碧巌録 / 第六則
舉雲門垂語云。十五日已前不問汝十五日已後道將一句來自代云。日日是好日。
新字:舉雲門垂語云。十五日已前不問汝十五日已後道将一句来自代云。日日是好日。
書き下し
挙す。雲門垂語して云く、「十五日已前は汝に問はず、十五日已後、一句を道ひ将ち来れ」。自ら代つて云く、「日日是れ好日」。
現代語訳
取り上げる。雲門が問いを垂れて言った。「十五日より前のことはお前たちに問わない。十五日より後のことについて、一句言ってみよ」。誰も答えないので自ら代わって言った。「日々これ好日」。
解説
第六則の本則で、主人公は雲門宗の祖雲門文偃である。雲門は「十五日より前は問わない、十五日より後について一句言ってみよ」と問いを垂れ、自ら代わって「日日是れ好日」と答えた。十五日を悟りの前後と見る解釈もあるが、圜悟は評唱で、言葉に沿って理屈をこしらえることを戒めている。「日日是好日」は今日では茶席の掛物としても親しまれ、毎日が良い日だという楽観と受け取られがちだが、晴れの日も雨の日も、順境も逆境も、その日をまるごと引き受けて生きる境地を示す言葉である。現代の働く者には、良い日を待つのではなく、今日という一日を選り好みせず生き切る覚悟として読める。
この章句が説くこと
日日是好日雲門今日公案選り好み一日
関連する章句
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『碧巌録』第六則箇の問頭を垂れて衆に示して云く、「十五日已前は汝に問はず、十五日已後、一句を道ひ将ち来れ」。千差を坐断して凡聖を通ぜず。自ら代つて云く、「日日是れ好日」。十五日已前、這の語已に千差を坐断す。十五日已後、這の語も也た千差を坐断す。是れ他明日は是れ十六と道はず。後人只管に語に随つて解を生ず、什麼の交渉か有らん。他雲門箇の宗風を立つ、須らく是れ箇の人の為にする処有るべし。垂語し了つて、却つて自ら代つて云く、「日日是れ好日」。此の語古今を通貫し、前より後に至るまで、一時に坐断す。山僧此の如く説話するも、也た是れ語に随つて解を生ず。他殺は自殺に如かず。纔かに道理を作せば、坑に墮ち塹に落つ。雲門一句の中に三句倶に備はる。蓋し是れ他家の宗旨此の如し。一句の語を垂るるに、須らく宗に帰することを要す。若し此の如くならずんば、只だ是れ杜撰なり。此の事に許多の論説無し。而るに未だ透らざる者は、却つて此の如くならんことを要す。若し透得せば、便ち古人の意旨を見ん。雪竇の葛藤を打するを看取せよ。
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『碧巌録』第六則雲門初め睦州に参ず。州は旋機電転、直に是れ湊泊し難し。尋常人を接するに、纔かに門を跨げば便ち搊住して云く、「道へ、道へ」。擬議して来らずんば、便ち推出して云く、「秦時の轆轢鑽」。雲門凡そ去いて見ゆ。第三回に至つて、纔かに門を敲けば、州云く、「誰そ」。門云く、「文偃」。纔かに門を開くや便ち跳び入る。州搊住して云く、「道へ、道へ」。門擬議す。便ち推出せられ、門一足門閫の内に在り、州に急に門を合せられて、雲門の脚を拶折す。門痛みを忍んで声を作す、忽然として大悟す。
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