兵法家伝書 / 活人劔妄心は血氣
妄心といふは、血氣也、私也、血氣也とは、いかんとならば、血のわざなり、血がうごきて上へあがり顔の色變じ怒りを出す、又我が愛する所を人惡めば怒り恨み、或はまた我がにくむ所を、人同心ににくめば、悦びをなし、非を曲て理となす、人至寶をあとふれば、是を請て悦びをなし、顔に笑をふくみ、血氣顔にうるほひを生ず、於此以非爲理皆是此身の血氣肉身より時にあたつて、わき出る心也、是を妄心と云、此妄心がおこれば、本心かくれて、妄心となりて、皆おしき事のみあらはるゝ也、しかれば道有る人は本心にもとづきて、妄心をうすくする故に尊し、無道の人は本心かくれ妄心さかんなる故に、曲事のみにして、曲り濁りたる名を取る也、右の哥はたけもなき哥なれども、邪正をよく云わけたる也、
新字:妄心といふは、血気也、私也、血気也とは、いかんとならば、血のわざなり、血がうごきて上へあがり顔の色変じ怒りを出す、又我が愛する所を人悪めば怒り恨み、或はまた我がにくむ所を、人同心ににくめば、悦びをなし、非を曲て理となす、人至宝をあとふれば、是を請て悦びをなし、顔に笑をふくみ、血気顔にうるほひを生ず、於此以非為理皆是此身の血気肉身より時にあたつて、わき出る心也、是を妄心と云、此妄心がおこれば、本心かくれて、妄心となりて、皆おしき事のみあらはるゝ也、しかれば道有る人は本心にもとづきて、妄心をうすくする故に尊し、無道の人は本心かくれ妄心さかんなる故に、曲事のみにして、曲り濁りたる名を取る也、右の歌はたけもなき歌なれども、邪正をよく云わけたる也、
書き下し
妄心といふは、血氣也、私也、血氣也とは、いかんとならば、血のわざなり、血がうごきて上へあがり顔の色變じ怒りを出す、又我が愛する所を人惡めば怒り恨み、或はまた我がにくむ所を、人同心ににくめば、悦びをなし、非を曲て理となす、人至寶をあとふれば、是を請て悦びをなし、顔に笑をふくみ、血氣顔にうるほひを生ず、於此以非爲理皆是此身の血氣肉身より時にあたつて、わき出る心也、是を妄心と云、此妄心がおこれば、本心かくれて、妄心となりて、皆おしき事のみあらはるゝ也、しかれば道有る人は本心にもとづきて、妄心をうすくする故に尊し、無道の人は本心かくれ妄心さかんなる故に、曲事のみにして、曲り濁りたる名を取る也、右の哥はたけもなき哥なれども、邪正をよく云わけたる也、
現代語訳
妄心というのは、血気である。私である。血気であるとは、どういうことかというと、血のわざである。血が動いて上へあがり、顔の色が変わり、怒りを出す。また自分が愛するものを人が憎めば怒り恨み、あるいはまた自分が憎むものを人が同じく憎めば喜びをなし、非を曲げて理とする。人が至宝を与えれば、これを受けて喜びをなし、顔に笑いを含み、血気が顔に潤いを生ずる。これらはみな、この身の血気、肉身から、時に当たって湧き出る心である。これを妄心という。この妄心が起これば、本心は隠れ、妄心となって、すべて惜しいことばかりが現れるのである。そうであるから、道のある人は本心に基づいて妄心を薄くするので尊い。無道の人は本心が隠れ妄心が盛んなので、曲事ばかりで、曲がり濁った名を取る。右の歌は、丈もない歌であるが、邪と正をよく言い分けたものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵法家伝書』活人劔「本心と妄心」すぐなる心をば本心と申也、又は道心とも云也、曲汚たる心は妄心と云、人心とも申也、我が本心をさとり得て、其本心に我がなすわざのかなふ人は床しき事なり、此言葉我よく心を得て如此いふにあらず、如斯いふといへども、われも心のすぐにして、すぐなる心にかなふごとくに、身の進退動静する事は難成事なれども、道なればしるす者也、
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『兵法家伝書』活人劔「妄心は邪、本心に叶えば名人」妄心は何事をなせども邪也、此邪の心が出たらば、兵法も負べし、弓もあたるべからず、鐵炮もはづるべし、馬ものらるまじ、能も見ぐるしかるべし、舞もきゝぐるしかるべし、云事もあやまりあらはるべし、一切皆たがふべし、本心に叶ば、何事も皆よろしかるべし、僞をかまへて、僞りなきと云、其言葉妄心なる故に、早く其僞りあらはるゝ也、心まことなれば、ことわりに不及して聞く人やがて知る、本心にことわり不入物也、妄心は心の病なり、此妄をさるを、病氣を去ルと云也、此病氣をされば、無病の心也、卽此無病の心を、本心と云、本心にかなはゞ、兵法は名人なるべし、ありとあらゆる程の事一も此道理にはづるべからず
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『兵法家伝書』活人劔「眞妄の哥(本心と妄心)」「さる哥に 妄「心こそ 妄心とてあしき心也、我本心をまよはするなり 本「心まよわす 本心なり此心を妄心がまよはす也 妄「心なれ 妄心をさして、心なれと云也、心をまよはす心也とさしていふ也、妄心なり 「心に 妄心也此妄心にと云也 「心 本心也、心殿とよびかけて本心に妄心に心ゆるすなと也 「心ゆるすな 本心なり妄心に本心をゆるすなと云なり 右の哥眞妄をいふ也、心に本心・妄心とて二ッあり、本心を得て本心の様になせば、一切の事すぐ也、此本心妄心におほわれて、まがりけがれぬれば、一切のしわざ、まがりけがれぬる也、本心妄心とて黒白なる物二ッならびて、各々にあるべきにあらず、本心と云は、本來の面目父母未生以前よりそなわりて、かたちなければ、生ずると云事なし、滅する事なし、形こそは父母もうみなせ、心はかたちなければ、父母の生なせるとも云がたし、人と生るれば、そなわりて此身にあり、禪には此心を傳へたる宗旨也と承る所也、又相似の禪とて、似たる事をいひて、眞の道にあらぬ人多し、禪者とて、一圖にあらぬと也、
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『不動智神妙録』本心妄心本心妄心と申す事の候、本心と申すは一所に留らず、全身全体に延び広ごりたる心にて候、妄心は何ぞ思ひつめて一所に固まり候心にて、本心が一所に固まり集りて妄心と申すものに成り申し候、本心は失ひ候と所々の用か欠ける程に、失はぬ様にするが本心なり、
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『兵法家伝書』活人劔「心を見付けて悟る」此心を一度見付てさとり明る事大切也、人ごとに我は心を見ひらきてよく我心をつかひ得たりと云とも、此心をとくと見付たる人はまれ也となり、さとらざるしるしは、其身にあらはるべし、見しらざる者は、よく見しるべし、さとりたらば、一切のするわざ言ふ事其身のおこなひすぐなるべし、すくならずば明らめたる人とはいひがたしと也、
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『兵法家伝書』活人劔「天地の心・身の主人」人の様々のわざ皆心のわざなれば、又天地にも此心あり、是天地の心と云、此心がうごけば、雷電風雨をおこし、時ならぬ雲の氣色炎天に雪霰を飛し、氷をふらしなどして、人をやましめなどする事あり、しかれば此空は天地にありては、天地のあるじ、人の身にありては、人の身のあるじ、舞をまへば、舞のあるじ、能をすれば、能のあるじ、兵法をつかへば、兵法のあるじ、鐵炮をうてば、鐵炮のあるじ、弓を射れば弓のあるじ、馬を乗ば馬の主し也、此あるじに私曲あれば、馬にものられず、弓もあたらず、鐵炮もはづるべし、此身によく此心が座敷位を得て、在所にすわりぬれば、よろづの道自由也、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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