兵術要訓抄録 / 五つの術者
當流にをいて五術者と云は、兵術者に五つ有り、過陽者、才覺者、術行者、至靜者、至達者也、過陽者とは、心は石にても打碎く心にて、我勇猛を以て破竹の勢をなして敵に向ふ人也、才覺者とは、我才覺を以て敵を謀て擊事を主とする人也、術行者とは師傳の術と我工夫の術を以て勝事を主とする人なり、至靜者とは敵の透を見て擊事を主とする人なり、至達者とは不動心の妙にて勝人を云なり、過陽者とは陽に過ると云ヿにて石にても碎く勢にて敵に向ふは陽なり、兵は陰を專にするなり、陽は動なり、陰は靜なり、靜なるを主とする事兵の專一なるべし、又陽なる時は心動く、心動く時は勝事あたはず、才覺者は勝の理勝の術に闇きが故に我才覺にて人を謀るなり、此才覺者は未熟なる人にも有り、又よほど上手にもある者也、達人にはなし、術行者は術を以て勝たんとするゆへ術を行ふと云ヿにて術行者と云なり、此術行者は過陽者才覺者よりは宜しき所あり、其譯は諸流ともに傳る術は皆勝の術なり、其師より授りたる術を遣ふは修行の本意なり、其上自分工夫の術をつかふは是智なり、尤も術を以て勝事は未熟なる間は出來がたきゆへ、
新字:当流にをいて五術者と云は、兵術者に五つ有り、過陽者、才覚者、術行者、至静者、至達者也、過陽者とは、心は石にても打砕く心にて、我勇猛を以て破竹の勢をなして敵に向ふ人也、才覚者とは、我才覚を以て敵を謀て撃事を主とする人也、術行者とは師伝の術と我工夫の術を以て勝事を主とする人なり、至静者とは敵の透を見て撃事を主とする人なり、至達者とは不動心の妙にて勝人を云なり、過陽者とは陽に過ると云ヿにて石にても砕く勢にて敵に向ふは陽なり、兵は陰を専にするなり、陽は動なり、陰は静なり、静なるを主とする事兵の専一なるべし、又陽なる時は心動く、心動く時は勝事あたはず、才覚者は勝の理勝の術に闇きが故に我才覚にて人を謀るなり、此才覚者は未熟なる人にも有り、又よほど上手にもある者也、達人にはなし、術行者は術を以て勝たんとするゆへ術を行ふと云ヿにて術行者と云なり、此術行者は過陽者才覚者よりは宜しき所あり、其訳は諸流ともに伝る術は皆勝の術なり、其師より授りたる術を遣ふは修行の本意なり、其上自分工夫の術をつかふは是智なり、尤も術を以て勝事は未熟なる間は出来がたきゆへ、
書き下し
當流にをいて五術者と云は、兵術者に五つ有り、過陽者、才覺者、術行者、至靜者、至達者也、過陽者とは、心は石にても打碎く心にて、我勇猛を以て破竹の勢をなして敵に向ふ人也、才覺者とは、我才覺を以て敵を謀て擊事を主とする人也、術行者とは師傳の術と我工夫の術を以て勝事を主とする人なり、至靜者とは敵の透を見て擊事を主とする人なり、至達者とは不動心の妙にて勝人を云なり、過陽者とは陽に過ると云ヿにて石にても碎く勢にて敵に向ふは陽なり、兵は陰を專にするなり、陽は動なり、陰は靜なり、靜なるを主とする事兵の專一なるべし、又陽なる時は心動く、心動く時は勝事あたはず、才覺者は勝の理勝の術に闇きが故に我才覺にて人を謀るなり、此才覺者は未熟なる人にも有り、又よほど上手にもある者也、達人にはなし、術行者は術を以て勝たんとするゆへ術を行ふと云ヿにて術行者と云なり、此術行者は過陽者才覺者よりは宜しき所あり、其譯は諸流ともに傳る術は皆勝の術なり、其師より授りたる術を遣ふは修行の本意なり、其上自分工夫の術をつかふは是智なり、尤も術を以て勝事は未熟なる間は出來がたきゆへ、
現代語訳
この流派で五術者というのは、兵術者に五つの型があるということで、過陽者、才覚者、術行者、至静者、至達者です。過陽者とは、心は石でも打ち砕くつもりで、自分の勇猛さで破竹の勢いをなして敵に向かう人です。才覚者とは、自分の才覚で敵をたばかって撃つことを主とする人です。術行者とは、師伝の術と自分の工夫した術で勝つことを主とする人です。至静者とは、敵の隙を見て撃つことを主とする人です。至達者とは、不動心の妙によって勝つ人をいいます。過陽者とは陽に過ぎるということで、石でも砕く勢いで敵に向かうのは陽です。兵は陰を専らとするものです。陽は動であり、陰は静です。静を主とすることが兵の第一であるべきです。また、陽であるときは心が動き、心が動くときは勝つことができません。才覚者は、勝つ道理や勝つ術に暗いために、自分の才覚で人をたばかります。この才覚者は未熟な人にもあり、またよほど上手な者にもいますが、達人にはいません。術行者は、術を用いて勝とうとするので、術を行うということで術行者といいます。この術行者は、過陽者や才覚者よりはよいところがあります。その訳は、どの流派でも伝える術はみな勝つための術であり、師から授かった術を使うのは修行の本意です。そのうえ自分で工夫した術を使うのは智です。もっとも、術で勝つことは未熟な間はできにくいために、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵術要訓抄録』・術行から至達へ師傳の術を無益の事のやうに思ふは修行たらざるゆへなり、夫よりして師傳の術をすてゝ才覺者となる人多し、修行さへ至れば師傳の術は遣るゝ也、此術行者は終に上手にも達人にも可成、又敵の透を見て擊事を主とする人を至靜者と云は靜心の塲に至りし術者と云ヿにて、敵の透を見て勝を得るとは上手の塲にて未熟ではならざるなり、術行者功を經て至靜者となるべし、又不動心の妙にて勝人を至達者と云は至極達人と云事也、達人とは不動心の術者を云なり、不動心の妙とは不動心に至らざれば知れがたし、又至靜者功を經て至達者となるべし、過陽者才覺者は、至達の塲に至るヿならざる間、此理を合點して過陽者は過陽の過を改め、才覺者は才覺の術理に至らざる事を合點して改めかえて術行至靜を專一にすれば、終に至道の塲に至るべし、又才覺者の謀擊は、術行至靜を專にして折には謀擊をつかふは不苦、術行至靜調ふ時は謀擊の入らぬと云事合點して頼ともせざるなり、過陽者の過は亡命の端なり、恐れ愼むべし、過陽も內心陰にして謀て過陽なるは格別の事にて、才覺者の上手のする事なり、
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『兵術要訓抄録』・陰の敵と陽の敵兵道修行は、陽にして至て動くものなり、勝負に臨む時は、極陰にして靜なり、勝負に臨し時極靜にして、顔色も變ぜず、敵に著ぜず、滿目して敵の顔色を爰を專と打守るにあらず、進むに細き橋を渡るやうにもあらず、大道を歩行が如く、心平常の如くに見ゆるは陰敵なり、是れ勝れたる術者にて敵しがたく、又陽敵とは、一つには顔色石にても打碎く勢をあらはし、二つには怒の躰あり、三つには滿目して敵の顔色を爰を專と打守りて白眼がどし、四つには破竹の勢をなして大聲を發して擊、五つには進退なす術あらき、是等は陽敵といふなり、陽敵は心動くものにして弱也、然し陰敵の謀て陽なる有り、是は油斷ならざるものなり、
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『兵術要訓抄録』・上手と達人上手とは至靜者を云なり、達人とは至達者の事也、術理通達して靜心の塲の術者を上手と云也、過陽者才覺者にも大抵上手はあれども術理聞きが故に上手とは云ひ難し、又術理通達して不動心の術者を達人と云也、名人とは達人の事也、
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『武訓』下・第32段凡、大將として、兵を用ひて戰をする道は、義と、術と、勇と、知との四そなはるべし。第一、義を質とすべし。戰をおこすに、義か不義かをかへりみるべし。軍法調ひ、兵つよくして、敵にかつと必定なり。うつべき敵にあらずして、戰をおこすは不義なり。戰をおこすべからず。是、義を質とするなり。次に、戰をなすには、必、術あるべし。術とは、陣を備へ、敵にかつてだての法なり。戰の術をしらざれば、敵にかちがたし。萬の事、皆、術を量りてなすべし。殊に、戰は、死生存亡のわかるゝ所、尤其の術をしるべし。術なくして戰へば、必敗る。次に、戰をなすには、勇あるべし。勇なければ、敵をやぶるに力なくして、勢なし。又、知以て成すべし。知なければ、始終軍の道成就せず。故に、兵の道は、知を以て始をなし終をなすなり。凡、君子の兵を用ふるには、此の四の者備はらずんばあるべからず。五兵の內、義兵、應兵は、君子の用ふる所なり。忿兵、驕兵、貪兵の三は、君子の用ひざる所、小人の用ふる所なり。
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『兵術要訓抄録』・兵術の二つの要と主静凡そ兵術とは、其の要に二つ有り。蓋し能く師授の形術を執りて以て其の支体を練熟するが一なり。又能く彼此の妙理を察して以て其の動静を神化するが二なり。此の二者は猶ほ車の両輪を備へ、鳥の両翼を共にするがごとし。必ず偏廃すべからず。而して所謂主静なる者は、又其の機軸なり。蓋し言ふ、車は両輪を全くすと雖も、然れども軸無ければ則ち其れ何を以て之を行らんや。鳥は両翼を列ぬと雖も、然れども体無ければ則ち亦之を尸る者無し。故に主静とは此れ其の本なり。如し能く之を知らば、則ち其の心身の作止勝敗の秘密を燭らすこと、亦猶ほ掌を指すがごとし。因りて兵術要訓一巻を撰し、以て其の義を明らかにす。未だ備はらざる者有るが若しと雖も、亦将に以て後学の一助と為さんと云爾。
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『文武訓』武訓上一兵録にいはく、士をしらぶる法に曰、用ふ可らざる者五あり。一には、市中に居てあそびたはぶれてゆるやかに育ちたる者。二には、花鎗花刀とて、やり太刀をつかふに、花やかにうつくしきを専にして、敵に勝つことを専にせざる芸は用なし。三には、年四十を越えてちからよわき人。四には、好んで大言をなして偽をいひ、あだごと多くいふ人は、実なるはたらきなし。五には、面白く胆よわき人は、つよきはたらきなりがたし。

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