林子平学則 / 良智・克己復禮・茶の湯・良智を信じ、克己で己に勝つ
一良智を能く認記して心學を磨くべし、人々善惡邪正に附いて可否如何と顧みれば、善は善、惡は惡と、明に之を辨へ知る心あるなり、是れ良智なり、此良智は學ばすして、天然に百人の胸中に存在する者にして、所謂神明なり、萬事此良智に問ひて取計ふべし、此良智のまゝにするには、克己復禮の修行を強ひて勤むべし、克己は即ち勇なり、顏子は是れを仕終せたり、其次は是れを勤むべし、一克己復禮の二言、能く辨へ勤むべし、克己は己に勝つと云ふ事なり、己れとは人慾の私にて、手前勝手なること皆己れなり、此己れを押除るは克己なり、
新字:一良智を能く認記して心学を磨くべし、人々善悪邪正に附いて可否如何と顧みれば、善は善、悪は悪と、明に之を弁へ知る心あるなり、是れ良智なり、此良智は学ばすして、天然に百人の胸中に存在する者にして、所謂神明なり、万事此良智に問ひて取計ふべし、此良智のまゝにするには、克己復礼の修行を強ひて勤むべし、克己は即ち勇なり、顔子は是れを仕終せたり、其次は是れを勤むべし、一克己復礼の二言、能く弁へ勤むべし、克己は己に勝つと云ふ事なり、己れとは人慾の私にて、手前勝手なること皆己れなり、此己れを押除るは克己なり、
書き下し
一良智を能く認記して心學を磨くべし、人々善惡邪正に附いて可否如何と顧みれば、善は善、惡は惡と、明に之を辨へ知る心あるなり、是れ良智なり、此良智は學ばすして、天然に百人の胸中に存在する者にして、所謂神明なり、萬事此良智に問ひて取計ふべし、此良智のまゝにするには、克己復禮の修行を強ひて勤むべし、克己は即ち勇なり、顏子は是れを仕終せたり、其次は是れを勤むべし、一克己復禮の二言、能く辨へ勤むべし、克己は己に勝つと云ふ事なり、己れとは人慾の私にて、手前勝手なること皆己れなり、此己れを押除るは克己なり、
現代語訳
一つ、良智をよく認めて記憶し、心学を磨くべきです。人々が善悪・邪正について、可か不可かと顧みれば、善は善、悪は悪と明らかに見分ける心があります。これが良智です。この良智は学ばなくても天然にあらゆる人の胸中に存在するもので、いわゆる神明です。万事この良智に問うて取り計らうべきです。この良智のままに行うには、克己復礼の修行を努めて励むべきです。克己とはすなわち勇です。顔子(顔回)はこれをやり終えました。その次の者はこれを勤めるべきです。一つ、克己復礼の二言をよく弁えて勤めるべきです。克己は己に勝つということです。己とは人欲の私で、手前勝手なことはみな己です。この己を押しのけるのが克己です。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『林子平学則』・良智・克己復禮・茶の湯・復礼の実践と芸の嗜み復禮は慾に勝ちて道と義に叶ふ樣にする事なり、事物皆禮不禮有りて顧るべし、或は妄に怒氣發る時など何故如斯怒氣至るやと顧ば、元より私の我儘より起る疾なれば、一度顧て忽ち消散するなり、 最も是等の處大に勇を用る所なり、一茶の湯猿樂の二つは、當朝の大禮なり、然るに隱者の翫び事、殺伐の音などゝ稱して、一圓に不心得は、大不覺悟といふべきか、附閑暇の時、詩文或は琴棋書法等の諸藝も習ふべし、空しく日を送ることなかれ、
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『林子平学則』・良智・克己復禮・茶の湯・寸陰を惜しみ、勇を本とする右八德、讀書武藝良智克己復禮茶の湯猿樂の八條は皆身に近き事にして、今日の業に係る處なり、遠大の事にあらず、童子是れを勤むるに、禹は寸陰を惜むと云へり、寸陰とは一寸の隙と云ふ事なり、又古人業を勤むる者、子に臥し寅に起ると云ふは、一ヶ月の日數三十日にては學び足らざる故、一月を四十五日にする割合なり、是れ勇の持前なり、聖人の心法も佛氏も神家も武藝者の氣位も勇にあらざれば行ひ遂げられぬなり、都て心法は勇を本とし、進む事を專に勤むべし、文武の二藝も皆此心法を宗とするなり、是れ學者の大趣意なり、
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『林子平学則』・八德・勇・義・廉・耻の働きと相手文武の諸藝も心術心法も、勝氣にあらざれば上達成就遲きなり、勝氣は萬能の上達すると知るべし、一義は勇の相手にて、裁斷の心なり、道理に任せて決斷して猶豫せざる心を云ふなり、死すべき塲にて死し、討つべき塲にて討つ事なり、一廉はかど有りて、ひしげず、立派なる事なり、每物いさぎよく奇麗に正しく、むさくなき心なり、捨つべきを見てすて、取るまじきを取らざるなり、耻の相手なり、一耻は辱を知て手前勝手を致ざる事なり、每事に卑怯未練なる所業を致して、人に笑はれまじ、穢はしく臆病なる所業ありて、他日さげすまれ間敷と、心を淸く正しく持つ事なり、廉の相手なり、右八德は人の土產なり、
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伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「夫子、昨に良知を以て照心と為す。竊かに謂う、良知は心の本体なり。照心は人の功を用うる所、乃ち戒慎恐懼の心なり。猶お思うがごときなり。而して遂に戒慎恐懼を以て良知と為すは、何ぞや」と。能く戒慎恐懼する者は、是れ良知なり。
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伝習録・陳九川録庚辰、虔州に往きて再び先生に見ゆ。問う、「近来の功夫、稍(やや)頭脳を知るが若しと雖も、然れども個の穏当快楽の処を尋ね難し」と。先生曰く、「爾は却って心上に去きて個の天理を尋ぬ。此れ正に所謂る理障なり。此の間に個の訣竅有り」と。曰く、「請い問う、如何」と。曰く、「只だ是れ知を致すなり」と。曰く、「如何にして致さん」と。曰く、「爾の那の一点の良知は、是れ爾の自家底の準則なり。爾の意念の著く処、他は是ならば便ち是なるを知り、非ならば便ち非なるを知る。更に他を瞞(あざむ)くこと一些も得ず。爾は只だ他を欺かんことを要せず、実実落落として他に依著して做し去れ。善は便ち存し、悪は便ち去れ。他の這裏、何等か穏当快楽なる。此れ便ち是れ『格物』の真訣、『致知』の実功なり。若し這些の真機に靠著せずんば、如何ぞ去きて物を格さん。我も亦た近年、体貼し出だし来たりて此くの如く分明なり。初めは猶お只だ他に依らば恐らくは足らざる有らんと疑う。精細に看れば、些小の欠闕も無し」と。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一色慾名利の念、皆是人情なれば、時としておこりやすし。其ままおきては徳を害す。其おこる時にいましむるには、克己の工夫を用ふべし。己に克つこと、尤かたし。十分の力を用ふべし。おろそかにすべからず。但はじめて慾のおこるきざしに克つこと甚やすし。是克己の要法なり。平生学問し、道義を好む志ふかくば、おのづから名利色貨の念はうすくなるべし。天理すすめば人欲しりぞく。人欲すすめば天理しりぞく。凡物は二ながら一時に立たざる理なり。