碧巌録 / 第二則
雪竇有餘才。所以分開結裹算來也。只是頭上安頭道。至道無難。言端語端。一有多種。二無兩般。雖無許多事。天際日上時月便下。檻前山深時水便寒。到這裏。言也端。語也端。頭頭是道。物物全真。豈不是心境俱忘。打成一片處。雪竇頭上太孤峻生。末後也漏逗不少。若參得透見得徹。自然如醍醐上味相似。若是情解未忘。便見七花八裂。決定不能會如此說話。
新字:雪竇有余才。所以分開結裹算来也。只是頭上安頭道。至道無難。言端語端。一有多種。二無両般。雖無許多事。天際日上時月便下。檻前山深時水便寒。到這裏。言也端。語也端。頭頭是道。物物全真。豈不是心境倶忘。打成一片処。雪竇頭上太孤峻生。末後也漏逗不少。若参得透見得徹。自然如醍醐上味相似。若是情解未忘。便見七花八裂。決定不能会如此説話。
書き下し
雪竇余才有り、所以に分開して結裹し算へ来る。也た只だ是れ頭上に頭を安くのみ。道ふ、「至道無難、言端語端、一に多種有り、二に両般無し」。許多の事無しと雖も、天際日上る時月便ち下り、檻前山深き時水便ち寒し。這裏に到つて、言も也た端、語も也た端、頭頭是れ道、物物全く真なり。豈に是れ心境倶に忘じ、打成一片する処にあらずや。雪竇頭上太だ孤峻生、末後也た漏逗すること少なからず。若し参得透し見得徹せば、自然に醍醐の上味の如くに相似たらん。若し是れ情解未だ忘ぜずんば、便ち七花八裂を見ん。決定して此の如きの説話を会すること能はじ。
現代語訳
雪竇には余りある才があったので、分けては束ね、数え上げていったのである。とはいえ、それも頭の上に頭を載せるようなものにすぎない。「至道無難、言端語端、一に多種有り、二に両般無し」と言う。多くの事はないとはいえ、空の果てで日が昇る時には月が沈み、欄干の前で山が深い時には水が冷たい。ここに至っては、言葉もまっすぐ、語もまっすぐで、一つ一つが道であり、物という物がまったく真実である。これこそ心も対象もともに忘れ、打って一つになるところではないか。雪竇は冒頭ではひどく峻厳だが、最後にはずいぶん手の内を漏らしている。もし参じて透り、見て徹したなら、おのずと醍醐の最上の味のようであろう。もし情による理解をまだ忘れていなければ、ばらばらに裂けて見えるだろう。決してこのような話を理解することはできない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二則雪竇他の落処を知る、所以に此の如く頌す。「至道無難」、便ち後に随つて道ふ、「言端語端」。一隅を挙ぐるに三隅を以て反さず。雪竇道ふ、「一に多種有り、二に両般無し」。三隅にして一を反すに似たり。爾且く道へ、什麼の処か是れ言端語端の処。什麼と為てか一に却つて多種有り、二に却つて両般無き。若し眼を具せずんば、什麼の処に向つてか摸索せん。若し這の両句を透得せば、所以に古人道ふ、「打成一片」と。依旧として見る、山は是れ山、水は是れ水、長は是れ長、短は是れ短、天は是れ天、地は是れ地。有る時は天を喚んで地と作し、有る時は地を喚んで天と作し、有る時は山を喚んで山にあらずとし、水を喚んで水にあらずとす。畢竟怎生か平穏に去ることを得ん。風来れば樹動き、浪起れば船高し。春生じ夏長じ、秋収め冬蔵む。一種平懐なれば、泯然として自ら尽く。則ち此の四句の頌、頓に絶し了れり。
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『碧巌録』第二則至道無難、言端語端。一に多種有り、二に両般無し。天際日上り月下る、檻前山深く水寒し。髑髏識尽きて喜何ぞ立たん、枯木龍吟して銷えて未だ乾かず。難難、揀択明白、君自ら看よ。
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『碧巌録』第五則雪竇自然に他の古人を見る、只だ他の命脈上に去いて一劄を消して、他の与に頌出す。「牛頭没し馬頭回る」。且く道へ、箇の什麼をか説く。見得透する底は、早朝に粥を喫し、斎時に飯を喫するが如くに相似たり、只だ是れ尋常なり。雪竇慈悲、当頭に一鎚に撃砕し、一句に截断す。只だ是れ妨げず孤峻なることを。石火を撃つが如く閃電光に似たり。鋒鋩を露はさず、爾が湊泊の処無し。且く道へ、意根下に向つて摸索し得んや。此の両句一時に道ひ尽し了れり。雪竇第三句、却つて一線道を通じて、略ぼ些かの風規を露はす。早く是れ落草なり。第四句、直下に更に是れ落草なり。若し言上に言を生じ、句上に句を生じ、意上に意を生じて、解を作し会を作さば、唯だ老僧を帯累するのみにあらず、亦乃ち雪竇に辜負せん。古人の句は此の如くなりと雖も、意は此の如くならず。終に道理を作して人を繋縛せず。「曹渓鏡裏塵埃を絶す」。多少の人か道ふ、「静心便ち是れ鏡」と。且喜すらくは没交渉。只管に計較道理を作す、什麼の了期か有らん。這箇は是れ本分の説話、山僧敢へて本分に依らずんばあらず。「牛頭没し馬頭回る」、雪竇分明に説き了れり。自ら是れ人見ず。所以に雪竇此の如く郎当として頌して道ふ、「鼓を打つて看来れども君見ず」。癡人還た見るや。更に爾に向つて道ふ、「百花春至つて誰が為にか開く」。謂つべし戸牖を豁開して、爾が与に一時に八字に打開し了れりと。春来るに及んで、幽谷野澗、乃至人無き処にも、百花競ひ発く。爾且く道へ、更に誰が為にか開く。
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『碧巌録』第六則且く道へ、作麼生か是れ第一句。這裏に到つて、雪竇些かの意を露はして人をして見せしむ。爾但だ上に諸仏有ることを見ず、下に衆生有ることを見ず、外に山河大地有ることを見ず、内に見聞覚知有ることを見ず、大死底の人の却つて活するが如くに相似たらば、長短好悪、打成一片して、一一拈じ来るに更に異見無し。然る後に応用其の宜しきを失はず、方に他の「一を去却し、七を拈得す、上下四維等匹無し」と道ふを見ん。若し此の句に於て透得せば、直に上下四維に等匹有ること無きことを得ん。森羅万象、草芥人畜、著著全く自己の家風を彰す。所以に道ふ、「万象の中独り露はるる身、惟だ人自ら肯ひて乃ち方に親し。昔年謬つて途中に向つて覓む、今日看来れば火裏の氷」。天上天下唯我独尊。人多く末を逐うて其の本を求めず。先づ本正しきことを得ば、自然に風行き草偃し、水到り渠成る。
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『碧巌録』第四十二則「雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し」。雪竇は居士の頭上に在つて行かんことを要す。古人雪を以て一色辺の事を明かす。雪竇の意に道ふ、当時若し雪団を握つて打たば、居士縦ひ如何なる機関有るも、亦た搆へ得難しと。雪竇自ら他の打処を誇る。殊に知らず落節の処有ることを。「天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑」。眼裏も也た是れ雪、耳裏も也た是れ雪、正に一色辺に住在す。亦た之を普賢境界一色辺の事と謂ひ、亦た之を打成一片と謂ふ。雲門道ふ、「直に尽乾坤大地、繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転句と為す。一色を見ざる、始めて是れ半提。若し全提を要せば、須らく向上の一路有ることを知りて始めて得べし」。這裏に到つて須らく是れ大用現前して、針箚せども入らず、他人の処分を聴かざるべし。所以に道ふ、「他は活句に参じて、死句に参ぜず」。古人道ふ、「一句合頭の語、万劫の繋驢橛」。什麼の用処か有らん。雪竇此に到つて頌殺し了つて、復た機を転じて道ふ、「只だ此の瀟灑絶、直饒是れ碧眼の胡僧も也た弁別し難し」。碧眼の胡僧すら尚ほ弁別し難し、更に山僧をして箇の什麼をか説かしめん。
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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