兵法家伝書 / 新陰流外物進履橋進履橋の名と奥書
此一卷を進履橋と云事は張良曾石公に履をすゝめて兵道を傳て後張良がはかりごとにより、高祖天下を治め漢家四百年を保しなり。依之其心を取て進履橋と名付たる也。此一卷を橋となして兵法の道を渡るべしとなり。 右外物之書物以今少も相違無之者也仍如件 此一冊ヶ條荒增我等覺之分書與候殘所追而可申聞也 寶永二年酉 六月廿一日 直朝 山崎甚左衞門
新字:此一巻を進履橋と云事は張良曽石公に履をすゝめて兵道を伝て後張良がはかりごとにより、高祖天下を治め漢家四百年を保しなり。依之其心を取て進履橋と名付たる也。此一巻を橋となして兵法の道を渡るべしとなり。 右外物之書物以今少も相違無之者也仍如件 此一冊ヶ条荒增我等覚之分書与候残所追而可申聞也 宝永二年酉 六月廿一日 直朝 山崎甚左衛門
書き下し
此一卷を進履橋と云事は張良曾石公に履をすゝめて兵道を傳て後張良がはかりごとにより、高祖天下を治め漢家四百年を保しなり。依之其心を取て進履橋と名付たる也。此一卷を橋となして兵法の道を渡るべしとなり。 右外物之書物以今少も相違無之者也仍如件 此一冊ヶ條荒增我等覺之分書與候殘所追而可申聞也 寶永二年酉 六月廿一日 直朝 山崎甚左衞門
現代語訳
この一巻を進履橋というのは、張良が黄石公に履を進めて兵道を伝えられた後、張良の謀によって高祖が天下を治め、漢家が四百年を保ったからである。このため、その心を取って進履橋と名付けたのである。この一巻を橋として、兵法の道を渡るべしということである。以上、外物の書物は、今少しも相違のないものである。よって件のとおり。この一冊の箇条は、おおよそ我らが覚えている分を書き与えたものであり、残りの所は追って申し聞かせるであろう。宝永二年酉、六月二十一日、直朝、山崎甚左衛門。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『忍経』圯上取履張良亡げ匿れ、嘗て從容として下邳に遊ぶ。圯上に一老父有り、褐を衣る。良の所に至り、直ちに其の履を圯上に墜す。顧みて良に謂ひて曰く、「孺子、下りて履を取れ」と。良愕然とし、強ひて忍び、下りて履を取り、因りて跪きて進む。父足を以て之を受け、曰く、「孺子教ふべし」と。
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史記 留侯世家留侯張良は、其の先は韓人なり。大父開地、韓の昭侯・宣恵王・襄哀王に相たり。父平、釐王・悼恵王に相たり。悼恵王二十三年、平卒す。卒して二十歳、秦韓を滅ぼす。良年少く、未だ韓に宦事せず。韓破る、良の家僮三百人、弟死して葬らず、悉く家財を以て客を求めて秦王を刺さしめ、韓の為に仇に報いんとす、大父・父五世韓に相たるの故を以てなり。良嘗て礼を淮陽に学ぶ。東のかた倉海君に見ゆ。力士を得て、鉄椎の重さ百二十斤なるを為る。秦の皇帝東游す、良客と秦の皇帝を博浪沙の中に狙撃し、誤りて副車に中つ。秦の皇帝大いに怒り、大いに天下を索め、賊を求むること甚だ急なり、張良の為の故なり。良乃ち名姓を更め、亡げて下邳に匿る。良嘗て間に従容として下邳の圯上に歩游す、一老父有り、褐を衣て、良の所に至り、直ちに其の履を圯下に墮とし、顧みて良に謂ひて曰く、「孺子、下りて履を取れ」と。良鄂然とし、之を殴たんと欲す。其の老いたるが為に、彊ひて忍び、下りて履を取る。父曰く、「我に履かせよ」と。良業に為に履を取る、因りて長跪して之を履かしむ。父足を以て受け、笑ひて去る。良殊に大いに驚き、随ひて之を目す。父去ること里所にして、復た還りて曰く、「孺子教ふべし。後五日平明、我と此に会せよ」と。良因りて之を怪しみ、跪きて曰く、「諾」と。五日平明、良往く。父已に先に在り、怒りて曰く、「老人と期して、後るるは、何ぞや」と。去りて、曰く、「後五日早く会せよ」と。五日鶏鳴、良往く。父又先に在り、復た怒りて曰く、「後るるは、何ぞや」と。去りて、曰く、「後五日復た早く来たれ」と。五日、良夜未だ半ばならざるに往く。頃有りて、父も亦た来たり、喜びて曰く、「当に是くの如くすべし」と。一編の書を出だして、曰く、「此を読まば則ち王者の師と為らん。後十年にして興らん。十三年にして孺子我を済北に見ん、穀城山下の黄石は即ち我なり」と。遂に去り、他言無く、復た見えず。旦日其の書を視れば、乃ち太公兵法なり。良因りて之を異とし、常に習ひて之を誦読す。下邳に居り、任俠を為す。
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『潜夫論』誌氏姓衛の公族は、石氏・世叔氏・孫氏・寧氏・子斉氏・司徒氏・公文氏・折(析)亀氏・公叔氏・公南氏・公上氏・公孟氏、将者も亦常に棹寵に在りて貴臣と為る。留侯張良に及び、韓の公族にして、姫姓なり。秦の始皇韓を滅ぼし、良の弟死すも葬らず。良家貲千万を散じ、韓の為に仇を報い、始皇を博浪沙の中に撃ち、誤りて副車を椎つ。秦賊を索むること急にして、良乃ち姓を変へて張と為し、下邳に匿れ、神人黄石公に遇ひ、之に兵法を遺らる。沛公の起つに及び、良往きて焉に属す。沛公与に韓信をして韓の地を略定せしめ、横陽君城を立てて韓王と為し、而して良を拝して韓の信都と為す。信都とは、司徒なり、俗に前音正しからず信都と曰ひ、或いは司徒と曰ひ、或いは勝屠と曰ふも、然れども其の本は共に一の司徒のみ。後に伝を作る者は信都の何に因るかを知らず、彊ひて妄りに意を生じ、以為へらく此れ乃ち代王の信都為るなりと。凡そ桓叔の後に、韓氏・言氏・嬰氏・禍余氏・公族氏・張氏有り、此れ皆韓の後の姫姓なり。昔周の宣王にも亦韓侯有り、其の国は燕に近し、故に詩に云ふ、「普彼の韓城、燕の師の完くせし所なり」と。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇昔は人の心正くて自ら将門にみもこり、きゝもこり侍りけん。今は人々の心かくのみなりにたれば、此世はよくおとろへぬるにや。漢高祖の天下をとりしは蕭何・張良・韓信が力なり。これを三傑と云ふ。万人にすぐれたるを傑と云とぞ。中にも張良は高祖の師として、「はかりことを帷帳の中にめぐらして、勝ことを千里の外に決するはこの人なり。」との給しかど、張良はおごることなくして、留といひてすこしきなる所をのぞみて封ぜられにけり。あらゆる功臣おほくほろびしかど、張良は身をまたくしたりき。ちかき代のことぞかし、頼朝の時までも、文治の比にや、奥の泰衡を追討せしに、みづからむかふことありしに、平重忠が先陣にて其功すぐれたりければ、五十四郡の中に、いづくをものぞむべかりけるに、長岡の郡とてきはめたる小所をのぞみたまはりけるとぞ。これは人々にひろく賞をもおこなはしめんがためにや。かしこかりけるをのこにこそ。又直実と云ける者に一所をあたへたまふ下文に、「日本第一の甲の者なり。」と書て給てけり。
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史記 太史公自序能く意を彊秦に信べ、而して体を廉子に屈し、用て其の君に徇ひ、俱に諸侯に重んぜらる。廉頗藺相如列伝第二十一を作る。湣王既に臨淄を失ひて莒に奔る。唯だ田単のみ即墨を用て騎劫を破走し、遂に斉の社稷を存す。田単列伝第二十二を作る。能く詭説を設けて患ひを囲城に解き、爵禄を軽んじ、志を肆にするを楽しむ。魯仲連鄒陽列伝第二十三を作る。辞を作りて以て諷諫し、類を連ねて以て義を争ふ。離騒之有り。屈原賈生列伝第二十四を作る。子楚に結びて親しみ、諸侯の士をして斐然として争ひて入りて秦に事へしむ。呂不韋列伝第二十五を作る。曹子の匕首、魯其の田を獲、斉其の信を明らかにす。豫譲は義として二心を為さず。刺客列伝第二十六を作る。能く其の画を明らかにし、時に因りて秦を推し、遂に意を海内に得たり。斯は謀首たり。李斯列伝第二十七を作る。秦の為に地を開き衆を益し、北のかた匈奴を靡し、河に拠りて塞と為し、山に因りて固めと為し、楡中を建つ。蒙恬列伝第二十八を作る。趙を填め常山を塞ぎて以て河内を広め、楚の権を弱め、漢王の信を天下に明らかにす。張耳陳余列伝第二十九を作る。西河・上党の兵を収め、従ひて彭城に至る。越の梁地を侵掠して以て項羽を苦しむ。魏豹彭越列伝第三十を作る。淮南を以て楚に叛きて漢に帰し、漢用て大司馬殷を得、卒に子羽を垓下に破る。黥布列伝第三十一を作る。楚人我を京・索に迫る。而して信は魏・趙を抜き、燕・斉を定め、漢をして天下を三分して其の二を有たしめ、以て項籍を滅ぼす。淮陰侯列伝第三十二を作る。楚漢鞏・洛に相距ぐ。而して韓信は為に潁川を填め、盧綰は籍の糧餉を絶つ。韓信盧綰列伝第三十三を作る。
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史記 太史公自序信と魏を定め、趙を破り斉を抜き、遂に楚人を弱む。何に続きて相国たり、変ぜず革めず、黎庶寧き攸。参の功に伐らず能に矜らざるを嘉し、曹相国世家第二十四を作る。籌を帷幄の中に運らし、勝ちを無形に制す。子房、其の事を計謀し、知名無く、勇功無し。難を易に図り、大を細に為す。留侯世家第二十五を作る。六奇既に用ひられ、諸侯漢に賓従す。呂氏の事、平本謀を為し、終に宗廟を安んじ、社稷を定む。陳丞相世家第二十六を作る。諸呂従を為し、京師を弱めんと謀る。而して勃は経に反して権に合す。呉楚の兵、亜夫昌邑に駐り、以て斉趙を戹し、而して出だして委ぬるに梁を以てす。絳侯世家第二十七を作る。七国叛逆し、京師を蕃屏するは、唯だ梁のみ捍と為る。愛を偩み功に矜り、幾ど禍を獲んとす。其の能く呉楚を距ぐを嘉し、梁孝王世家第二十八を作る。五宗既に王たり、親属洽和し、諸侯大小藩と為り、爰に其の宜を得、僭擬の事稍々衰貶す。五宗世家第二十九を作る。三子の王たる、文辞観る可し。三王世家第三十を作る。末世利を争ふに、維れ彼は義に奔る。国を譲りて餓死し、天下之を称す。伯夷列伝第一を作る。晏子は倹、夷吾は則ち奢。斉桓以て覇たり、景公以て治まる。管晏列伝第二を作る。李耳は無為にして自ら化し、清浄にして自ら正し。韓非は事情を揣り、埶理に循ふ。老子韓非列伝第三を作る。古より王者にして司馬法有り、穰苴能く之を申明す。司馬穰苴列伝第四を作る。信廉仁勇に非ずんば兵を伝へ剣を論ずる能はず、道と符を同じくす。内は以て身を治む可く、外は以て変に応ず可し。君子徳を比す。孫子呉起列伝第五を作る。維れ建讒に遇ひ、爰に子奢に及ぶ。尚既に父を匡し、伍員呉に奔る。
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