配所残筆 / 配所殘筆28
久世大和守樣土屋但馬守樣には。奉伺御機嫌候樣に折々參上可仕候へ共。御事多之內態と延引仕候。當年も年頭之御禮に漸正月末か二月頃に御兩所樣へ一度參候かと覺候。人に道具遣候御沙汰御坐候由。少も左樣の義無御坐候。世悴弟智共に自然さび身の道具くれ申候事は御坐候。急度仕候御方へ者不奉及申上候。家中浪人其外も道具遣候事終に無御坐候。拙者儀松浦肥州公津輕越州公御家中之御仕置を口入仕候而。色々新法を立。下々痛候事申付候抔と方々沙汰仕候由風聞承候。中々存寄も無御坐候。娘有付候時分隣家にも不存候程輕仕候故。松浦肥州公御近所に罷在候へ共。在付候事も御存不被成。御使者も不被下候程輕き義に御坐候所。是も右之時分聢敷書付を仕候而申觸し候中に一ヶ條も無御坐候事に候。只今は世上に拙者名を賣候而方々兵學之師を仕候者多く御坐候由傳承候。書物屋にも拙者作の書物之由申候而高直に方々へ賣申候本御坐候由承候。風聞故僞も不奉存候。四年以來拙者師を仕并書物他所へ取あつかい不仕候。乍憚申上候。拙者儀四十年以來奉得貴意候而懸御目候御方々御歴々樣者不奉及申上候。家中之衆筋目御坐候而自然參候浪人迄。不義不作法仕候者今日迄一人も不承傳候。先年惡人共徒黨仕候而罪科被仰付候時分も。私方へ出入仕候者は不及申上。近付一人も無御座候。此段者拙者冥加に相叶候と奉存候。
新字:久世大和守様土屋但馬守様には。奉伺御機嫌候様に折々参上可仕候へ共。御事多之内態と延引仕候。当年も年頭之御礼に漸正月末か二月頃に御両所様へ一度参候かと覚候。人に道具遣候御沙汰御坐候由。少も左様の義無御坐候。世悴弟智共に自然さび身の道具くれ申候事は御坐候。急度仕候御方へ者不奉及申上候。家中浪人其外も道具遣候事終に無御坐候。拙者儀松浦肥州公津軽越州公御家中之御仕置を口入仕候而。色々新法を立。下々痛候事申付候抔と方々沙汰仕候由風聞承候。中々存寄も無御坐候。娘有付候時分隣家にも不存候程軽仕候故。松浦肥州公御近所に罷在候へ共。在付候事も御存不被成。御使者も不被下候程軽き義に御坐候所。是も右之時分聢敷書付を仕候而申触し候中に一ヶ条も無御坐候事に候。只今は世上に拙者名を売候而方々兵学之師を仕候者多く御坐候由伝承候。書物屋にも拙者作の書物之由申候而高直に方々へ売申候本御坐候由承候。風聞故偽も不奉存候。四年以来拙者師を仕并書物他所へ取あつかい不仕候。乍憚申上候。拙者儀四十年以来奉得貴意候而懸御目候御方々御歴々様者不奉及申上候。家中之衆筋目御坐候而自然参候浪人迄。不義不作法仕候者今日迄一人も不承伝候。先年悪人共徒党仕候而罪科被仰付候時分も。私方へ出入仕候者は不及申上。近付一人も無御座候。此段者拙者冥加に相叶候と奉存候。
書き下し
久世大和守樣土屋但馬守樣には。奉伺御機嫌候樣に折々參上可仕候へ共。御事多之內態と延引仕候。當年も年頭之御禮に漸正月末か二月頃に御兩所樣へ一度參候かと覺候。人に道具遣候御沙汰御坐候由。少も左樣の義無御坐候。世悴弟智共に自然さび身の道具くれ申候事は御坐候。急度仕候御方へ者不奉及申上候。家中浪人其外も道具遣候事終に無御坐候。拙者儀松浦肥州公津輕越州公御家中之御仕置を口入仕候而。色々新法を立。下々痛候事申付候抔と方々沙汰仕候由風聞承候。中々存寄も無御坐候。娘有付候時分隣家にも不存候程輕仕候故。松浦肥州公御近所に罷在候へ共。在付候事も御存不被成。御使者も不被下候程輕き義に御坐候所。是も右之時分聢敷書付を仕候而申觸し候中に一ヶ條も無御坐候事に候。只今は世上に拙者名を賣候而方々兵學之師を仕候者多く御坐候由傳承候。書物屋にも拙者作の書物之由申候而高直に方々へ賣申候本御坐候由承候。風聞故僞も不奉存候。四年以來拙者師を仕并書物他所へ取あつかい不仕候。乍憚申上候。拙者儀四十年以來奉得貴意候而懸御目候御方々御歴々樣者不奉及申上候。家中之衆筋目御坐候而自然參候浪人迄。不義不作法仕候者今日迄一人も不承傳候。先年惡人共徒黨仕候而罪科被仰付候時分も。私方へ出入仕候者は不及申上。近付一人も無御座候。此段者拙者冥加に相叶候と奉存候。
現代語訳
久世大和守様・土屋但馬守様には、御機嫌を伺うため折々参上すべきですが、お忙しい時節のため、わざと延び延びにしています。今年も年頭の御礼に、ようやく正月末か二月ごろに、お二方のもとへ一度参ったかと覚えています。人に道具を遣わしているという世間の沙汰があるそうですが、少しもそのようなことはございません。倅や弟、婿などに、たまたま錆びた身の回りの道具をやることはございます。きちんとした方々には、申し上げるまでもありません。家中の者や浪人、そのほかにも、道具を遣わしたことはついにございません。拙者が松浦肥州公・津軽越州公の御家中の仕置に口出しをして、いろいろ新法を立て、下々が痛むようなことを申し付けたなどと、方々で沙汰しているとの風聞を承りました。まったく心当たりはございません。娘が嫁ぎましたときも、隣家にも知れないほど軽くしましたので、松浦肥州公の近所におりましても、嫁ぎ先のことをご存じなく、使者もくださらないほど軽い扱いでした。これも、そのとき、はっきりと書き付けにして触れ回ったことの中に、一か条もございません。今は世上に、拙者の名を売って、方々で兵学の師をしている者が多いと伝え聞いております。書物屋にも、拙者の作だと称して高値で方々へ売っている本があると聞いております。風聞ですので、偽りとも存じません。四年来、拙者は師をすることも、書物を他所に取り扱わせることもしておりません。恐れながら申し上げます。拙者は、四十年来お目にかけていただいた御歴々の方々は申し上げるまでもなく、家中の衆で筋目があって自然に参る浪人までも、不義不作法をした者を今日まで一人も聞き及びません。先年、悪人どもが徒党を組んで罪科を仰せ付けられたときも、私のもとへ出入りしていた者は申すに及ばず、近付きの者は一人もございませんでした。このことは、拙者の冥加にかなったことと存じます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『配所残筆』配所殘筆(20)我等得御意奉り候て、兵學學問御聞被成、我等弟子に御成被成候御方々には、松平越中守をはじめ、右に申候如く別而御崇敬被成候、其外板倉内膳正殿、御老中被爲成候ても、拙者所へ御狀は、拙者名に樣之字御付被成候故、度々御斷申上候得共、不被聞召分候、淺野内匠頭は主人にて候へ共、上々樣へ口切の茶獻上候後、必拙者へ口切之茶肴被給候て令頂戴候、采女殿尚以其通に候、其外之御衆大方上々樣へ御茶被爲進候以後、口切之御茶被下令頂戴候、尤以前御出入仕候大名衆迄私參り候へば、御送迎被遊候て、御門を開候樣彼仰付、御懇惠にて迷惑仕候段御斷申上候得共、左樣にて無之候、私へ御禮とは不被思召候、兵法之禮儀師弟之道にて候由被仰候、然共冥加おそろしく存候て、度々御斷申上候は、凡下之拙者無德之者にて、任御意御指南申上候とても、左樣に被遊候程の御傳授不相成候由、度々御辭退申候得共、侍從四品諸大夫之御方々樣如此次第、天命も恐多候故、せめて自分に驕無之。日夜之勤聊無怠慢候段、此上我等愼と令覺悟候故、此段常々子孫共迄令敎戒候、今年配所に十年有之、唯今者一入天道のとがめを存候て、病中之外雖一日朝寢不仕、不作法成體を不仕候、此段朝夕之儀、下々迄存候事に候、就中磯貝平助殿能存候、以前より如斯心掛候故、益も無之候へ共、我等述作之書物は千卷計有之候、(目錄別に有之候)我等人に勝れ愚に候て、言行不正候、子孫共は愚成我等に十倍勤不申候はば、人間之正義に不可叶被存候、
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『配所残筆』配所殘筆(31)口上之覺當五月十四日渡邊源藏殿御事本多下野守殿へ振舞に御出被成候由にて。拙者所へ押懸御見廻被成候故。奉得御意候。此御一禮にも終に不參候。駿府へ御立候御暇乞にも病氣故不參候。酒井河内守樣御内地與一兵衞事拙者兵學之弟子筋。殊に淺野又市郎殿家老外村源左衞門聟に而御坐候故。罷下り候時分より源左衞門度々近付に成候樣に申候得共。斷申候而延引仕候。當五月十六日外村源左衞門右與一兵衞同道仕候而參候。私方よりは禮に使をも不遣。尤一度も見廻不申候。此外慥成筋目之家中衆並與力衆自然に私所へ參候事御坐候。筋目無き衆新敷近付不罷成候。數年拙者へ被掛御目候は板倉內膳公淺野因州公松浦肥州公に而御坐候。何も拙者儀師恩難忘被思召候由每度御自筆之御狀被下。其御狀今以端々殘御坐候。然所內膳公御事拙者儀不屆有之樣に被仰立候由風聞承り候。風聞の儀に候間僞には可有御坐奉存候へ共。無心元奉存候而。松浦肥州公迄委細申上候御事御坐候。右書付品々不調法に御坐候而。文言之前後仕候所。又は慮外成る言葉御坐候て。若上々樣御耳にかゝり申候所も可有御坐候哉。乍恐無心元奉存候。拙者儀十ヶ年蟄居仕。殊に罰下り候而も。今以逼塞仕罷在候故。彌世上無案內に御坐候て。書違申所々も可有御坐候間。入御高覽候はゞ御用捨被下候樣御取成可被下候。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衞門 右之通合紋三
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『配所残筆』配所殘筆(13)如此高ぶりたる事申候と可有之候、然處因州公御事は、御老年と申、御學問之義只今の御大名には無之候、其上紀伊守殿但馬守殿御家に諸家之名高者大勢被召抱、高知之者共罷在候、如斯者共之咄被爲聞、殊更兵學之儀兼而被仰聞候間、拙者躰御噂批判可仕候樣無之候、松浦公御事は因州公より少々御年下に被成御座候、御自分の御文學者無御座候へ共、晝夜書物等被聞召、文武之諸藝儒佛之御勤御怠不被成候、其上當代之古老衆每度御招請被成、御當家上方衆之近代之物語大分被成御存候、近年御家中に諸歷々方高知にて被差置、尤能者共御使立被成候、依て中根宋閑石谷士入常に被申候者、御家中之作法人の御使立被成候樣、若年には珍敷武將にて可有之由、度々被申候を、石谷市郎右衞門殿並拙者抔も承候事に候、然共此御兩公樣御事は、御自分より初御家中御領內迄之御作法御仕置無殘所候樣乍恐奉存候、然に一兩度者時の御挨拶と奉存候、度々被仰聞候事に御座候へば、拙者存念は立候て安堵仕候、拙者事御存被成御方々樣者、御分限不被成御座候、御存無之御方者、無途方者に可被思召候間、拙者事は當分永之浪人と覺悟候故、諸事逼塞仕罷在候所存に御座候由、其節申上候、
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『配所残筆』配所殘筆(30)拙者儀凡下無德之者に御坐候而。御歴々樣方の御前へ罷出候體の者には無御坐候得共。若輩之時分より御歴々樣方被懸御目御取持被下候。此段聊私德義故などゝは不奉存候。天道之冥加に相叶候事と奉存候。右之通に御坐候故彌逼塞仕。高田に罷在候御近付衆をもはぶき申。淺野因州公松浦肥州公迄に奉得御意候樣に仕罷在候。其外之御方々へは大方に仕候。然所不慮に配所被仰付。十ヶ年彼地に罷在候。日々老衰仕。罷下候而四年に罷成候。只今者存命仕候而罷在候迄之體に御坐候。今少々餘命御坐候間。何とぞ義理相違不仕候樣に相勤申候而相果申候迄之覺悟に御坐候。右之次第自分之取合に似合申候而如斯書付申候段別而迷惑仕候。此以前被懸御目候御方々皆以御存被成候。就中松浦肥州公能御存之御事候。私配所へ參り候以後十三年に罷成候。其内奉得御意候御方々御死去被成候而。只今殘少に罷成候。然者新敷拙者儀被聞召候御方々樣者。一己獨身之徒者の樣に被思召候へば迷惑仕候間。益も無御坐候儀共如斯書付候へば。事あたらしく御坐候て。如何敷奉存候。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衞門 右之通一通合紋二
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『配所残筆』配所殘筆(27)四年以前卯六月。私儀奉蒙御赦免。八月御當地へ下着仕。同十四日淺野亦市郎家來大石賴母助同道仕。久世大和守樣へ參上仕候。其節兩人へ御直に被仰聞候者。以前よりの近村衆へは出入可仕候。浪人抔集候事無用可仕候。住所者心次第に何方へ成共可罷在候由被仰渡。右之御意堅今日迄相守罷在候。其節より淺草田原町と申候所借屋仕。今以罷在候。近年者病者に罷成候而。乍慮外行歩不自由に御座候故。大方何方へも不罷出候。罷下候以後。此以前の筋目被思召。戶田左門公其外御使者被下候へ共。御禮迄申上候而。一度も御見廻不申上候。數十年以來由緒御坐候而被懸御目候御方々樣へは。自然掛御目候。是以四年以來度々得御意候御事も無御坐候。淺野又一郎松浦肥州公御事は格別に候。是へも少々にて御見廻不申上候。津輕越州公御事前々より御念頃之筋目御坐候而。私一類共一兩人御家中に罷在候。只今者拙者娘御家中へ遣置候。然者右三家御事主人同意に奉存上候間。折々從此方奉窺御機嫌可然事に奉存候へ共。御斷申上候而大方參上不仕候。娘義も御屋敷之內に罷在候故。逢申度參候事も遠慮仕候而。少々にては不參候。四年以來筋目無御坐候者へ近付に不罷成候。尤御大名衆へ新敷御出入不仕候。小身成御方へも一人も近付に不罷成候。殊更筋目無御坐候家中之衆浪人者斷を申候而。近付に不罷成候。上野御門主樣には。爲冥加一年に兩度從此方必參上仕候。
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『配所残筆』配所殘筆(9)此段皆上意に候間、難有可奉存候由被申聞候、卯年二月御近習番頭駒井左京殿御事阿部伊勢守殿(其比式部と被申御小性被仕候)を御賴被成、拙者弟子に被成、兵學被成御聞度由被仰候間、幸に御近所に北條安房守殿居被申候間、是に御相傳可然と達而御斷申上候へ共、思召入有之由被仰候間、任御意候而參候所、急度被成候御馳走にて、兵書御聞被成、早々御登城候、御兩所の御咄は拙者不承候、脇にて承候へば、右右京殿被召寄候事上意にて御座候由承候、此段具に祖心へ物語仕候へば、大方上意にて可有之候間、彌以諸事愼、家中抔へ奉公は不入義に可存之旨被申候、其後薨御被爲成候、松平越中守殿其年極月御逝去に候、翌辰之年淺野內匠頭拙者え直に約束被仕候て、色々念頃之上、知行千石被宛行候、拙者儀相應之奉公被申付候樣に達而賴申候へ共、いかゞ被存候哉、番並使者等一度も不被申付候、定て拙者不調法者故にて可有之候、稽古日を定置、我等罷出候時分は馳走仕られ候て、浪人分に仕られ候、
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