兵術要訓抄録 / 術行から至達へ
師傳の術を無益の事のやうに思ふは修行たらざるゆへなり、夫よりして師傳の術をすてゝ才覺者となる人多し、修行さへ至れば師傳の術は遣るゝ也、此術行者は終に上手にも達人にも可成、又敵の透を見て擊事を主とする人を至靜者と云は靜心の塲に至りし術者と云ヿにて、敵の透を見て勝を得るとは上手の塲にて未熟ではならざるなり、術行者功を經て至靜者となるべし、又不動心の妙にて勝人を至達者と云は至極達人と云事也、達人とは不動心の術者を云なり、不動心の妙とは不動心に至らざれば知れがたし、又至靜者功を經て至達者となるべし、過陽者才覺者は、至達の塲に至るヿならざる間、此理を合點して過陽者は過陽の過を改め、才覺者は才覺の術理に至らざる事を合點して改めかえて術行至靜を專一にすれば、終に至道の塲に至るべし、又才覺者の謀擊は、術行至靜を專にして折には謀擊をつかふは不苦、術行至靜調ふ時は謀擊の入らぬと云事合點して頼ともせざるなり、過陽者の過は亡命の端なり、恐れ愼むべし、過陽も內心陰にして謀て過陽なるは格別の事にて、才覺者の上手のする事なり、
新字:師伝の術を無益の事のやうに思ふは修行たらざるゆへなり、夫よりして師伝の術をすてゝ才覚者となる人多し、修行さへ至れば師伝の術は遣るゝ也、此術行者は終に上手にも達人にも可成、又敵の透を見て撃事を主とする人を至静者と云は静心の塲に至りし術者と云ヿにて、敵の透を見て勝を得るとは上手の塲にて未熟ではならざるなり、術行者功を経て至静者となるべし、又不動心の妙にて勝人を至達者と云は至極達人と云事也、達人とは不動心の術者を云なり、不動心の妙とは不動心に至らざれば知れがたし、又至静者功を経て至達者となるべし、過陽者才覚者は、至達の塲に至るヿならざる間、此理を合点して過陽者は過陽の過を改め、才覚者は才覚の術理に至らざる事を合点して改めかえて術行至静を専一にすれば、終に至道の塲に至るべし、又才覚者の謀撃は、術行至静を専にして折には謀撃をつかふは不苦、術行至静調ふ時は謀撃の入らぬと云事合点して頼ともせざるなり、過陽者の過は亡命の端なり、恐れ慎むべし、過陽も内心陰にして謀て過陽なるは格別の事にて、才覚者の上手のする事なり、
書き下し
師傳の術を無益の事のやうに思ふは修行たらざるゆへなり、夫よりして師傳の術をすてゝ才覺者となる人多し、修行さへ至れば師傳の術は遣るゝ也、此術行者は終に上手にも達人にも可成、又敵の透を見て擊事を主とする人を至靜者と云は靜心の塲に至りし術者と云ヿにて、敵の透を見て勝を得るとは上手の塲にて未熟ではならざるなり、術行者功を經て至靜者となるべし、又不動心の妙にて勝人を至達者と云は至極達人と云事也、達人とは不動心の術者を云なり、不動心の妙とは不動心に至らざれば知れがたし、又至靜者功を經て至達者となるべし、過陽者才覺者は、至達の塲に至るヿならざる間、此理を合點して過陽者は過陽の過を改め、才覺者は才覺の術理に至らざる事を合點して改めかえて術行至靜を專一にすれば、終に至道の塲に至るべし、又才覺者の謀擊は、術行至靜を專にして折には謀擊をつかふは不苦、術行至靜調ふ時は謀擊の入らぬと云事合點して頼ともせざるなり、過陽者の過は亡命の端なり、恐れ愼むべし、過陽も內心陰にして謀て過陽なるは格別の事にて、才覺者の上手のする事なり、
現代語訳
師伝の術を無益なことのように思うのは、修行が足りないからです。そこから師伝の術を捨てて才覚者となる人が多いのです。修行さえ至れば、師伝の術は自然に使えるようになります。この術行者は、ついには上手にも達人にもなれるでしょう。また、敵の隙を見て撃つことを主とする人を至静者というのは、静心の境地に至った術者ということで、敵の隙を見て勝利を得るのは上手の境地であり、未熟ではできません。術行者は修行を積んで至静者となるでしょう。また、不動心の妙によって勝つ人を至達者というのは、至極の達人ということです。達人とは不動心の術者をいいます。不動心の妙とは、不動心に至らなければ知りにくいものです。また、至静者は修行を積んで至達者となるでしょう。過陽者と才覚者は、至達の境地に至ることができない間は、この道理を納得し、過陽者は過陽の過ちを改め、才覚者は才覚の術では道理に至らないことを納得して改め、術行と至静を第一にすれば、ついには至道の境地に至るでしょう。また、才覚者の謀撃は、術行と至静を第一にして、折にふれて謀撃を使うのは差し支えありません。術行と至静が整えば、謀撃は要らないということを納得して、頼みにはしなくなります。過陽者の過ちは、命を亡ぼす端緒です。恐れ慎むべきです。過陽でも、内心は陰であって、謀って過陽を装うのは格別のことで、才覚者の上手がすることです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵術要訓抄録』・五つの術者當流にをいて五術者と云は、兵術者に五つ有り、過陽者、才覺者、術行者、至靜者、至達者也、過陽者とは、心は石にても打碎く心にて、我勇猛を以て破竹の勢をなして敵に向ふ人也、才覺者とは、我才覺を以て敵を謀て擊事を主とする人也、術行者とは師傳の術と我工夫の術を以て勝事を主とする人なり、至靜者とは敵の透を見て擊事を主とする人なり、至達者とは不動心の妙にて勝人を云なり、過陽者とは陽に過ると云ヿにて石にても碎く勢にて敵に向ふは陽なり、兵は陰を專にするなり、陽は動なり、陰は靜なり、靜なるを主とする事兵の專一なるべし、又陽なる時は心動く、心動く時は勝事あたはず、才覺者は勝の理勝の術に闇きが故に我才覺にて人を謀るなり、此才覺者は未熟なる人にも有り、又よほど上手にもある者也、達人にはなし、術行者は術を以て勝たんとするゆへ術を行ふと云ヿにて術行者と云なり、此術行者は過陽者才覺者よりは宜しき所あり、其譯は諸流ともに傳る術は皆勝の術なり、其師より授りたる術を遣ふは修行の本意なり、其上自分工夫の術をつかふは是智なり、尤も術を以て勝事は未熟なる間は出來がたきゆへ、
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『兵術要訓抄録』・上手と達人上手とは至靜者を云なり、達人とは至達者の事也、術理通達して靜心の塲の術者を上手と云也、過陽者才覺者にも大抵上手はあれども術理聞きが故に上手とは云ひ難し、又術理通達して不動心の術者を達人と云也、名人とは達人の事也、
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『兵術要訓抄録』・心の修行と勇平常心の修行をする時は眞劔といへども恐るゝヿなく心靜る也、又心の修行とは、第一勇を固めて臆を去る、第二捨身其外傳あり、不動心の術者の敵を受ずんば知れがたし、勇を固るとは、山林墓所森川妖怪出る處などへ往き終夜こもるヿなり、是に傳ありといへども、傳を不知とも修すれば德あり、君子は危きに近よらずと云事あれば、道に逆ふやう思ふ人も有べし、然れども危きを遁んためと、敵に勝て大功を立、忠を立ん爲の事にして、君子の道に違ふヿなし、扨又心の行は師傳なくてはならざれども、此書心の道理を說し書なれば、此書の理をよく合點し、我心を此書の通りになるやうに常々修する時は、是則心の修行にて、終に不動心の塲に至るべし、
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『兵術要訓抄録』・兵術の二つの要と主静凡そ兵術とは、其の要に二つ有り。蓋し能く師授の形術を執りて以て其の支体を練熟するが一なり。又能く彼此の妙理を察して以て其の動静を神化するが二なり。此の二者は猶ほ車の両輪を備へ、鳥の両翼を共にするがごとし。必ず偏廃すべからず。而して所謂主静なる者は、又其の機軸なり。蓋し言ふ、車は両輪を全くすと雖も、然れども軸無ければ則ち其れ何を以て之を行らんや。鳥は両翼を列ぬと雖も、然れども体無ければ則ち亦之を尸る者無し。故に主静とは此れ其の本なり。如し能く之を知らば、則ち其の心身の作止勝敗の秘密を燭らすこと、亦猶ほ掌を指すがごとし。因りて兵術要訓一巻を撰し、以て其の義を明らかにす。未だ備はらざる者有るが若しと雖も、亦将に以て後学の一助と為さんと云爾。
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『兵術要訓抄録』・陰の敵と陽の敵兵道修行は、陽にして至て動くものなり、勝負に臨む時は、極陰にして靜なり、勝負に臨し時極靜にして、顔色も變ぜず、敵に著ぜず、滿目して敵の顔色を爰を專と打守るにあらず、進むに細き橋を渡るやうにもあらず、大道を歩行が如く、心平常の如くに見ゆるは陰敵なり、是れ勝れたる術者にて敵しがたく、又陽敵とは、一つには顔色石にても打碎く勢をあらはし、二つには怒の躰あり、三つには滿目して敵の顔色を爰を專と打守りて白眼がどし、四つには破竹の勢をなして大聲を發して擊、五つには進退なす術あらき、是等は陽敵といふなり、陽敵は心動くものにして弱也、然し陰敵の謀て陽なる有り、是は油斷ならざるものなり、
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『兵術要訓抄録』・真行草の三段階草とは、師傳の術を修行して進退を自由になし、躰を固め手のうちを固むる是草なり、行とは、師傳の術の深意を知り、勝負の道理を通達するを行と云なり、眞とは草行を修し得て一心不動の塲を云也、たとへば冶工刀を鍛、先形出來たる所草なり、夫より鉇を以て刄をつけし所行也、又砥にかけ研あげねた刄を合せし處是眞なり、眞行草を得たるを達人と云也、

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