碧巌録 / 第七則
如今有者。只管瞠眼作解會。所謂彼既無瘡。勿傷之也。這般公案。久參者。一舉便知落處。法眼下謂之箭鋒相拄。更不用五位君臣。四料簡。直論箭鋒相拄。是他家風如此。一句下便見。當陽便透。若向句下尋思。卒摸索不著。法眼出世。有五百眾。是時佛法大興。時韶國師久依疎山。自謂得旨。乃集疎山平生文字頂相。領眾行脚。至法眼會下。他亦不去入室。只令參徒隨眾入室。一日法眼陞座。有僧問。如何是曹源一滴水。法眼云。是曹源一滴水。其僧惘然而退。韶在眾聞之忽然大悟。後出世。承嗣法眼。有頌呈云。通玄峯頂。不是人間。心外無法。滿目青山。法眼印云。只這一頌。可繼吾宗。子後有王侯敬重。吾不如汝。看他古人。恁麼悟去。是什麼道理。不可只教山僧說。須是自己二六時中。打辦精神。似恁麼與他承當。他日向十字街頭。垂手為人。也不為難事。所以僧問法眼。如何是佛法。眼云。汝是慧超。有甚相辜負處。不見雲門道。舉不顧。即差互。擬思量何劫悟。雪竇後面頌得。不妨顯赫。試舉看。
新字:如今有者。只管瞠眼作解会。所謂彼既無瘡。勿傷之也。這般公案。久参者。一舉便知落処。法眼下謂之箭鋒相拄。更不用五位君臣。四料簡。直論箭鋒相拄。是他家風如此。一句下便見。当陽便透。若向句下尋思。卒摸索不著。法眼出世。有五百衆。是時仏法大興。時韶国師久依疎山。自謂得旨。乃集疎山平生文字頂相。領衆行脚。至法眼会下。他亦不去入室。只令参徒随衆入室。一日法眼陞座。有僧問。如何是曹源一滴水。法眼云。是曹源一滴水。其僧惘然而退。韶在衆聞之忽然大悟。後出世。承嗣法眼。有頌呈云。通玄峯頂。不是人間。心外無法。満目青山。法眼印云。只這一頌。可継吾宗。子後有王侯敬重。吾不如汝。看他古人。恁麼悟去。是什麼道理。不可只教山僧説。須是自己二六時中。打辦精神。似恁麼与他承当。他日向十字街頭。垂手為人。也不為難事。所以僧問法眼。如何是仏法。眼云。汝是慧超。有甚相辜負処。不見雲門道。舉不顧。即差互。擬思量何劫悟。雪竇後面頌得。不妨顕赫。試舉看。
書き下し
如今有る者は、只管に眼を瞠つて解会を作す。所謂彼既に瘡無し、之を傷ること勿れ。這般の公案、久参の者は、一挙すれば便ち落処を知る。法眼下には之を箭鋒相拄ふと謂ふ。更に五位君臣・四料簡を用ひず、直に箭鋒相拄ふを論ず。是れ他の家風此の如し。一句の下に便ち見、当陽に便ち透る。若し句下に向つて尋思せば、卒に摸索不著。法眼出世して、五百衆有り。是の時仏法大いに興る。時に韶国師久しく疎山に依つて、自ら旨を得たりと謂ふ。乃ち疎山平生の文字頂相を集めて、衆を領して行脚し、法眼の会下に至る。他も亦た入室し去らず、只だ参徒をして衆に随つて入室せしむ。一日法眼陞座す。僧有りて問ふ、「如何なるか是れ曹源の一滴水」。法眼云く、「是れ曹源の一滴水」。其の僧惘然として退く。韶衆に在つて之を聞いて忽然として大悟す。後に出世して法眼に承嗣す。頌有りて呈して云く、「通玄峰頂、是れ人間にあらず。心外に法無し、満目青山」。法眼印して云く、「只だ這の一頌、吾が宗を継ぐべし。子後に王侯の敬重有らん、吾は汝に如かず」。看よ他の古人恁麼に悟り去る、是れ什麼の道理ぞ。只だ山僧をして説かしむべからず。須らく是れ自己二六時中、精神を打辦して、恁麼に似て他と承当すべし。他日十字街頭に向つて、手を垂れて人の為にすることも、也た難事と為さず。所以に僧法眼に問ふ、「如何なるか是れ仏」。眼云く、「汝は是れ慧超」。甚の相辜負する処か有らん。見ずや、雲門道ふ、「挙して顧みざれば、即ち差互す。擬して思量せば、何れの劫にか悟らん」。雪竇後面に頌し得て、妨げず顕赫なることを。試みに挙し看ん。
現代語訳
今のある者は、ひたすら目をむいて理解をこしらえる。いわゆる「相手にもともと傷がないのだから、傷つけてはならない」である。このような公案は、久しく参じた者なら、一たび取り上げればすぐに落ち着きどころを知る。法眼の門下では、これを「矢の切っ先と切っ先が空中で突き合う」という。五位君臣や四料簡などを用いず、ただ矢の切っ先が突き合うことを論じる。これが彼の家風である。一句のもとにすぐ見て取り、真正面からすぐに透る。もし句の下で考えめぐらせば、結局手探りでもつかめない。法眼が世に出ると、五百人の修行者が集まった。この時、仏法は大いに興った。その頃、天台徳韶国師は久しく疎山に依って、自ら宗旨を得たと思っていた。そこで疎山の平生の語録や肖像を集め、大衆を率いて行脚し、法眼の会下に来た。彼は自分では入室せず、ただ弟子たちを大衆に従って入室させていた。ある日法眼が法座に上った。ある僧が問うた。「曹渓の源の一滴の水とは何か」。法眼は言った。「これが曹渓の源の一滴の水だ」。その僧はぽかんとして退いた。徳韶は大衆の中でこれを聞いて、たちまち大悟した。後に世に出て法眼の法を嗣いだ。頌を作って差し出した。「通玄峰の頂は、人間界ではない。心の外に法はなく、目に満ちるのは青い山」。法眼は印可して言った。「この一頌だけで、わが宗を継ぐに足る。そなたは後に王侯から敬われるだろう。わたしはそなたに及ばない」。古人がこのように悟ったのを見よ、これはどういう道理か。ただこの山僧に説かせるだけではいけない。自分自身で一日中精神を整えて、このように引き受けねばならない。そうすれば、いつか町の四つ辻で手を垂れて人のためにすることも、難しい事ではない。だから僧が法眼に「仏とは何か」と問うと、法眼は「お前は慧超だ」と言ったのである。何の背くところがあろうか。見たことがないか、雲門は「取り上げられて顧みなければ、すれ違ってしまう。ためらって思量すれば、いつの世に悟れようか」と言った。雪竇は後で頌したが、実に輝かしい。試みに取り上げてみよう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『碧巌録』第七則法眼禅師、啐啄同時底の機有り、啐啄同時底の用を具して、方に能く此の如く答話す。所謂声を超え色を越えて、大自在を得、縦奪時に臨み、殺活我に在り。妨げず奇特なることを。然而も此箇の公案、諸方の商量する者多く、情解の会を作す者少なからず。知らず、古人凡そ一言半句を垂示するに、石火を撃つが如く閃電光に似て、直下に一条の正路を撥開することを。後人只管に言句上に去いて、解会を作して道ふ、「慧超便ち是れ仏、所以に法眼恁麼に答ふ」と。有る者は道ふ、「大いに牛に騎つて牛を覓むるに似たり」と。有る者は道ふ、「問処便ち是れ」と。什麼の交渉か有らん。若し恁麼に会し去らば、惟だ自己に辜負するのみにあらず、亦乃ち深く古人を屈す。若し他の全機を見んと要せば、除非是れ一棒に打てども頭を回らさざる底の漢、牙は剣樹の如く、口は血盆に似て、言外に向つて帰することを知つて、方に少分の相応有らん。若し一一情解を作さば、尽大地是れ胡の種族を滅する底の漢なり。
-
『碧巌録』第七則垂示に云く、声前の一句、千聖も伝へず。未だ曾て親しく覲えずんば、大千を隔つるが如し。設使ひ声前に向つて弁得して、天下の人の舌頭を截断するも、亦た未だ是れ性懆の漢にあらず。所以に道ふ、天も蓋ふこと能はず、地も載すること能はず、虚空も容るること能はず、日月も照らすこと能はず。仏無き処に独り尊と称して、始めて些子に較れり。其れ或いは未だ然らずんば、一毫頭上に於て透得して、大光明を放ち、七縦八横、法に於て自在自由、手に信せて拈じ来るに是ならざる有ること無し。且く道へ、箇の什麼をか得て、此の如く奇特なる。復た云く、大衆会すや。従前の汗馬人の識る無し、只だ重ねて蓋代の功を論ぜんことを要す。即今の事は且く致く、雪竇の公案又作麼生。下文を看取せよ。
-
『碧巌録』第七十則溈山・五峰・雲巌、同じく百丈に侍立す。百丈、溈山に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。山云く、「却つて請ふ和尚道へ」。丈云く、「我汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」。百丈此の如くなりと雖然も、鍋子已に別人に奪ひ去られ了れり。丈復た五峰に問ふ。峰云く、「和尚も也た須らく併却すべし」。丈云く、「無人の処に額を斫りて汝を望まん」。又雲巌に問ふ。巌云く、「和尚有りや未だしや」。丈云く、「我が児孫を喪はん」。三人各おの是れ一家なり。古人道ふ、「平地上に死人無数、荊棘林を過ぎ得る者是れ好手」と。所以に宗師家は荊棘林を以て人を験す。何が故ぞ。若し常情の句下に於いてせば、人を験し得ず。衲僧家は須らく是れ句裏に機を呈し、言中に的を辨ずべし。若し是れ担板漢ならば、多く句中に向かつて死却して、便ち道ふ、「咽喉唇吻を併却すれば、更に下口の処無し」と。若し是れ変通底の人ならば、逆水の波有り、只だ問頭上に向かつて一条の路有りて、鋒を傷つけず手を犯さず。溈山云く、「却つて請ふ和尚道へ」と。且く道へ他の意作麼生。箇裏に向かつて石火を撃つが如く閃電光に似たるが如く相似て、他の問処を拶して便ち答ふ。自ら出身の路有りて、纖毫の気力をも費やさず。所以に道ふ、「他は活句に参じて死句に参ぜず」と。百丈却つて他を采らず、只だ云く、「汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」と。大凡そ宗師の為人は、釘を抽き楔を抜く。若し是れ如今の人ならば便ち道はん、「此の答は他を肯はず、他は話を領せず」と。殊に知らず、箇裏一路の生機の処、壁立千仞、賓主互換して、活鱍鱍地なることを。雪竇は他の此の語の風措、宛転自在にして、又能く封疆を把定することを愛す。所以に頌して云く、
-
『碧巌録』第七則挙す。僧法眼に問ふ、「慧超和尚に咨ふ、如何なるか是れ仏」。法眼云く、「汝は是れ慧超」。
-
『碧巌録』第三十五則千峰盤屈して色藍の如し、誰か謂ふ文殊是れ対談すと。有る者は道ふ、雪竇は只だ是れ重ねて拈ずること一遍、曾て頌著せずと。只如ば僧法眼に問ふ、如何なるか是れ曹源の一滴水。眼云く、是れ曹源の一滴水と。又僧瑯琊の覚和尚に問ふ、清浄本然、云何ぞ忽ちに山河大地を生ずる。覚云く、清浄本然、云何ぞ忽ちに山河大地を生ずると。喚んで重ねて拈ずること一遍と作すべからず。明招独眼龍も亦た其の意を頌す。蓋天蓋地の機有りて道ふ、廓周沙界勝伽藍、満目の文殊是れ対談す。言下に知らず仏眼を開くことを、頭を回らせば只だ見る翠山の巌と。廓周沙界勝伽藍とは、此れ草窟の化寺を指す。所謂権実双行の機有り。満目の文殊是れ対談す、言下に知らず仏眼を開くことを、頭を回らせば只だ見る翠山の巌。正当恁麼の時、喚んで文殊・普賢・観音の境界と作して得んや。要且つ是れ這箇の道理にあらず。
-
『碧巌録』第七則雪竇は是れ作家、古人の咬み難く嚼み難く、透り難く見難き節角誵訛の処に於て、頌出して人をして見せしむ。妨げず奇特なることを。雪竇法眼の関棙子を識得し、又慧超の落処を知り、更に後人の法眼の言句下に向つて、錯つて解会を作さんことを恐る。所以に頌出す。這の僧此の如く問ひ、法眼是の如く答ふ、便ち是れ「江国の春風吹き起たず、鷓鴣啼いて深花の裏に在り」。此の両句只だ是れ一句。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。江西江南、多く両般の解会を作して道ふ、「江国の春風吹き起たずは、用て汝は是れ慧超を頌す、只だ這箇の消息は、直饒ひ江国の春風も也た吹き起たず。鷓鴣啼いて深花の裏に在りは、用て諸方の這の話を商量すること浩浩地にして、鷓鴣の深花の裏に在つて啼くに似て相似たるを頌す」と。什麼の交渉か有らん。殊に知らず、雪竇の這の両句、只だ是れ一句なることを。無縫無罅ならんことを要得す。明明に汝に向つて道ふ、言も也た端、語も也た端、蓋天蓋地。他問ふ、如何なるか是れ仏。法眼云く、汝は是れ慧超。雪竇道ふ、江国の春風吹き起たず、鷓鴣啼いて深花の裏に在り。這裏に向つて薦得し去らば、以て丹霄に独歩すべし。爾若し情解を作さば、三生六十劫。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る