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碧巌録 / 第十五則

這僧不妨是箇作家。解恁麼問。頭邊謂之請益。此是呈解問。亦謂之藏鋒問。若不是雲門。也不奈他何。雲門有這般手脚。他既將問來。不得已而應之。何故作家宗師。如明鏡臨臺。胡來胡現漢來漢現。古人道。欲得親切。莫將問來問。何故。問在答處。答在問處。從上諸聖。何曾有一法與人。那裏有禪道與爾來。爾若不造地獄業。自然不招地獄果。爾若不造天堂因。自然不受天堂果。一切業緣。皆是自作自受。

新字:這僧不妨是箇作家。解恁麼問。頭辺謂之請益。此是呈解問。亦謂之蔵鋒問。若不是雲門。也不奈他何。雲門有這般手脚。他既将問来。不得已而応之。何故作家宗師。如明鏡臨台。胡来胡現漢来漢現。古人道。欲得親切。莫将問来問。何故。問在答処。答在問処。従上諸聖。何曽有一法与人。那裏有禅道与爾来。爾若不造地獄業。自然不招地獄果。爾若不造天堂因。自然不受天堂果。一切業縁。皆是自作自受。

書き下し

這の僧妨げず是れ箇の作家なることを、解く恁麼に問ふ。頭辺は之を請益と謂ひ、此れは是れ呈解の問、亦た之を蔵鋒の問と謂ふ。若し是れ雲門ならずんば、也た他を奈何ともせず。雲門這般の手脚有り。他既に問を将ち来たる、已むことを得ずして之に応ず。何が故ぞ、作家の宗師は明鏡の台に臨むが如く、胡来たれば胡現じ、漢来たれば漢現ず。古人道ふ、親切を得んと欲せば、問を将ち来たりて問ふこと莫かれ。何が故ぞ、問は答処に在り、答は問処に在り。従上の諸聖、何ぞ曾て一法の人に与ふる有らん。那裏にか禅道の爾が与にし来たる有らん。爾若し地獄の業を造らずんば、自然に地獄の果を招かず。爾若し天堂の因を造らずんば、自然に天堂の果を受けず。一切の業縁、皆是れ自作自受なり。

現代語訳

この僧はなかなかの手練れであって、このように問うことができた。前の則のは教えを請う問いであり、これは自分の見解を差し出す問いで、また鋒先を隠した問いともいう。雲門でなければ、この僧をどうすることもできなかっただろう。雲門にはこういう手並みがある。相手が問いを持って来たので、やむなく応じたのである。なぜか。手練れの師家は、明るい鏡が台に掛かっているようなもので、胡人が来れば胡人が映り、漢人が来れば漢人が映る。古人は「ぴたりと親しく得たいなら、問いを持って来て問うてはならない」と言った。なぜか。問いは答えのところにあり、答えは問いのところにあるからだ。昔からの聖者たちは、一つの法でも人に与えたことがあろうか。どこにお前たちに与えるような禅や道があろうか。お前たちがもし地獄の業を作らなければ、おのずと地獄の報いを招かない。天上の因を作らなければ、おのずと天上の報いを受けない。あらゆる業の縁は、みな自ら作って自ら受けるのである。

解説

圜悟の本則評唱の前半である。前則の僧の問いが教えを請う請益の問いであったのに対し、この僧の問いは自分の見解を差し出す呈解の問い、鋒先を隠した蔵鋒の問いだと圜悟は見る。雲門は明鏡が台に掛かるように、来た者をそのまま映して応じた。問いは答えの中にあり、答えは問いの中にあるから、問いを持って来て問うなと言い、聖者は一法も人に与えたことはないと説く。地獄も天堂も自ら作って自ら受けるという結びは、答えを外に求める姿勢を断つ。上司や師に答えをもらおうとする前に、自分の問いに何が含まれているかを見よということである。

この章句が説くこと

雲門明鏡自作自受公案問答修行

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