機嫌うるわしゅう」と言った。侍者が「まだ和尚のところまでお着きではありません」と言うと、趙州は「また、来たと言うのか」と言った。参じてここに至り、見てここに至るのは、なかなか見事である。南禅師はこれを取り上げて言った、「侍者はただ客を知らせることだけを知って、自分が帝都にいることを知らない。趙州は草むらに入って人を求め、知らぬ間に全身泥まみれになっている」と。このわずかな真実のところを、皆さんはわかるか。雪竇の頌を見よ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二則這の僧出で来る、也た妨げず奇特なることを。趙州の空処を捉へて、便ち去いて他を拶す、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。趙州更に棒を行ぜず喝を行ぜず、只だ道ふ、「我も亦た知らず」。若し是れ這の老漢にあらずんば、他に拶著せられて、往往に前を忘れ後を失せん。頼に是れ這の老漢、転身自在の処有り、所以に此の如く他に答ふ。如今の禅和子、問著すれば也た道ふ、「我も亦た知らず、不会」と。争奈せん途を同じうして轍を同じうせざることを。這の僧奇特の処有り、方に始めて問ふことを会す、「和尚既に知らずんば、什麼と為てか却つて明白裏に在らずと道ふ」。更に好き一拶なり。若し是れ別人ならば、往往に分疏不下ならん。趙州は是れ作家、只だ他に向つて道ふ、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。這の僧依旧として這の老漢を奈何ともすること無く、只だ気を飲み声を呑むことを得たり。此れは是れ大手の宗師、爾と玄を論じ妙を論じ、機を論じ境を論ぜず、一向に本分の事を以て人を接す。所以に道ふ、「相罵らば爾が嘴を接ぐに饒し、相唾せば爾が水を潑ぐに饒す」。殊に知らず、這の老漢、平生棒喝を以て人を接せず、只だ平常の言語を以てすることを。只だ是れ天下の人奈何ともせず。蓋し他の平生許多の計較無きが為に、所以に横拈倒用、逆行順行、大自在を得たり。如今の人理会し得ず、只管に道ふ、「趙州答話せず、人の為に説かず」と。殊に知らず、当面に蹉過することを。
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『碧巌録』第九則趙州の機に臨む、一に金剛王宝剣に似たり。擬議すれば即ち爾が頭を截却し、往往更に当面に爾が眼睛を換却す。這の僧也た敢へて虎鬚を捋でて箇の問頭を致す。大いに無事に事を生ずるに似たり。争奈せん句中に機有ることを。他既に機を呈し来る、趙州も也た他の問頭に辜負せず、所以に亦機を呈して答ふ。是れ他特地に此の如くするにあらず。蓋し透底の人は自然に轍に合ふが為に、一に安排し来るに似て相似たり。見ずや、一外道有り、手に雀児を握つて、来つて世尊に問うて云く、「且く道へ、某甲が手中の雀児、是れ死か是れ活か」。世尊遂に門閫に騎つて云く、「爾道へ、我出づるか入るか」。外道無語、遂に礼拝す。此の話便ち這の公案に似たり。古人自ら是れ血脈断えず。所以に道ふ、「問は答処に在り、答は問処に在り」。雪竇此の如く見得透して、便ち道ふ、「句裏に機を呈して劈面に来る」。句裏に機有りとは、両意を帯ぶるが如し。
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『碧巌録』第四十五則一日、僧、趙州に問ふ、「如何なるか是れ祖師西来の意」。州云く、「庭前の柏樹子」。僧云く、「和尚、境を将つて人に示すこと莫かれ」。州云く、「老僧曾て境を将つて人に示さず」。看よ他の恁麼に極則の転じ得ざる処に向かつて転じ得て、自然に蓋天蓋地なることを。若し転じ得ずんば、触途成滞す。且く道へ、他に仏法の商量有りや也た無しや。若し他に仏法有りと道はば、他又何ぞ曾て心を説き性を説き、玄を説き妙を説かん。若し他に仏法の旨趣無しと道はば、他又曾て汝が問頭に辜負せず。豈に見ずや、僧、木平和尚に問ふ、「如何なるか是れ仏法の大意」。平云く、「這箇の冬瓜、如許大なり」。又僧、古徳に問ふ、「深山懸崖、逈絶して人無き処、還つて仏法有りや也た無しや」。古徳云く、「有り」。僧云く、「如何なるか是れ深山裏の仏法」。古徳云く、「石頭の大なる底は大、小なる底は小」。看よ這般の公案、誵訛什麼の処にか在る。雪竇他の落処を知つて、故に義路を打開して汝が与に頌出す。
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『碧巌録』第二則挙す。趙州衆に示して云く、「至道無難、唯だ揀択を嫌ふ。纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず。是れ汝還た護惜すや也た無や」。時に僧有りて問ふ、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、什麼と為てか却つて明白裏に在らずと道ふ」。州云く、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。
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『碧巌録』第九則句裏に機を呈して劈面に来る、爍迦羅眼纖埃を絶す。東西南北門相対す、無限の輪鎚撃てども開かず。
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『碧巌録』第五十九則趙州道ふ、「只だ這の至道無難唯嫌揀択」と。撃石火の如く、閃電光に似たり。擒縦殺活、恁麼に自在なることを得たり。諸方皆謂ふ、趙州に逸群の弁有りと。趙州尋常衆に示すに、此の一篇有りて云く、「至道無難、唯嫌揀択。纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず。是れ汝等還た護惜すや也た無しや」。時に僧有り問うて云く、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、什麼としてか明白裏に在らずと道ふ」。州云く、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。後来這の僧只だ他の釁罅の処を拈じ去つて他に問ふ。問ひ得ることも也た妨げず奇特なることを。争奈せん只だ是れ心行なることを。若し是れ別人ならば他を奈何ともし得ざらん。争奈せん趙州是れ作家なることを。便ち道ふ、「何ぞ這の語を引き尽くさざる」。這の僧も也た身を転じ気を吐くことを会し、便ち道ふ、「某甲只だ念じて這裏に到る」。一に安排せるに相似たり。趙州声に随つて拈起して便ち答へ、計較を須ひず。古人之を相続も也た大いに難しと謂ふ。竜蛇を弁じ休咎を別つは、他の本分の作家に還す。趙州這の僧の眼睛を換却し、鋒鋩を犯さず、計較を著けず、自然に恰好なり。爾喚んで有句と作すも也た得ず、喚んで無句と作すも也た得ず、喚んで不有不無句と作すも也た得ず。四句を離れ百非を絶す。何が故ぞ。若し此の事を論ぜば、撃石火の如く、閃電光に似たり。急に眼を著けて看て方に見ん。若し或いは擬議躊躇せば、喪身失命を免れず。雪竇頌して云く。
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