兵法家伝書 / 殺人刀常の心弓射る時弓射る心
世法の上に引合せていはゞ、弓射る時に弓射とおもふ心あらば、弓前みだれて不可定、太刀つかふ時、太刀前定るべからず、物を云時、物かく心あらば筆定るべからず、琴を引とも、琴をひく心あらば曲亂るべし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心にて、弓を射はるべし、太刀遣ふも馬に乘も太刀つかはず馬のらず物かゝず琴ひかず、一切やめて何もなす事なき、常の心にてよろづをする時、よろづの事難なく、する〱とゆく也、
新字:世法の上に引合せていはゞ、弓射る時に弓射とおもふ心あらば、弓前みだれて不可定、太刀つかふ時、太刀前定るべからず、物を云時、物かく心あらば筆定るべからず、琴を引とも、琴をひく心あらば曲乱るべし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心にて、弓を射はるべし、太刀遣ふも馬に乗も太刀つかはず馬のらず物かゝず琴ひかず、一切やめて何もなす事なき、常の心にてよろづをする時、よろづの事難なく、する〱とゆく也、
書き下し
世法の上に引合せていはゞ、弓射る時に弓射とおもふ心あらば、弓前みだれて不可定、太刀つかふ時、太刀前定るべからず、物を云時、物かく心あらば筆定るべからず、琴を引とも、琴をひく心あらば曲亂るべし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心にて、弓を射はるべし、太刀遣ふも馬に乘も太刀つかはず馬のらず物かゝず琴ひかず、一切やめて何もなす事なき、常の心にてよろづをする時、よろづの事難なく、する〱とゆく也、
現代語訳
世間の事に引き合わせて言えば、弓を射るときに「弓を射る」と思う心があれば、弓の前が乱れて定まらない。太刀を使うときも、太刀先は定まらない。物を言うときに「物を書く」心があれば筆が定まらず、琴を弾くときも「琴を弾く」心があれば曲が乱れるだろう。弓を射る人は、弓を射る心を忘れ、何事もしていないときの常の心で弓を射終えるべきである。太刀を使うのも馬に乗るのも同じで、太刀を使わず、馬に乗らず、物を書かず、琴を弾かず、一切をやめて何もしていない常の心で万事をするとき、どんな事も難なく、すらすらと運ぶのである。
解説
この章句が説くこと
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人生を、一行の式にしてみた。
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