碧巌録 / 第五則
舉雪峯示眾云盡大地撮來如粟米粒大拋向面前漆桶不會打鼓普請看。
新字:舉雪峯示衆云尽大地撮来如粟米粒大抛向面前漆桶不会打鼓普請看。
書き下し
挙す。雪峰衆に示して云く、「尽大地撮み来れば粟米粒の大いさの如し。面前に抛向す。漆桶不会ならば、鼓を打つて普請して看よ」。
現代語訳
取り上げる。雪峰が大衆に示して言った。「大地をまるごとつまみ取ってみれば、粟粒ほどの大きさだ。それをお前たちの目の前に放り出した。真っ黒な漆桶のようにわからないのなら、太鼓を打ってみんなで探してみよ」。
解説
第五則の本則で、主人公は唐代の禅僧雪峰義存である。雪峰は「大地をまるごとつまめば粟粒ほどだ、それを目の前に放り出した」と言い、わからないなら太鼓を打って総出で探せと突き放す。大と小の分別を一挙に破り、天地のすべてが今ここに差し出されていることを示す一句である。普請とは寺の者が総出で作務に当たることで、わからなければ皆で探せというのは、見つからないものを探させる皮肉でもある。圜悟は評唱で、これを心が万法の主だという理屈で解くことを退けている。現代の働く者には、大きな課題も小さな課題も、目の前に差し出されたこの一つとして引き受ける覚悟を問う公案として読める。
この章句が説くこと
尽大地雪峰公案分別大小今ここ
関連する章句
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『碧巌録』第五則雪峰衆に示して云く、「尽大地撮み来れば粟米粒の大いさの如し」。古人物に接し生を利するに、奇特の処有り、只だ是れ妨げず辛勤なることを。三たび投子に上り、九たび洞山に到る。漆桶木杓を置いて、到る処に飯頭と作る。也た只だ此の事を透脱せんが為なり。洞山に及至つて飯頭と作る。一日洞山雪峰に問ふ、「什麼をか作す」。峰云く、「米を淘ぐ」。山云く、「沙を淘いで米を去るか、米を淘いで沙を去るか」。峰云く、「沙米一斉に去る」。山云く、「大衆箇の什麼をか喫せん」。峰便ち盆を覆す。山云く、「子が縁は徳山に在り」。指して之に見えしむ。纔かに到つて便ち問ふ、「従上宗乗中の事、学人還た分有りや也た無や」。徳山打つこと一棒して云く、「什麼をか道ふ」。此に因つて省有り。後に鰲山に在つて雪に阻まれ、巌頭に謂つて云く、「我当時徳山の棒下に在つて、桶底の脱するが如くに相似たり」。巌頭喝して云く、「爾道ふことを見ずや、門より入る者は是れ家珍にあらず。須らく是れ自己の胸中より流出して、蓋天蓋地すべし、方に少分の相応有らん」。雪峰忽然として大悟し、礼拝して云く、「師兄、今日始めて是れ鰲山に成道す」。
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『碧巌録』第五則一日衆に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇有り、汝等諸人切に須らく好く看取すべし」。時に稜道者衆を出でて云く、「恁麼ならば則ち今日堂中大いに人の喪身失命し去る有らん」。又云く、「尽大地是れ沙門の一隻眼、汝等諸人、什麼の処に向つてか屙せん」。又云く、「望州亭汝と相見し了れり、烏石嶺汝と相見し了れり、僧堂前汝と相見し了れり」。時に保福鵝湖に問ふ、「僧堂前は即ち且く置く、如何なるか是れ望州亭烏石嶺の相見の処」。鵝湖驟歩して方丈に帰る。他常に這般の語を挙して衆に示す。只如へば尽大地撮み来れば粟米粒の大いさの如しと道ふ、這箇の時節、且く道へ、情識を以て卜度し得んや。須らく是れ羅籠を打破し、得失是非一時に放下して、洒洒落落として、自然に他の圏繢を透得して、方に他の用処を見るべし。且く道へ、雪峰の意什麼の処にか在る。人多く情解を作して道ふ、「心は是れ万法の主、尽大地一時に我が手裏に在り」と。且喜すらくは没交渉。這裏に到つては、須らく是れ箇の真実の漢にして、聊か挙著するを聞いて、徹骨徹髄に見得透し、且つ情思意想に落ちざるべし。若し是れ箇の本色行脚の衲子ならば、他の恁麼なるを見て、已に是れ郎当として人の為にし了れり。看よ他の雪竇頌して云く。
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『碧巌録』第五則長慶雲門に問ふ、「雪峰与麼に道ふ、還た出頭不得の処有りや」。門云く、「有り」。慶云く、「作麼生」。門云く、「総て野狐精の見解を作すべからず」。雪峰云く、「匹上には足らず、匹下には余り有り。我更に爾が与に葛藤を打せん」。拄杖を拈じて云く、「還た雪峰を見るや。咄。王令稍厳にして、行市を攙奪することを許さず」。大溈喆云く、「我更に諸人の為に土上に泥を加へん」。拄杖を拈じて云く、「看よ看よ。雪峰諸人の面前に向つて屙を放つ。咄。什麼と為てか屎の臭きことも也た知らざる」。
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『碧巌録』第五十一則挙す。雪峰庵に住せし時、両僧有り来たりて礼拝す。峰来たるを見て、手を以て庵門を托し、身を放ちて出でて云く、「是れ什麼ぞ」。僧も亦た云く、「是れ什麼ぞ」。峰、低頭して庵に帰る。僧、後に巌頭に到る。頭問ふ、「什麼の処よりか来たる」。僧云く、「嶺南より来たる」。頭云く、「曽て雪峰に到るや」。僧云く、「曽て到る」。頭云く、「何の言句か有る」。僧、前話を挙す。頭云く、「他、什麼とか道ふ」。僧云く、「他、無語にして低頭して庵に帰る」。頭云く、「噫、我当初、悔ゆらくは他に末後の句を道はざりしことを。若し伊に道はば、天下の人、雪老を奈何ともせじ」。僧、夏末に至り、再び前話を挙して請益す。頭云く、「何ぞ早く問はざる」。僧云く、「未だ敢へて容易にせず」。頭云く、「雪峰は我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず。末後の句を識らんと要せば、只だ這れ是なり」。
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