論語 / 為政篇
子曰、吾与回言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以発、回也不愚。
書き下し
子曰く、「吾回と言うこと終日、違(たが)わざること愚かなるが如し。退きて其の私を省みれば、亦以て発するに足る、回や愚かならず。」
現代語訳
顔回と一日中話しても、彼は反論もせず愚かなように見える。しかし、後で彼の行動を見ればよく理解している。顔回は愚かではない。
解説
孔子は「顔回と一日中話をしても、彼は少しも逆らわず、まるで愚か者のようだ。しかし、彼が下がった後にその日々の行いを見てみると、教えたことをきちんと自分のものにして実践している。顔回は決して愚かではない」と言いました。口数が少なく、その場で言い返さない人を、物わかりが悪いと決めつけてはいけないという教えです。これは会議や集まりの場でもよくあることです。発言をしないからといって、その人が何も考えていないとは限りません。むしろ静かに聞いて、後になって着実に形にする人もいます。言葉の多さや反応の早さだけで人を評価せず、時間をかけて行いや結果を見届ける目を持つことが大切です。
この章句が説くこと
学び傾聴理解
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