碧巌録 / 第七則
只如超禪客於此悟去。也是他尋常管帶參究。所以一言之下。如桶底脫相似。只如則監院在法眼會中。也不曾參請入室。一日法眼問云。則監院何不來入室。則云。和尚豈不知。某甲於青林處。有箇入頭。法眼云。汝試為我舉看。則云。某甲問如何是佛。林云。丙丁童子來求火。法眼云。好語。恐爾錯會。可更說看則云。丙丁屬火。以火求火。如某甲是佛。更去覓佛。法眼云。監院果然錯會了也。則不憤便起單渡江去。法眼云。此人若回可救。若不回救不得也。則到中路自忖云。他是五百人善知識。豈可賺我耶。遂回再參法眼云。爾但問我。我為爾答。則便問。如何是佛。法眼云。丙丁童子來求火。則於言下大悟。
新字:只如超禅客於此悟去。也是他尋常管帯参究。所以一言之下。如桶底脱相似。只如則監院在法眼会中。也不曽参請入室。一日法眼問云。則監院何不来入室。則云。和尚豈不知。某甲於青林処。有箇入頭。法眼云。汝試為我舉看。則云。某甲問如何是仏。林云。丙丁童子来求火。法眼云。好語。恐爾錯会。可更説看則云。丙丁属火。以火求火。如某甲是仏。更去覓仏。法眼云。監院果然錯会了也。則不憤便起単渡江去。法眼云。此人若回可救。若不回救不得也。則到中路自忖云。他是五百人善知識。豈可賺我耶。遂回再参法眼云。爾但問我。我為爾答。則便問。如何是仏。法眼云。丙丁童子来求火。則於言下大悟。
書き下し
只如へば超禅客此に於て悟り去る、也た是れ他尋常管帯して参究す、所以に一言の下に、桶底の脱するが如くに相似たり。只如へば則監院法眼の会中に在つて、也た曾て参請入室せず。一日法眼問うて云く、「則監院何ぞ入室し来らざる」。則云く、「和尚豈に知らずや、某甲青林の処に於て、箇の入頭有り」。法眼云く、「汝試みに我が為に挙し看よ」。則云く、「某甲問ふ、如何なるか是れ仏。林云く、丙丁童子来つて火を求む」。法眼云く、「好語。恐らくは爾錯つて会せん。更に説き看るべし」。則云く、「丙丁は火に属す。火を以て火を求む。某甲は是れ仏なるに、更に去いて仏を覓むるが如し」。法眼云く、「監院果然として錯つて会し了れり」。則憤らずして便ち起単して江を渡つて去る。法眼云く、「此の人若し回らば救ふべし、若し回らずんば救ひ得ず」。則中路に到つて自ら忖つて云く、「他は是れ五百人の善知識、豈に我を賺すべけんや」。遂に回つて再び法眼に参ず。云く、「爾但だ我に問へ、我爾が為に答へん」。則便ち問ふ、「如何なるか是れ仏」。法眼云く、「丙丁童子来つて火を求む」。則言下に於て大悟す。
現代語訳
たとえば慧超禅客がここで悟ったのも、彼がふだんから心にかけて参究していたからであり、それゆえ一言のもとに桶の底が抜けたようになったのである。たとえば玄則監院は法眼の会中にいたが、一度も教えを請うて入室したことがなかった。ある日法眼が問うた。「則監院はなぜ入室して来ないのか」。玄則は言った。「和尚はご存じないのですか。私は青林(青峰)のところで、入り口を得ております」。法眼は言った。「試みにわたしのために話してみよ」。玄則は言った。「私が『仏とは何か』と問うと、青林は『丙丁童子が来て火を求める』と言いました」。法眼は言った。「良い言葉だ。ただ、おそらくお前は誤解しているだろう。もう一度説明してみよ」。玄則は言った。「丙丁は火に属します。火でもって火を求めるのです。私が仏であるのに、さらに仏を探しに行くようなものです」。法眼は言った。「監院はやはり誤解していたな」。玄則は憤慨して、すぐに荷物をまとめて長江を渡って去った。法眼は言った。「この人がもし戻って来れば救えるが、戻らなければ救えない」。玄則は途中まで来て、自ら考えて言った。「あの方は五百人を率いる善知識だ。どうして私をだますことがあろうか」。そこで引き返して再び法眼に参じた。法眼は言った。「お前はただわたしに問え。わたしがお前のために答えよう」。玄則はすぐに問うた。「仏とは何か」。法眼は言った。「丙丁童子が来て火を求める」。玄則はその言葉のもとで大悟した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
-
史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
-
老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
-
史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
-
史記 管晏列伝晏子斉の相たり。出づ。其の御の妻、門間よりして其の夫を闚ふ。其の夫、相の御を為して、大蓋を擁し、駟馬に策ち、意気揚揚として甚だ自ら得たるなり。既にして帰る。其の妻去らんことを請ふ。夫其の故を問ふ。妻曰く、「晏子の長けは六尺に満たずして、身は斉国に相たり、名は諸侯に顕はる。今妾其の出づるを覩るに、志念深く、常に自ら下る有る者なり。今子は長け八尺、乃ち人の僕御為り、然るに子の意は自ら以て足れりと為す。妾是の以に去らんことを求むるなり」と。其の後夫自ら抑損す。晏子怪しみて之を問ふ。御実を以て対ふ。晏子薦めて大夫と為す。
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る