兵術要訓抄録 / 陰の敵と陽の敵
兵道修行は、陽にして至て動くものなり、勝負に臨む時は、極陰にして靜なり、勝負に臨し時極靜にして、顔色も變ぜず、敵に著ぜず、滿目して敵の顔色を爰を專と打守るにあらず、進むに細き橋を渡るやうにもあらず、大道を歩行が如く、心平常の如くに見ゆるは陰敵なり、是れ勝れたる術者にて敵しがたく、又陽敵とは、一つには顔色石にても打碎く勢をあらはし、二つには怒の躰あり、三つには滿目して敵の顔色を爰を專と打守りて白眼がどし、四つには破竹の勢をなして大聲を發して擊、五つには進退なす術あらき、是等は陽敵といふなり、陽敵は心動くものにして弱也、然し陰敵の謀て陽なる有り、是は油斷ならざるものなり、
新字:兵道修行は、陽にして至て動くものなり、勝負に臨む時は、極陰にして静なり、勝負に臨し時極静にして、顔色も変ぜず、敵に著ぜず、満目して敵の顔色を爰を専と打守るにあらず、進むに細き橋を渡るやうにもあらず、大道を歩行が如く、心平常の如くに見ゆるは陰敵なり、是れ勝れたる術者にて敵しがたく、又陽敵とは、一つには顔色石にても打砕く勢をあらはし、二つには怒の体あり、三つには満目して敵の顔色を爰を専と打守りて白眼がどし、四つには破竹の勢をなして大声を発して撃、五つには進退なす術あらき、是等は陽敵といふなり、陽敵は心動くものにして弱也、然し陰敵の謀て陽なる有り、是は油断ならざるものなり、
書き下し
兵道修行は、陽にして至て動くものなり、勝負に臨む時は、極陰にして靜なり、勝負に臨し時極靜にして、顔色も變ぜず、敵に著ぜず、滿目して敵の顔色を爰を專と打守るにあらず、進むに細き橋を渡るやうにもあらず、大道を歩行が如く、心平常の如くに見ゆるは陰敵なり、是れ勝れたる術者にて敵しがたく、又陽敵とは、一つには顔色石にても打碎く勢をあらはし、二つには怒の躰あり、三つには滿目して敵の顔色を爰を專と打守りて白眼がどし、四つには破竹の勢をなして大聲を發して擊、五つには進退なす術あらき、是等は陽敵といふなり、陽敵は心動くものにして弱也、然し陰敵の謀て陽なる有り、是は油斷ならざるものなり、
現代語訳
兵道の修行は、稽古の間は陽であって大いに動くものですが、勝負に臨むときは極めて陰で、静かです。勝負に臨んだときは極めて静かで、顔色も変えず、敵に気を奪われません。目を見開いて敵の顔色をここぞと見つめるのでもなく、細い橋を渡るように用心して進むのでもなく、大道を歩くように心が平常のとおりに見えるのが、陰の敵です。これは優れた術者で、倒しにくい相手です。陽の敵とは、一つには顔色に石でも打ち砕く勢いを表し、二つには怒りの様子があり、三つには目を見開いて敵の顔色をここぞと見つめて白目をむき、四つには破竹の勢いで大声を発して打ち、五つには進退の動きが荒いものです。これらを陽の敵といいます。陽の敵は心が動いているので弱いのです。ただし、陰の敵が謀って陽を装っていることがあり、これは油断のならない相手です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵術要訓抄録』・五つの術者當流にをいて五術者と云は、兵術者に五つ有り、過陽者、才覺者、術行者、至靜者、至達者也、過陽者とは、心は石にても打碎く心にて、我勇猛を以て破竹の勢をなして敵に向ふ人也、才覺者とは、我才覺を以て敵を謀て擊事を主とする人也、術行者とは師傳の術と我工夫の術を以て勝事を主とする人なり、至靜者とは敵の透を見て擊事を主とする人なり、至達者とは不動心の妙にて勝人を云なり、過陽者とは陽に過ると云ヿにて石にても碎く勢にて敵に向ふは陽なり、兵は陰を專にするなり、陽は動なり、陰は靜なり、靜なるを主とする事兵の專一なるべし、又陽なる時は心動く、心動く時は勝事あたはず、才覺者は勝の理勝の術に闇きが故に我才覺にて人を謀るなり、此才覺者は未熟なる人にも有り、又よほど上手にもある者也、達人にはなし、術行者は術を以て勝たんとするゆへ術を行ふと云ヿにて術行者と云なり、此術行者は過陽者才覺者よりは宜しき所あり、其譯は諸流ともに傳る術は皆勝の術なり、其師より授りたる術を遣ふは修行の本意なり、其上自分工夫の術をつかふは是智なり、尤も術を以て勝事は未熟なる間は出來がたきゆへ、
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『兵術要訓抄録』・兵術の二つの要と主静凡そ兵術とは、其の要に二つ有り。蓋し能く師授の形術を執りて以て其の支体を練熟するが一なり。又能く彼此の妙理を察して以て其の動静を神化するが二なり。此の二者は猶ほ車の両輪を備へ、鳥の両翼を共にするがごとし。必ず偏廃すべからず。而して所謂主静なる者は、又其の機軸なり。蓋し言ふ、車は両輪を全くすと雖も、然れども軸無ければ則ち其れ何を以て之を行らんや。鳥は両翼を列ぬと雖も、然れども体無ければ則ち亦之を尸る者無し。故に主静とは此れ其の本なり。如し能く之を知らば、則ち其の心身の作止勝敗の秘密を燭らすこと、亦猶ほ掌を指すがごとし。因りて兵術要訓一巻を撰し、以て其の義を明らかにす。未だ備はらざる者有るが若しと雖も、亦将に以て後学の一助と為さんと云爾。
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『兵法家伝書』殺人刀「陰陽内外の心持」陰陽たがひにかわる心持を思惟すべし、動は陽也、靜なるは陰也、陰と陽とは内外にかわりて、内に陽うごけば、外は陰で靜也、内陰なればうごいて外にあらはる、如是兵法にも内心に氣をはたらかし、うごかし、無油斷して外は又ふためかず、靜にする、是陽內に動き陰外に靜なる天理にかなふ也、又外きびしく懸なれば內心を外にとられぬ樣に、內を靜にして外懸なれば外みだれざる也、內外ともに動けばみだるゝ也、懸待動靜內外をたがひにすべし、水鳥の水にうかびて、上はしづかなれども、そこには水かきをつかふごとくに、內心に油斷なくして、此稽古つもりぬれば、內心外ともに打とけて、內外一ッに少もさわりなし、此に至る是至々極々也
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『兵術要訓抄録』・心の修行と勇平常心の修行をする時は眞劔といへども恐るゝヿなく心靜る也、又心の修行とは、第一勇を固めて臆を去る、第二捨身其外傳あり、不動心の術者の敵を受ずんば知れがたし、勇を固るとは、山林墓所森川妖怪出る處などへ往き終夜こもるヿなり、是に傳ありといへども、傳を不知とも修すれば德あり、君子は危きに近よらずと云事あれば、道に逆ふやう思ふ人も有べし、然れども危きを遁んためと、敵に勝て大功を立、忠を立ん爲の事にして、君子の道に違ふヿなし、扨又心の行は師傳なくてはならざれども、此書心の道理を說し書なれば、此書の理をよく合點し、我心を此書の通りになるやうに常々修する時は、是則心の修行にて、終に不動心の塲に至るべし、
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『兵術要訓抄録』・術行から至達へ師傳の術を無益の事のやうに思ふは修行たらざるゆへなり、夫よりして師傳の術をすてゝ才覺者となる人多し、修行さへ至れば師傳の術は遣るゝ也、此術行者は終に上手にも達人にも可成、又敵の透を見て擊事を主とする人を至靜者と云は靜心の塲に至りし術者と云ヿにて、敵の透を見て勝を得るとは上手の塲にて未熟ではならざるなり、術行者功を經て至靜者となるべし、又不動心の妙にて勝人を至達者と云は至極達人と云事也、達人とは不動心の術者を云なり、不動心の妙とは不動心に至らざれば知れがたし、又至靜者功を經て至達者となるべし、過陽者才覺者は、至達の塲に至るヿならざる間、此理を合點して過陽者は過陽の過を改め、才覺者は才覺の術理に至らざる事を合點して改めかえて術行至靜を專一にすれば、終に至道の塲に至るべし、又才覺者の謀擊は、術行至靜を專にして折には謀擊をつかふは不苦、術行至靜調ふ時は謀擊の入らぬと云事合點して頼ともせざるなり、過陽者の過は亡命の端なり、恐れ愼むべし、過陽も內心陰にして謀て過陽なるは格別の事にて、才覺者の上手のする事なり、
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五輪書・火の巻陰(かげ)を動かすと云ふは、敵の心の見えわかぬ時の事なり。大分の兵法にしても、何とも敵の位の見わけざる時は、我かたより強くしかくる様に見せて、敵の手だてを見るものなり。手だてを見ては、各別の利にて勝つ事やすき所なり。又一分の兵法にしても、敵うしろに太刀を構へ、脇に構へたる様なる時は、ふつと打たんとすれば、敵思ふ心を太刀に顕すものなり。顕れ知るるに於ては、其の儘利をうけて、慥(たし)かに勝を知るべきものなり。油断すれば、拍子はぬくるものなり。能々(よくよく)吟味有るべし。

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