兵法家伝書 / 殺人刀序兵法は天道の成敗
古にいへる事あり、兵者不祥之器、天道惡之、不獲止而用之是天道也と、此こと如何にとならば、弓矢太刀長刀是を兵と云、不吉不祥の器なりと云り、其故は、天道は物を生かす道なるに、却てころす事をとるは、實に不祥の器也、しかれば天道にたがふ處を卽にくむといへる也、しかあれど、不獲止して、兵を用て、人をころすをまた天道なりと云、其心如何となれば、春の風に花さき綠りそふと云とも、秋の霜來て、葉おち木しぼむ、是天道の成敗也、物の十成する處を打ことわりあらばなり、人も運に乘じては、惡をなすと云とも、其惡十成する時は、是をうつ、爰を以て兵を用るも天道也、といへり、一人の惡に依て萬人苦む事あり、しかるに一人の惡をころして、万人をいかす是等誠に人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや、其兵を用るに法あり、法をしらざれば、人をころさんとして、人にころさるゝならじ、
新字:古にいへる事あり、兵者不祥之器、天道悪之、不獲止而用之是天道也と、此こと如何にとならば、弓矢太刀長刀是を兵と云、不吉不祥の器なりと云り、其故は、天道は物を生かす道なるに、却てころす事をとるは、実に不祥の器也、しかれば天道にたがふ処を即にくむといへる也、しかあれど、不獲止して、兵を用て、人をころすをまた天道なりと云、其心如何となれば、春の風に花さき緑りそふと云とも、秋の霜来て、葉おち木しぼむ、是天道の成敗也、物の十成する処を打ことわりあらばなり、人も運に乗じては、悪をなすと云とも、其悪十成する時は、是をうつ、爰を以て兵を用るも天道也、といへり、一人の悪に依て万人苦む事あり、しかるに一人の悪をころして、万人をいかす是等誠に人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや、其兵を用るに法あり、法をしらざれば、人をころさんとして、人にころさるゝならじ、
書き下し
古にいへる事あり、兵者不祥之器、天道惡之、不獲止而用之是天道也と、此こと如何にとならば、弓矢太刀長刀是を兵と云、不吉不祥の器なりと云り、其故は、天道は物を生かす道なるに、却てころす事をとるは、實に不祥の器也、しかれば天道にたがふ處を卽にくむといへる也、しかあれど、不獲止して、兵を用て、人をころすをまた天道なりと云、其心如何となれば、春の風に花さき綠りそふと云とも、秋の霜來て、葉おち木しぼむ、是天道の成敗也、物の十成する處を打ことわりあらばなり、人も運に乘じては、惡をなすと云とも、其惡十成する時は、是をうつ、爰を以て兵を用るも天道也、といへり、一人の惡に依て萬人苦む事あり、しかるに一人の惡をころして、万人をいかす是等誠に人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや、其兵を用るに法あり、法をしらざれば、人をころさんとして、人にころさるゝならじ、
現代語訳
古くから言われることがある。「兵は不祥の器、天道これを悪む。止むを獲ずして之を用ふるは是れ天道なり」と。これはどういうことかというと、弓矢・太刀・長刀を兵といい、不吉で不祥の器である。その理由は、天道は物を生かす道なのに、かえって殺すことを行うのは、まことに不祥の器だからであり、天道に背くところを憎むのだという。しかしやむを得ず兵を用いて人を殺すこともまた天道だという。その心はどうかというと、春の風に花が咲き緑が添っても、秋の霜が来れば葉は落ち木はしぼむ。これが天道の成敗である。物が十分に成り満ちたところを打つ道理があるからだ。人も運に乗じて悪をなしても、その悪が満ちたときにはこれを討つ。ゆえに兵を用いることも天道だという。一人の悪によって万人が苦しむことがある。そこで一人の悪を殺して万人を生かす、これはまことに、人を殺す刀が人を生かす剣になるということであろうか。その兵を用いるには法がある。法を知らなければ、人を殺そうとして人に殺されることになるだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『初学訓』巻之一一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かかる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の徳を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獣をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、悪これより大なるはなし。悪を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。即時にわざはひあると、後に禍来るとのかはりあれども、悪をなして禍なきの理なし。又天地の御心に従ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く来らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の教明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。
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『益軒家訓』幼児須教一凡我子孫たらんもの、一生の心法真実にして私曲なく、人に愛敬有て、忿を懲し慾を窒ぎ、善に移り過を改め、常に天道を恐れ敬ふべし。必おろそかに侮る事なかれ。人の一生の勤は、唯天道に仕へ奉るべきなり。天理は学問して知るべし。又正敷神明を敬ふべし。神に諂ひ瀆して、猥に幸福を求むる事なかれ。神は非礼をうけ給はねば、道なくて幸を祈るに、必験なし。人の義を務めずして神に求むるは、神の御心に違ひ、助なくて責あり。いたつて愚なるなり。或云、心だに誠の道にかなひなば、祈らずとても神や守らん。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『呻吟語』内篇・問學・胸中獨り得たる中正の道理學問の大要は、須らく天道・人情・物理・世故を把りて識得すること透徹し、卻って胸中獨り得たる中正底の道理を以て之を消息すべし。
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『慎思録』巻之二天道は運りて息む無く、四時行はれ、百物生ず。天地の道は私無し。万古易はらず、終天改まらざる所以なり。人心は私有り。故に天地の道と相似ること能はず。澆漓の時に迨ぶ所以にして、人心世道漸く変じて、衰へを増すなり。
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『慎思録』巻之六地は天気の中に在りて、常に天の施しを順承して、万物を育成す。是れ地も亦天中の一物にして、地の生育する所も、亦是れ天の為す所なり。故に天道を言へば、則ち地道は亦言はずして、其の中に在り。
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