兵法家伝書 / 活人劔眞妄の哥本心と妄心
「さる哥に 妄「心こそ 妄心とてあしき心也、我本心をまよはするなり 本「心まよわす 本心なり此心を妄心がまよはす也 妄「心なれ 妄心をさして、心なれと云也、心をまよはす心也とさしていふ也、妄心なり 「心に 妄心也此妄心にと云也 「心 本心也、心殿とよびかけて本心に妄心に心ゆるすなと也 「心ゆるすな 本心なり妄心に本心をゆるすなと云なり 右の哥眞妄をいふ也、心に本心・妄心とて二ッあり、本心を得て本心の様になせば、一切の事すぐ也、此本心妄心におほわれて、まがりけがれぬれば、一切のしわざ、まがりけがれぬる也、本心妄心とて黒白なる物二ッならびて、各々にあるべきにあらず、本心と云は、本來の面目父母未生以前よりそなわりて、かたちなければ、生ずると云事なし、滅する事なし、形こそは父母もうみなせ、心はかたちなければ、父母の生なせるとも云がたし、人と生るれば、そなわりて此身にあり、禪には此心を傳へたる宗旨也と承る所也、又相似の禪とて、似たる事をいひて、眞の道にあらぬ人多し、禪者とて、一圖にあらぬと也、
新字:「さる歌に 妄「心こそ 妄心とてあしき心也、我本心をまよはするなり 本「心まよわす 本心なり此心を妄心がまよはす也 妄「心なれ 妄心をさして、心なれと云也、心をまよはす心也とさしていふ也、妄心なり 「心に 妄心也此妄心にと云也 「心 本心也、心殿とよびかけて本心に妄心に心ゆるすなと也 「心ゆるすな 本心なり妄心に本心をゆるすなと云なり 右の歌真妄をいふ也、心に本心・妄心とて二ッあり、本心を得て本心の様になせば、一切の事すぐ也、此本心妄心におほわれて、まがりけがれぬれば、一切のしわざ、まがりけがれぬる也、本心妄心とて黒白なる物二ッならびて、各々にあるべきにあらず、本心と云は、本来の面目父母未生以前よりそなわりて、かたちなければ、生ずると云事なし、滅する事なし、形こそは父母もうみなせ、心はかたちなければ、父母の生なせるとも云がたし、人と生るれば、そなわりて此身にあり、禅には此心を伝へたる宗旨也と承る所也、又相似の禅とて、似たる事をいひて、真の道にあらぬ人多し、禅者とて、一図にあらぬと也、
書き下し
「さる哥に 妄「心こそ 妄心とてあしき心也、我本心をまよはするなり 本「心まよわす 本心なり此心を妄心がまよはす也 妄「心なれ 妄心をさして、心なれと云也、心をまよはす心也とさしていふ也、妄心なり 「心に 妄心也此妄心にと云也 「心 本心也、心殿とよびかけて本心に妄心に心ゆるすなと也 「心ゆるすな 本心なり妄心に本心をゆるすなと云なり 右の哥眞妄をいふ也、心に本心・妄心とて二ッあり、本心を得て本心の様になせば、一切の事すぐ也、此本心妄心におほわれて、まがりけがれぬれば、一切のしわざ、まがりけがれぬる也、本心妄心とて黒白なる物二ッならびて、各々にあるべきにあらず、本心と云は、本來の面目父母未生以前よりそなわりて、かたちなければ、生ずると云事なし、滅する事なし、形こそは父母もうみなせ、心はかたちなければ、父母の生なせるとも云がたし、人と生るれば、そなわりて此身にあり、禪には此心を傳へたる宗旨也と承る所也、又相似の禪とて、似たる事をいひて、眞の道にあらぬ人多し、禪者とて、一圖にあらぬと也、
現代語訳
「さる歌に」の続き。妄「心こそ 妄心といって悪い心である。自分の本心を迷わせるのである。本「心まどわす 本心である。この心を妄心が迷わせるのである。妄「心なれ 妄心を指して、心なれと言う。心を迷わせる心だと指して言うのである。妄心である。「心に 妄心である。この妄心にと言うのである。「心 本心である。心殿と呼びかけて、本心に呼びかけているのである。「心ゆるすな 本心である。妄心に本心を許すなと言うのである。右の歌は真と妄を言うものである。心に本心・妄心とて二つあり、本心を得て本心のようになせば、一切のことがすなおである。この本心が妄心に覆われて、曲がり汚れれば、一切のしわざが曲がり汚れる。本心・妄心といって、黒白のようなものが二つ並んで、それぞれにあるわけではない。本心というのは、本来の面目、父母未生以前から備わっていて、形がないので、生ずるということがない。滅することもない。形こそは父母も生み出すが、心は形がないので、父母が生み出したとも言いがたい。人と生まれれば備わって、この身にある。禅にはこの心を伝えた宗旨であると承っているところである。また相似の禅といって、似たことを言って、真の道でない人が多い。禅者といっても、ひたすらそうなのではない、とのことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵法家伝書』活人劔「本心と妄心」すぐなる心をば本心と申也、又は道心とも云也、曲汚たる心は妄心と云、人心とも申也、我が本心をさとり得て、其本心に我がなすわざのかなふ人は床しき事なり、此言葉我よく心を得て如此いふにあらず、如斯いふといへども、われも心のすぐにして、すぐなる心にかなふごとくに、身の進退動静する事は難成事なれども、道なればしるす者也、
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『兵法家伝書』活人劔「妄心は邪、本心に叶えば名人」妄心は何事をなせども邪也、此邪の心が出たらば、兵法も負べし、弓もあたるべからず、鐵炮もはづるべし、馬ものらるまじ、能も見ぐるしかるべし、舞もきゝぐるしかるべし、云事もあやまりあらはるべし、一切皆たがふべし、本心に叶ば、何事も皆よろしかるべし、僞をかまへて、僞りなきと云、其言葉妄心なる故に、早く其僞りあらはるゝ也、心まことなれば、ことわりに不及して聞く人やがて知る、本心にことわり不入物也、妄心は心の病なり、此妄をさるを、病氣を去ルと云也、此病氣をされば、無病の心也、卽此無病の心を、本心と云、本心にかなはゞ、兵法は名人なるべし、ありとあらゆる程の事一も此道理にはづるべからず
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『不動智神妙録』本心妄心本心妄心と申す事の候、本心と申すは一所に留らず、全身全体に延び広ごりたる心にて候、妄心は何ぞ思ひつめて一所に固まり候心にて、本心が一所に固まり集りて妄心と申すものに成り申し候、本心は失ひ候と所々の用か欠ける程に、失はぬ様にするが本心なり、
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『兵法家伝書』活人劔「妄心は血氣」妄心といふは、血氣也、私也、血氣也とは、いかんとならば、血のわざなり、血がうごきて上へあがり顔の色變じ怒りを出す、又我が愛する所を人惡めば怒り恨み、或はまた我がにくむ所を、人同心ににくめば、悦びをなし、非を曲て理となす、人至寶をあとふれば、是を請て悦びをなし、顔に笑をふくみ、血氣顔にうるほひを生ず、於此以非爲理皆是此身の血氣肉身より時にあたつて、わき出る心也、是を妄心と云、此妄心がおこれば、本心かくれて、妄心となりて、皆おしき事のみあらはるゝ也、しかれば道有る人は本心にもとづきて、妄心をうすくする故に尊し、無道の人は本心かくれ妄心さかんなる故に、曲事のみにして、曲り濁りたる名を取る也、右の哥はたけもなき哥なれども、邪正をよく云わけたる也、
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『不動智神妙録』本心妄心たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不申候、氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし、心一所に固まり一事に留まり候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候、心を溶かして総身へ水の延ひるやうに用ゐ、其所に遣りたきまゝに遣りて使ひ候、是れを本心と申し候、
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『兵法家伝書』殺人刀「鏡の胸の内(平常心)」道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の內は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は卽あしく、或は兩度よく、又一度あしく、よき事兩度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、兩度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
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