碧巌録 / 第二則
不見僧問香嚴。如何是道。嚴云。枯木裏龍吟。僧云。如何是道中人。嚴云。髑髏裏眼睛。僧後問石霜。如何是枯木裏龍吟。霜云。猶帶喜在。如何是髑髏裏眼睛。霜云。猶帶識在。僧又問曹山。如何是枯木裏龍吟。山云。血脈不斷。如何是髑髏裏眼睛。山云乾不盡。什麼人得聞。山云。盡大地未有一箇不聞。僧云未審龍吟是何章句。山云。不知是何章句。聞者皆喪。復有頌云。枯木龍吟真見道。髑髏無識眼初明。喜識盡時消息盡。當人那辨濁中清。雪竇可謂大有手脚。一時與爾交加頌出。然雖如是。都無兩般。雪竇末後有為人處。更道難難。只這難難。也須透過始得。何故。百丈道一切語言。山河大地。一一轉歸自己。雪竇凡是一拈一掇。到末後須歸自己。且道。什麼處是雪竇為人處。揀擇明白君自看。既是打葛藤頌了。因何却道。君自看。好彩教爾自看。且道。意落在什麼處。莫道諸人理會不得。設使山僧到這裏。也只是理會不得。
新字:不見僧問香厳。如何是道。厳云。枯木裏竜吟。僧云。如何是道中人。厳云。髑髏裏眼睛。僧後問石霜。如何是枯木裏竜吟。霜云。猶帯喜在。如何是髑髏裏眼睛。霜云。猶帯識在。僧又問曹山。如何是枯木裏竜吟。山云。血脈不断。如何是髑髏裏眼睛。山云乾不尽。什麼人得聞。山云。尽大地未有一箇不聞。僧云未審竜吟是何章句。山云。不知是何章句。聞者皆喪。復有頌云。枯木竜吟真見道。髑髏無識眼初明。喜識尽時消息尽。当人那弁濁中清。雪竇可謂大有手脚。一時与爾交加頌出。然雖如是。都無両般。雪竇末後有為人処。更道難難。只這難難。也須透過始得。何故。百丈道一切語言。山河大地。一一転帰自己。雪竇凡是一拈一掇。到末後須帰自己。且道。什麼処是雪竇為人処。揀択明白君自看。既是打葛藤頌了。因何却道。君自看。好彩教爾自看。且道。意落在什麼処。莫道諸人理会不得。設使山僧到這裏。也只是理会不得。
書き下し
見ずや、僧香厳に問ふ、「如何なるか是れ道」。厳云く、「枯木裏の龍吟」。僧云く、「如何なるか是れ道中の人」。厳云く、「髑髏裏の眼睛」。僧後に石霜に問ふ、「如何なるか是れ枯木裏の龍吟」。霜云く、「猶ほ喜を帯ぶること在り」。「如何なるか是れ髑髏裏の眼睛」。霜云く、「猶ほ識を帯ぶること在り」。僧又曹山に問ふ、「如何なるか是れ枯木裏の龍吟」。山云く、「血脈断えず」。「如何なるか是れ髑髏裏の眼睛」。山云く、「乾き尽きず」。「什麼人か聞くことを得る」。山云く、「尽大地未だ一箇も聞かざるもの有らず」。僧云く、「未審、龍吟は是れ何の章句ぞ」。山云く、「是れ何の章句なるかを知らず。聞く者は皆喪す」。復た頌有りて云く、「枯木龍吟真に道を見る、髑髏識無くして眼初めて明かなり。喜識尽くる時消息尽く、当人那ぞ濁中の清を弁ぜん」。雪竇謂つべし大いに手脚有りと、一時に爾が与に交加して頌出す。然も是の如くなりと雖も、都て両般無し。雪竇末後人の為にする処有り、更に道ふ、「難難」。只だ這の難難も、也た須らく透過して始めて得べし。何が故ぞ。百丈道ふ、「一切の語言、山河大地、一一転じて自己に帰す」。雪竇凡そ是れ一拈一掇、末後に到つては須らく自己に帰すべし。且く道へ、什麼の処か是れ雪竇人の為にする処。「揀択明白、君自ら看よ」。既に是れ葛藤を打して頌し了る、因何ぞ却つて道ふ、「君自ら看よ」。好彩、爾をして自ら看しむ。且く道へ、意什麼の処にか落在す。道ふこと莫れ、諸人理会し得ずと。設使ひ山僧這裏に到るも、也た只だ是れ理会し得ず。
現代語訳
見たことがないか。ある僧が香厳に問うた。「道とは何か」。香厳は言った。「枯れ木の中の龍の吟」。僧は言った。「道の中の人とは何か」。香厳は言った。「髑髏の中の眼」。僧は後に石霜に問うた。「枯れ木の中の龍の吟とは何か」。石霜は言った。「まだ喜びを帯びている」。「髑髏の中の眼とは何か」。石霜は言った。「まだ識を帯びている」。僧はまた曹山に問うた。「枯れ木の中の龍の吟とは何か」。曹山は言った。「血脈が断えていない」。「髑髏の中の眼とは何か」。曹山は言った。「乾き尽きていない」。「誰がそれを聞くことができるのですか」。曹山は言った。「大地じゅうに聞かない者は一人もいない」。僧は言った。「では、龍の吟とはどんな章句ですか」。曹山は言った。「どんな章句か知らない。聞く者は皆命を失う」。さらに頌があって言う。「枯れ木の龍吟こそ真に道を見るもの、髑髏に識が無くなってはじめて眼が明らかになる。喜びも識も尽きた時、消息も尽きる。その人がどうして濁りの中の清らかさを見分けようか」。雪竇は大いに手腕があると言うべきで、一度にお前たちのためにこれらを交えて頌に詠み出した。とはいえ、すべては二つではない。雪竇は最後に人のためにするところがあり、さらに「難難」と言った。この「難難」も、透過してはじめてよい。なぜか。百丈は「一切の言葉も山河大地も、一つ一つ転じて自己に帰る」と言った。雪竇も、およそ一つ取り上げ一つ置くごとに、最後には必ず自己に帰る。さあ言ってみよ、どこが雪竇の人のためにするところか。「揀択か明白か、君自ら見よ」。言葉をからめて頌し終えたのに、なぜかえって「君自ら見よ」と言うのか。うまいことに、お前たちに自ら見させるのである。さあ言ってみよ、その意はどこに落ち着くのか。お前たちが理解できないなどと言ってはならない。たとえこの山僧がここに至っても、やはり理解できないのだ。
解説
この章句が説くこと
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論語・学而篇子曰く、「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。」
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論語・泰伯篇子曰く、『学ぶこと及ばざるが如く、なおこれを失うことを恐る。』
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論語・為政篇子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
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論語・里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
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論語・為政篇子曰く、「吾回と言うこと終日、違(たが)わざること愚かなるが如し。退きて其の私を省みれば、亦以て発するに足る、回や愚かならず。」
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論語・憲問篇子曰く、『古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。』
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