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碧巌録 / 第九則

趙州臨機。一似金剛王寶劍。擬議即截却爾頭。往往更當面換却爾眼睛。這僧也敢捋虎鬚致箇問頭。大似無事生事。爭奈句中有機。他既呈機來。趙州也不辜負他問頭。所以亦呈機答。不是他特地如此。蓋為透底人自然合轍。一似安排來相似。不見有一外道。手握雀兒。來問世尊云。且道某甲手中雀兒。是死耶是活耶。世尊遂騎門閫云。爾道我出耶入耶外道無語。遂禮拜。此話便似這公案。古人自是血脈不斷。所以道。問在答處。答在問處。雪竇如此見得透。便道句裏呈機劈面來。句裏有機。如帶兩意。

新字:趙州臨機。一似金剛王宝剣。擬議即截却爾頭。往往更当面換却爾眼睛。這僧也敢捋虎鬚致箇問頭。大似無事生事。争奈句中有機。他既呈機来。趙州也不辜負他問頭。所以亦呈機答。不是他特地如此。蓋為透底人自然合轍。一似安排来相似。不見有一外道。手握雀児。来問世尊云。且道某甲手中雀児。是死耶是活耶。世尊遂騎門閫云。爾道我出耶入耶外道無語。遂礼拝。此話便似這公案。古人自是血脈不断。所以道。問在答処。答在問処。雪竇如此見得透。便道句裏呈機劈面来。句裏有機。如帯両意。

書き下し

趙州の機に臨む、一に金剛王宝剣に似たり。擬議すれば即ち爾が頭を截却し、往往更に当面に爾が眼睛を換却す。這の僧也た敢へて虎鬚を捋でて箇の問頭を致す。大いに無事に事を生ずるに似たり。争奈せん句中に機有ることを。他既に機を呈し来る、趙州も也た他の問頭に辜負せず、所以に亦機を呈して答ふ。是れ他特地に此の如くするにあらず。蓋し透底の人は自然に轍に合ふが為に、一に安排し来るに似て相似たり。見ずや、一外道有り、手に雀児を握つて、来つて世尊に問うて云く、「且く道へ、某甲が手中の雀児、是れ死か是れ活か」。世尊遂に門閫に騎つて云く、「爾道へ、我出づるか入るか」。外道無語、遂に礼拝す。此の話便ち這の公案に似たり。古人自ら是れ血脈断えず。所以に道ふ、「問は答処に在り、答は問処に在り」。雪竇此の如く見得透して、便ち道ふ、「句裏に機を呈して劈面に来る」。句裏に機有りとは、両意を帯ぶるが如し。

現代語訳

趙州が機に臨むさまは、まるで金剛王の宝剣のようである。ためらって思案すれば、たちまちお前の首を斬り落とし、しばしばさらに目の前でお前の眼玉をすげ替えてしまう。この僧もあえて虎のひげをなでて問いを持ち出した。まるで何事もないところに事を起こしたようだ。だが句の中に機鋒があるのをどうしようもない。僧がすでに機鋒を示してきたので、趙州も彼の問いを無にせず、それゆえやはり機鋒を示して答えたのである。趙州がことさらそうしたのではない。思うに、透り抜けた人は自然に轍に合うので、まるで前もって段取りしたかのようになるのだ。見なかったか、ある外道が手に雀を握って世尊のもとに来て、「さあ言ってみよ、私の手の中の雀は死んでいるか生きているか」と問うた。世尊はそこで敷居にまたがって、「お前こそ言え、私は出るのか入るのか」と言った。外道は言葉がなく、そこで礼拝した。この話はちょうどこの公案に似ている。古人はおのずから血脈が途切れていない。だから「問いは答えのところにあり、答えは問いのところにある」と言うのだ。雪竇はこのように見て透っていたので、「句の中に機鋒を示して真正面から迫ってくる」と言った。句の中に機鋒があるとは、二つの意味を帯びているようなものである。

解説

圜悟による頌の評唱の前半である。圜悟は趙州の臨機を金剛王宝剣にたとえ、ためらえば首を斬られると言う。僧は虎のひげをなでるように問いを持ち出したが、句の中に機鋒があったので、趙州もまた機鋒で答えた。それはことさらの工夫ではなく、透った人が自然に轍に合うからだという。さらに、手中の雀の生死を問う外道に、世尊が敷居にまたがって出るか入るかと問い返した話を引き、問いは答えに、答えは問いにあると説く。現代の働く者には、問いの形そのものを返して相手に気づかせる応答の妙を示している。

この章句が説くこと

機鋒問答臨機公案自由世尊

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