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碧巌録 / 第四則

這漢有這般手段。死中得活。雪竇引在頌中。用比德山再入相見。依舊被他跳得出去。看他古人。見到。說到。行到。用到。不妨英靈。有殺人不眨眼底手脚。方可立地成佛。有立地成佛底人。自然殺人不眨眼。方有自由自在分。如今人有底。問著頭上一似衲僧氣概。輕輕拶著。便腰做段。股做截。七支八離。渾無些子相續處。所以古人道。相續也大難。看他德山溈山如此。豈是滅滅挈挈底見解。再得完全能幾箇。急走過。德山喝便出去。一似李廣被捉後設計。一箭射殺一箇番將。得出虜庭相似。雪竇頌到此。大有工夫。德山背却法堂。著草鞋出去。道得便宜。殊不知。這老漢。依舊不放他出頭在。雪竇道。不放過。溈山至晚間問首座。適來新到在什麼處。首座云。當時背却法堂。著草鞋出去也。溈山云。此子他日。向孤峯頂上。盤結草庵。呵佛罵祖去在。幾曾是放過來。不妨奇特。到這裏。雪竇為什麼道。孤峯頂上草裏坐。又下一喝。且道落在什麼處。更參三十年。

新字:這漢有這般手段。死中得活。雪竇引在頌中。用比徳山再入相見。依旧被他跳得出去。看他古人。見到。説到。行到。用到。不妨英霊。有殺人不眨眼底手脚。方可立地成仏。有立地成仏底人。自然殺人不眨眼。方有自由自在分。如今人有底。問著頭上一似衲僧気概。軽軽拶著。便腰做段。股做截。七支八離。渾無些子相続処。所以古人道。相続也大難。看他徳山溈山如此。豈是滅滅挈挈底見解。再得完全能幾箇。急走過。徳山喝便出去。一似李広被捉後設計。一箭射殺一箇番将。得出虜庭相似。雪竇頌到此。大有工夫。徳山背却法堂。著草鞋出去。道得便宜。殊不知。這老漢。依旧不放他出頭在。雪竇道。不放過。溈山至晩間問首座。適来新到在什麼処。首座云。当時背却法堂。著草鞋出去也。溈山云。此子他日。向孤峯頂上。盤結草庵。呵仏罵祖去在。幾曽是放過来。不妨奇特。到這裏。雪竇為什麼道。孤峯頂上草裏坐。又下一喝。且道落在什麼処。更参三十年。

書き下し

這の漢這般の手段有りて、死中に活を得たり。雪竇引いて頌中に在き、用て徳山の再び入つて相見し、依旧として他に跳び得て出で去らるるに比す。看よ他の古人、見到り、説到り、行到り、用到る。妨げず英霊なることを。人を殺して眼を眨せざる底の手脚有つて、方に立地に成仏すべし。立地に成仏する底の人有れば、自然に人を殺して眼を眨せず。方に自由自在の分有り。如今の人有る底は、問著すれば頭上一に衲僧の気概に似たり。軽軽に拶著すれば、便ち腰段を做し、股截を做し、七支八離して、渾て些子の相続する処無し。所以に古人道ふ、「相続も也た大いに難し」と。看よ他の徳山溈山此の如くなる、豈に是れ滅滅挈挈底の見解ならんや。「再び完全を得るは能く幾箇ぞ」。「急に走過す」。徳山喝して便ち出で去る、一に李広の捉へられて後に計を設け、一箭に一箇の番将を射殺して、虜庭を出づることを得たるに似て相似たり。雪竇頌して此に到る、大いに工夫有り。徳山法堂を背却し、草鞋を著けて出で去る、便宜を得たりと道ふ。殊に知らず、這の老漢、依旧として他を放して頭を出さしめざること在ることを。雪竇道ふ、「放過せず」。溈山晩間に至つて首座に問ふ、「適来の新到什麼の処にか在る」。首座云く、「当時法堂を背却し、草鞋を著けて出で去れり」。溈山云く、「此の子他日、孤峰頂上に向つて、草庵を盤結して、仏を呵し祖を罵り去ること在らん」。幾曾か是れ放過し来る。妨げず奇特なることを。這裏に到つて、雪竇什麼と為てか道ふ、「孤峰頂上草裏に坐す」。又一喝を下す。且く道へ、什麼の処にか落在す。更に参ぜよ三十年。

現代語訳

この男はこれほどの手並みがあって、死の中で生を得たのである。雪竇はこれを頌の中に引いて、徳山が再び入って相見し、それでも溈山のもとから跳び出して去ったことにたとえたのである。古人を見よ、見ることも説くことも行うことも用いることも、すべて行き届いている。実に英霊である。人を殺しても瞬きしないほどの手並みがあってこそ、その場で成仏できる。その場で成仏する人であれば、おのずと人を殺しても瞬きしない。そうしてはじめて自由自在の分がある。今の人の中には、問われると、うわべはまるで禅僧の気概があるように見える者がいる。だが軽く押されると、たちまち腰は折れ、股は断たれ、ばらばらになって、少しも続くところがない。だから古人は「続けることもまた大いに難しい」と言ったのだ。徳山と溈山のこのありさまを見よ、どうしてぐずぐずとためらう見解であろうか。「再び無事に帰れる者が何人いようか」。「急いで走り過ぎた」。徳山が一喝してすぐに出て行ったのは、ちょうど李広が捕らえられた後に計略を設け、一矢で一人の敵将を射殺して、敵陣を脱出できたのと同じである。雪竇がここまで頌したのは、大いに工夫がある。徳山は法堂に背を向け、草鞋を履いて出て行き、うまくやったと言う。まったく知らないのだ、この老漢(溈山)が相変わらず彼を放って頭を出させはしなかったことを。雪竇は「見逃さない」と言った。溈山は晩になって首座に問うた。「さっきの新参者はどこにいるか」。首座は言った。「あの時、法堂に背を向け、草鞋を履いて出て行きました」。溈山は言った。「あの男はいつの日か、孤峰の頂に草庵を結んで、仏を叱り祖師を罵ることになるだろう」。いつ見逃したことがあろうか。実に見事である。ここに至って、雪竇はなぜ「孤峰の頂で、草の中に坐っている」と言ったのか。さらに一喝を下した。さあ言ってみよ、どこに落ち着くのか。さらに三十年参じよ。

解説

圜悟は頌の後半を読み解く。死中に活を得た李広のように、徳山は溈山の懐から跳び出したが、それは見ること・説くこと・行うこと・用いることが行き届いた英霊の働きだという。人を殺して瞬きしない手並みと、その場で成仏することは表裏であり、そこに自由自在がある。今の人はうわべの気概だけで、軽く押されればばらばらになり、続かない。一方で溈山は徳山を決して見逃さず、晩に孤峰頂上の予言を語った。雪竇がなぜ孤峰頂上を草の中に坐ると言い、さらに一喝したのか、さらに三十年参ぜよと圜悟は突き放す。現代の働く者には、一時の気概より、押されても崩れずに続ける力の難しさを考えさせる一段である。

この章句が説くこと

死中得活相続自由胆力修行雪竇

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