不動智神妙録 / 本心妄心
たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不申候、氷を解かして水と爲し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし、心一所に固まり一事に留まり候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候、心を溶かして總身へ水の延ひるやうに用ゐ、其所に遣りたきまゝに遣りて使ひ候、是れを本心と申し候、
新字:たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不申候、氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし、心一所に固まり一事に留まり候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候、心を溶かして総身へ水の延ひるやうに用ゐ、其所に遣りたきまゝに遣りて使ひ候、是れを本心と申し候、
書き下し
たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不申候、氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし、心一所に固まり一事に留まり候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候、心を溶かして総身へ水の延ひるやうに用ゐ、其所に遣りたきまゝに遣りて使ひ候、是れを本心と申し候、
現代語訳
たとえば、本心は水のように一か所にとどまらず、妄心は氷のようで、氷では手も頭も洗うことができません。氷を溶かして水とし、どこへでも流れるようにして、手足でも何でも洗えばよいのです。心が一か所に固まり、一つの事にとどまれば、氷が固まって自由に使えず、氷で手足が洗えないのと同じです。心を溶かして全身へ水が行き渡るように用い、その場所へ遣りたいままに遣って使うのです。これを本心と言います。
解説
水と氷の比喩は、この書の中でも特に分かりやすく美しい。水と氷は同じものだが、固まれば手も洗えない。心も同じで、思いつめて固まれば役に立たず、溶かせば全身に行き渡ってどこででも使える。凝り固まった考えや感情を責めるのではなく、溶かせばよいという発想は、自分自身にも他人にもやさしい。組織の硬直した慣習や、こじれた人間関係を解きほぐす場面でも、この比喩は大きな示唆を与えてくれる。
この章句が説くこと
本心妄心水と氷柔軟比喩解きほぐす
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