配所残筆 / 配所殘筆29
尤日比無筋目浪人等堅出入不仕候樣に隨分心懸奉存候御事に御坐候。拙者儀於配所朽果可申覺悟仕候所。各樣御影故不存寄冥加に相叶。母存命之内に罷下り。三年一所に罷在り。去冬母相果候。今生之願相達難有存候。其後私病者に罷成候。彌何方へも不罷出候。拙者儀元來凡下之者に御坐候故。自前に御歴々樣へ從此方御斷申候而御出入不仕候。就夫酉年大火事以後高田へ引込罷在候而。大方不罷出候。其時分より只今は猶以老衰仕候故。逼塞仕罷在候。拙者躰之凡下之者御公儀樣御恩忝奉存候由申上候事慮外千萬成樣に奉存候得共。如斯御靜謐に御坐候而。數年靜に相勤罷在候儀。乍恐天下之法恩不淺難有奉存候。殊更不慮に奉蒙御赦免御當地へ罷下候上は。彌以日夜相愼罷在所事。似合之志にて而も可有御坐候と乍恐奉存候。若たはむれにも不義不忠成事を口より申候得ば。心も移申候間。冥加忽盡可申候。此段堅相勤候樣に世悴共にも平生敎戒仕候。然者御公儀樣を輕しめ御法度をないがしろに仕御作法を評判仕候事假初にも御坐候はば。乍恐冥罰甚重に可罷蒙。常々愼罷在候。就中四年以來者拙者儀御取持被下候御方々樣へ御苦勞を掛申候段。生々世々迷惑仕候而不覺悟成儀。聊無御坐候樣に朝暮必懸罷在候。此段已前より被掛御目候御方々樣御存之所に御坐候間。不及申上候得共。乍序如是申上候事に御坐候。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衞門 右之通半紙壹通合紋一
新字:尤日比無筋目浪人等堅出入不仕候様に随分心懸奉存候御事に御坐候。拙者儀於配所朽果可申覚悟仕候所。各様御影故不存寄冥加に相叶。母存命之内に罷下り。三年一所に罷在り。去冬母相果候。今生之願相達難有存候。其後私病者に罷成候。弥何方へも不罷出候。拙者儀元来凡下之者に御坐候故。自前に御歴々様へ従此方御断申候而御出入不仕候。就夫酉年大火事以後高田へ引込罷在候而。大方不罷出候。其時分より只今は猶以老衰仕候故。逼塞仕罷在候。拙者体之凡下之者御公儀様御恩忝奉存候由申上候事慮外千万成様に奉存候得共。如斯御静謐に御坐候而。数年静に相勤罷在候儀。乍恐天下之法恩不浅難有奉存候。殊更不慮に奉蒙御赦免御当地へ罷下候上は。弥以日夜相慎罷在所事。似合之志にて而も可有御坐候と乍恐奉存候。若たはむれにも不義不忠成事を口より申候得ば。心も移申候間。冥加忽尽可申候。此段堅相勤候様に世悴共にも平生教戒仕候。然者御公儀様を軽しめ御法度をないがしろに仕御作法を評判仕候事仮初にも御坐候はば。乍恐冥罰甚重に可罷蒙。常々慎罷在候。就中四年以来者拙者儀御取持被下候御方々様へ御苦労を掛申候段。生々世々迷惑仕候而不覚悟成儀。聊無御坐候様に朝暮必懸罷在候。此段已前より被掛御目候御方々様御存之所に御坐候間。不及申上候得共。乍序如是申上候事に御坐候。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衛門 右之通半紙壱通合紋一
書き下し
尤日比無筋目浪人等堅出入不仕候樣に隨分心懸奉存候御事に御坐候。拙者儀於配所朽果可申覺悟仕候所。各樣御影故不存寄冥加に相叶。母存命之内に罷下り。三年一所に罷在り。去冬母相果候。今生之願相達難有存候。其後私病者に罷成候。彌何方へも不罷出候。拙者儀元來凡下之者に御坐候故。自前に御歴々樣へ從此方御斷申候而御出入不仕候。就夫酉年大火事以後高田へ引込罷在候而。大方不罷出候。其時分より只今は猶以老衰仕候故。逼塞仕罷在候。拙者躰之凡下之者御公儀樣御恩忝奉存候由申上候事慮外千萬成樣に奉存候得共。如斯御靜謐に御坐候而。數年靜に相勤罷在候儀。乍恐天下之法恩不淺難有奉存候。殊更不慮に奉蒙御赦免御當地へ罷下候上は。彌以日夜相愼罷在所事。似合之志にて而も可有御坐候と乍恐奉存候。若たはむれにも不義不忠成事を口より申候得ば。心も移申候間。冥加忽盡可申候。此段堅相勤候樣に世悴共にも平生敎戒仕候。然者御公儀樣を輕しめ御法度をないがしろに仕御作法を評判仕候事假初にも御坐候はば。乍恐冥罰甚重に可罷蒙。常々愼罷在候。就中四年以來者拙者儀御取持被下候御方々樣へ御苦勞を掛申候段。生々世々迷惑仕候而不覺悟成儀。聊無御坐候樣に朝暮必懸罷在候。此段已前より被掛御目候御方々樣御存之所に御坐候間。不及申上候得共。乍序如是申上候事に御坐候。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衞門 右之通半紙壹通合紋一
現代語訳
もちろん、日ごろから筋目のない浪人などは、堅く出入りさせないよう、できるかぎり心掛けております。拙者は配所で朽ち果てる覚悟でおりましたところ、皆様のお蔭で思いがけず冥加にかない、母の存命のうちに下ることができ、三年間一緒に暮らしました。去年の冬、母が亡くなりました。今生の願いが達せられ、ありがたく存じます。そののち、私は病者となり、いよいよどこへも出ておりません。拙者はもともと凡下の者でございますので、以前から自分のほうから御歴々の方々にお断りして、出入りしておりません。酉年の大火事のあと、高田へ引き込んでおりまして、大方出かけておりません。そのころから今はなおのこと老衰しているため、逼塞して暮らしております。拙者のような凡下の者が、御公儀様の御恩をかたじけなく存じますと申し上げるのは、慮外千万なことと存じますが、このように御静謐であり、数年静かに勤めておりますことは、恐れながら天下の法恩が浅くなく、ありがたく存じます。ことに、思いがけず赦免を蒙り、この地に下ってきた以上は、いよいよ日夜慎んで暮らすことが、身に似合った志でもあろうかと、恐れながら存じます。もし戯れにでも、不義不忠なことを口から言えば、心もそれに移りますので、冥加がたちまち尽きるでしょう。この点を堅く勤めるよう、倅たちにも常々教え戒めております。そうであれば、御公儀様を軽んじ、御法度をないがしろにし、御作法を評判するようなことが、仮にもあれば、恐れながら冥罰を甚だ重く蒙りましょう。常に慎んでおります。なかでも四年来は、拙者をお取り持ちくださる方々にご苦労をおかけしていること、生々世々、迷惑に思い、不覚悟なことが少しもないよう、朝晩必ず心掛けております。このことは、以前からお目にかけてきた方々がご存じのことなので、申し上げるまでもありませんが、ついでにこのように申し上げます。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衛門 右のとおり、半紙一通、合紋一
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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『慎思録』巻之四言は心の声なり。外に発して聞くべし。心は身の主なり。中に在りて見るべからず。故に人に接する時、人は唯だ吾が言を聞きて、吾が心を見ず。然らば則ち外に発する者は、只だ言のみ。言豈に慎まざるべけんや。
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