兵法家伝書 / 殺人刀大學は初學の門
○大學は初學の門也と云事 凡家に至るには先門より入者也、然ば門は家に至るしるべなり、此門をとをりて、家に入り、主人にあふ也、學は道に至る門なり、此門をとをりて道にいたる也、しかれば、學は門なり、家に非ず、門を見て家なりと思ふ事なかれ、家は門をとをり過ておくにある物也、學は門なれば文書をよみて、是が道也とおもふ事なかれ、文書は道にいたる門なり、さるに依て、何程學問をし文字多く知りても道にくらき人あり、書に向てはよく讀み古人の注のごとくよみながせども、道理にくらければ道を我物にする事ならざる也、しかるとて學びずして道にいたる事も又かたし、學問してよく物をいふとて道明めたる人とも云がたし、學ずして天然と道にかなふ人も有事なり、
新字:○大学は初学の門也と云事 凡家に至るには先門より入者也、然ば門は家に至るしるべなり、此門をとをりて、家に入り、主人にあふ也、学は道に至る門なり、此門をとをりて道にいたる也、しかれば、学は門なり、家に非ず、門を見て家なりと思ふ事なかれ、家は門をとをり過ておくにある物也、学は門なれば文書をよみて、是が道也とおもふ事なかれ、文書は道にいたる門なり、さるに依て、何程学問をし文字多く知りても道にくらき人あり、書に向てはよく読み古人の注のごとくよみながせども、道理にくらければ道を我物にする事ならざる也、しかるとて学びずして道にいたる事も又かたし、学問してよく物をいふとて道明めたる人とも云がたし、学ずして天然と道にかなふ人も有事なり、
書き下し
○大學は初學の門也と云事 凡家に至るには先門より入者也、然ば門は家に至るしるべなり、此門をとをりて、家に入り、主人にあふ也、學は道に至る門なり、此門をとをりて道にいたる也、しかれば、學は門なり、家に非ず、門を見て家なりと思ふ事なかれ、家は門をとをり過ておくにある物也、學は門なれば文書をよみて、是が道也とおもふ事なかれ、文書は道にいたる門なり、さるに依て、何程學問をし文字多く知りても道にくらき人あり、書に向てはよく讀み古人の注のごとくよみながせども、道理にくらければ道を我物にする事ならざる也、しかるとて學びずして道にいたる事も又かたし、學問してよく物をいふとて道明めたる人とも云がたし、學ずして天然と道にかなふ人も有事なり、
現代語訳
○『大学』は初学の門であるということ。およそ家に至るには、まず門から入るものである。とすれば門は家に至る道しるべである。この門を通って家に入り、主人に会う。学は道に至る門である。この門を通って道に至る。したがって、学は門であって家ではない。門を見て家だと思ってはならない。家は門を通り過ぎた奥にあるものである。学は門であるから、文書を読んでこれが道だと思ってはならない。文書は道に至る門である。そのため、どれほど学問をし文字を多く知っても、道に暗い人がいる。書に向かってはよく読み、古人の注のとおりに読み流しても、道理に暗ければ道を自分のものにすることはできない。かといって、学ばずに道に至ることもまた難しい。学問をしてよくものを言うからといって、道を明らめた人とも言い難い。学ばずに自然と道にかなう人もいることである。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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