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不動智神妙録 / 求放心と心要放

稽古の時は孟子が謂ふ不見放心と申す心持能く候、至極の時は邵康節が心要放と申すにて候、中峯和尙の語に見放心とあり、此意は即ち邵康節が心をば放さんことを要せよと云ひたると一つにて、放心を求めよ引きとヾめて一所に置くなと申す義にて候、又具不退轉と云ふ、是れも中峯和尙の言葉なり、退轉せずに替はらぬ心を持てと云ふ義なり、人たヾ一度二度は能く行けども、又つなかれて常に無い裡に退轉せぬやうなる心を心持てと申す事にて候。

新字:稽古の時は孟子が謂ふ不見放心と申す心持能く候、至極の時は邵康節が心要放と申すにて候、中峯和尚の語に見放心とあり、此意は即ち邵康節が心をば放さんことを要せよと云ひたると一つにて、放心を求めよ引きとヾめて一所に置くなと申す義にて候、又具不退転と云ふ、是れも中峯和尚の言葉なり、退転せずに替はらぬ心を持てと云ふ義なり、人たヾ一度二度は能く行けども、又つなかれて常に無い裡に退転せぬやうなる心を心持てと申す事にて候。

書き下し

稽古の時は孟子が謂ふ不見放心と申す心持能く候、至極の時は邵康節が心要放と申すにて候、中峯和尚の語に見放心とあり、此意は即ち邵康節が心をば放さんことを要せよと云ひたると一つにて、放心を求めよ引きとヾめて一所に置くなと申す義にて候、又具不退転と云ふ、是れも中峯和尚の言葉なり、退転せずに替はらぬ心を持てと云ふ義なり、人たヾ一度二度は能く行けども、又つなかれて常に無い裡に退転せぬやうなる心を心持てと申す事にて候。

現代語訳

稽古のときは、孟子の言う放心を求めよという心持ちがよいのです。至り極めたときは、邵康節の言う心は放つことを要す、なのです。中峰和尚の言葉に、放心を具えよ、とあります。この意味は、邵康節が心を放つことを要せよと言ったのと同じで、放心を求めよ、引きとどめて一か所に置くな、ということです。また、不退転を具えよ、と言います。これも中峰和尚の言葉です。退かず、変わらない心を持て、という意味です。人は一度二度はうまく行っても、また疲れてしまい、いつもそうはいかないので、退かないような心を持て、ということです。

解説

孟子と邵康節の一見矛盾する教えを、稽古の段階では心を求め、極めた段階では心を放つ、と整理して結論づける。さらに元の禅僧中峰明本の言葉を引き、放心を具えることと、不退転の心を持つことを説く。底本は中峰の語を見放心と作るが、ここでは具放心の意として訳した。一度や二度うまくいっても、続かなければ意味がない。段階に応じた心の使い方と、それを持続させる心の両方が必要だという、実践的なまとめである。

この章句が説くこと

求放心心要放中峰明本不退転段階継続

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