兵法家伝書 / 殺人刀鏡の胸の内平常心
道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の內は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は卽あしく、或は兩度よく、又一度あしく、よき事兩度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、兩度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
新字:道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の内は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は即あしく、或は両度よく、又一度あしく、よき事両度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、両度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
書き下し
道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の內は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は卽あしく、或は兩度よく、又一度あしく、よき事兩度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、兩度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
現代語訳
道といって何であれ一筋にこれこそと胸に置くなら、それは道ではない。胸に何事もない人が道を行く者である。胸には何事もなくて、何をするにもやすやすとできる。鏡がいつも澄んでいて何の形もないために、向かうものの形が何でも映って明らかなようなものである。道を行く者の胸の内は鏡のようで、何もなくて明らかだから、無心で、あらゆる事に一つも欠けるところがない。これがただ平常心である。この平常心であらゆる事をなす人を、世の人は名人と呼ぶ。万事をなすのに、なす心を正しく持ち、その心を外に散らさず一筋にその事をするのに、しどろもどろで、一度はよく、よいかと思えば次は悪く、二度よく一度悪く、よい事が二度になったと喜べばまた悪い事が二度になり、すべてが定まらない。これはよくしようと思う心でするからである。いつとなく功が積もり稽古が重なれば、早くよくしようと思う心がすっと遠のき、何をなすにも思わずに無心無念となって、木で作った道幸の坊が曲芸をするような位になる。このときは自分も知らず、心になす事がなく、身と手足がするので、十度は十度ながら外れない。その間にも少しでも心にかかれば外れる。無心のときは皆当たる。無心といって一切の心がないのではない。ただ平常心である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵法家伝書』殺人刀「着をはなれる(平等心是道)」右の話諸道に通じたる道理也、道とは何たる事を云ぞととへば、常の心を道と云也と答へられたり、實に至極の事也、心の病皆去て常の心に成て、病と交りて、病なき位なり、
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『兵法家伝書』殺人刀「常の心(弓射る時弓射る心)」世法の上に引合せていはゞ、弓射る時に弓射とおもふ心あらば、弓前みだれて不可定、太刀つかふ時、太刀前定るべからず、物を云時、物かく心あらば筆定るべからず、琴を引とも、琴をひく心あらば曲亂るべし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心にて、弓を射はるべし、太刀遣ふも馬に乘も太刀つかはず馬のらず物かゝず琴ひかず、一切やめて何もなす事なき、常の心にてよろづをする時、よろづの事難なく、する〱とゆく也、
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『兵法家伝書』無刀之卷「法尚應捨(常の心)」法尚應捨何況非法 此文の心は、法とは眞實の正法也、正法也とも、一度さとり終りては、心にとむべからず、法尚應捨と也、正法さへ悟て後是を胸にとゞめず、胸の塵也、何況非法をやと也、正法さへ捨べし、いわむや非法ならば、是を胸に置べからずといへる也、一切の道理を見おはりて、皆胸にとゞめず、はらり〱とすてゝ胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす此位にいたらずば、兵法の名人とは難言也、兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申也、兵法一ッに限るべからず、よろづの道如此也、兵法遣ふに兵法の心、 のかずば病氣也、弓射るに弓射る心がのかずば、弓の病也、唯常の心に成て、太刀を遣ひ弓を射ば、弓に難なく、太刀自由なるべし、何事にもおどろかず、常の心よろづによし、平生の心を失ひて、何にても、其事をいはんとおもはゞ聲ふるふべし、常の心を失ひて人の前にて物を書ならば、手ふるふべし、常の心とは、胸に何事も不残不置跡をはらり〱とすて、胸が空虚になれば、常の心なり、儒書を讀む人此虚心の道理を不心得してひとへに敬の字の儀に落る也、敬の字心は至極向上にはあらず、階の一二段にある修行也とぞ
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『兵法家伝書』殺人刀「木人如對花鳥」木人如對花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に內外ともにうごく也、動轉する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動轉せぬ云樣かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸佛の不動心といへる事、實に殊勝に覺ゆ 右之兩條は兵法の病氣をさると云心持にあて用る事也
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『兵法家伝書』活人劔「本心と妄心」すぐなる心をば本心と申也、又は道心とも云也、曲汚たる心は妄心と云、人心とも申也、我が本心をさとり得て、其本心に我がなすわざのかなふ人は床しき事なり、此言葉我よく心を得て如此いふにあらず、如斯いふといへども、われも心のすぐにして、すぐなる心にかなふごとくに、身の進退動静する事は難成事なれども、道なればしるす者也、
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『兵法家伝書』活人劔「妄心は邪、本心に叶えば名人」妄心は何事をなせども邪也、此邪の心が出たらば、兵法も負べし、弓もあたるべからず、鐵炮もはづるべし、馬ものらるまじ、能も見ぐるしかるべし、舞もきゝぐるしかるべし、云事もあやまりあらはるべし、一切皆たがふべし、本心に叶ば、何事も皆よろしかるべし、僞をかまへて、僞りなきと云、其言葉妄心なる故に、早く其僞りあらはるゝ也、心まことなれば、ことわりに不及して聞く人やがて知る、本心にことわり不入物也、妄心は心の病なり、此妄をさるを、病氣を去ルと云也、此病氣をされば、無病の心也、卽此無病の心を、本心と云、本心にかなはゞ、兵法は名人なるべし、ありとあらゆる程の事一も此道理にはづるべからず
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