配所残筆 / 配所殘筆12
似合不申樣には不存候、其上一萬石にて奉公不仕候ては、主用に立不申段申、誠に當時相應成望最之至に候、我等事分限無之候故、別而殘念に被思召候、其方一類之內一人にても二人にても被召出候事御賴被成候間、左樣に同心可仕旨仰られ候、私申上候は、忝御意に奉存候と計にて差置候へ共、本多備前殿へ度々被仰候故、達而一人遣候樣に御取持候間、岡八郎右衞門十六歲之時因州公へ被召出、過分に知行被下、今以近習に被召遣候、御念頃成儀共に候、其節磯部彥右衞門を御使者に被下、八郎右衞門被召出、御滿足被遊候由、却而御禮被仰下候、此段因州公は不及申候、松浦肥州公本多備前殿御覺可被成候、松浦肥州公御事は、以前より家中へ弟三郎右衞門被召置候、段々御取立被下、御厚志不淺、每度御大恩を請申候、拙者心底被爲成御存候事、因州公より尙以厚被成御座候、松浦公淺野公本多備前守殿など御一座の時分、御分限被成御座候はゞ拙者に一萬石二萬石被下候事何より安き儀の由、度々被仰出候故、拙者申上候は、御兩公樣右之通被爲思召候へば、拙者儀冥加に相叶候と奉存候、拙者儀御存不被成候御方には、定て無途方たわけ者に候、各樣御崇敬被爲成候を誠と存、
新字:似合不申様には不存候、其上一万石にて奉公不仕候ては、主用に立不申段申、誠に当時相応成望最之至に候、我等事分限無之候故、別而残念に被思召候、其方一類之内一人にても二人にても被召出候事御頼被成候間、左様に同心可仕旨仰られ候、私申上候は、忝御意に奉存候と計にて差置候へ共、本多備前殿へ度々被仰候故、達而一人遣候様に御取持候間、岡八郎右衛門十六歳之時因州公へ被召出、過分に知行被下、今以近習に被召遣候、御念頃成儀共に候、其節磯部彦右衛門を御使者に被下、八郎右衛門被召出、御満足被遊候由、却而御礼被仰下候、此段因州公は不及申候、松浦肥州公本多備前殿御覚可被成候、松浦肥州公御事は、以前より家中へ弟三郎右衛門被召置候、段々御取立被下、御厚志不浅、毎度御大恩を請申候、拙者心底被為成御存候事、因州公より尚以厚被成御座候、松浦公浅野公本多備前守殿など御一座の時分、御分限被成御座候はゞ拙者に一万石二万石被下候事何より安き儀の由、度々被仰出候故、拙者申上候は、御両公様右之通被為思召候へば、拙者儀冥加に相叶候と奉存候、拙者儀御存不被成候御方には、定て無途方たわけ者に候、各様御崇敬被為成候を誠と存、
書き下し
似合不申樣には不存候、其上一萬石にて奉公不仕候ては、主用に立不申段申、誠に當時相應成望最之至に候、我等事分限無之候故、別而殘念に被思召候、其方一類之內一人にても二人にても被召出候事御賴被成候間、左樣に同心可仕旨仰られ候、私申上候は、忝御意に奉存候と計にて差置候へ共、本多備前殿へ度々被仰候故、達而一人遣候樣に御取持候間、岡八郎右衞門十六歲之時因州公へ被召出、過分に知行被下、今以近習に被召遣候、御念頃成儀共に候、其節磯部彥右衞門を御使者に被下、八郎右衞門被召出、御滿足被遊候由、却而御禮被仰下候、此段因州公は不及申候、松浦肥州公本多備前殿御覺可被成候、松浦肥州公御事は、以前より家中へ弟三郎右衞門被召置候、段々御取立被下、御厚志不淺、每度御大恩を請申候、拙者心底被爲成御存候事、因州公より尙以厚被成御座候、松浦公淺野公本多備前守殿など御一座の時分、御分限被成御座候はゞ拙者に一萬石二萬石被下候事何より安き儀の由、度々被仰出候故、拙者申上候は、御兩公樣右之通被爲思召候へば、拙者儀冥加に相叶候と奉存候、拙者儀御存不被成候御方には、定て無途方たわけ者に候、各樣御崇敬被爲成候を誠と存、
現代語訳
似合わないとは思いません。そのうえ、一万石でなければ奉公しても主の役に立たないと言うのは、まことに当世相応の望みとして最もなことです。私は身代がないので、とくに残念に思います。そなたの一族のうち、一人でも二人でも召し出されることをお頼みになったので、そのように同意いたします、と仰せられました。私は、かたじけない仰せと存じますとだけ申し上げて差し置きましたが、本多備前殿へ度々仰せられたため、強いて一人遣わすようにと取り持ってくださり、岡八郎右衛門が十六歳のとき因州公に召し出され、過分の知行をいただいて、今も近習に召し使われています。ご念入りなことです。その際、磯部彦右衛門を使者として、八郎右衛門を召し出され、ご満足とのことで、かえってお礼を仰せ下されました。このことは、因州公はもちろん、松浦肥州公・本多備前殿もご承知でしょう。松浦肥州公は、以前から家中に弟の三郎右衛門を召し置かれ、段々お取り立てくださり、ご厚志は浅くなく、毎度大恩を受けております。私の心底をご存じのことは、因州公のほうがなお厚くいらっしゃいます。松浦公・浅野公・本多備前守殿などがご一座のとき、身代がおありなら、私に一万石、二万石を下さることは何より容易いことだと、度々仰せ出されたので、私は申し上げました。「お二方がそのように思し召してくださるのなら、私は冥加に叶うと存じます。私をご存じない方には、きっと途方もないたわけ者でしょう。皆様がご崇敬くださるのを本当だと存じ、
解説
この章句が説くこと
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『配所残筆』配所殘筆(5)たとへ御家來にて有之共、豐後守殿抔御所望之者に有之候は可被遣候、豐後守殿御用之事者、御公儀之御用同意に候間、豐後守殿へ被召抱候樣に可仕候、其段勘兵衞殿安房守殿へも佐五右衞門被遣候由に候、佐五右衞門もはや可被召抱候段御兩所へ御約束被成候而御座候、只今此段如何に可有御座候と申上候へば、兵右衞門殿仁右衞門殿御事心易義に候間不苦候由被仰出候由に候、拙者奉存候者、大納言樣右之通御遠慮被遊候上者、豐後守殿にも御抱被成間敷か、其上御老中家は遠慮仕候子細御座候間、此方より左右方へ御斷申上度候段、岡野權右衞門殿御相談仕候て、其分に罷成候、右兵右衞門殿は、謙信流之軍法者、御歷々方に弟子衆大勢候得者、我等弟子に可被成候て、兵學御勤御念頃に候、仁右衞門殿者、我等に鞠身のやはら御相傳候て、奧儀迄承候故、別て得御意候、岡野權右衞門殿は、我等若年之時分より書物御聞、殊に兵法之弟子に被成候て御一類中不殘我等に兵學御聞候故、御心易得御意候、右之翌年加賀松平筑前守殿拙者儀被及聞召可召抱由、町野長門守殿御取持に、拙者親申候は、知行千石不被下候はゞ罷出候事無用に可仕候旨申候て留申候、筑前守殿にも七百石迄は可被下候由御沙汰候由に長門守殿御申候由承候、
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『配所残筆』配所殘筆(13)如此高ぶりたる事申候と可有之候、然處因州公御事は、御老年と申、御學問之義只今の御大名には無之候、其上紀伊守殿但馬守殿御家に諸家之名高者大勢被召抱、高知之者共罷在候、如斯者共之咄被爲聞、殊更兵學之儀兼而被仰聞候間、拙者躰御噂批判可仕候樣無之候、松浦公御事は因州公より少々御年下に被成御座候、御自分の御文學者無御座候へ共、晝夜書物等被聞召、文武之諸藝儒佛之御勤御怠不被成候、其上當代之古老衆每度御招請被成、御當家上方衆之近代之物語大分被成御存候、近年御家中に諸歷々方高知にて被差置、尤能者共御使立被成候、依て中根宋閑石谷士入常に被申候者、御家中之作法人の御使立被成候樣、若年には珍敷武將にて可有之由、度々被申候を、石谷市郎右衞門殿並拙者抔も承候事に候、然共此御兩公樣御事は、御自分より初御家中御領內迄之御作法御仕置無殘所候樣乍恐奉存候、然に一兩度者時の御挨拶と奉存候、度々被仰聞候事に御座候へば、拙者存念は立候て安堵仕候、拙者事御存被成御方々樣者、御分限不被成御座候、御存無之御方者、無途方者に可被思召候間、拙者事は當分永之浪人と覺悟候故、諸事逼塞仕罷在候所存に御座候由、其節申上候、
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『配所残筆』配所殘筆(10)巳年播州赤穗へ罷上候時分、於大阪曾我丹波守殿拙者兵學之弟子に御座候故、別而御念頃に被成、御馳走被成、二三日滯留仕候、其時分板倉內膳殿御番故、丹波殿へ被仰合候て、九月廿一日丹波守殿にて內膳殿へ終日得御意候、翌年五月罷下り候時分、內膳殿急度振舞被申候て、道具給之候、內匠頭方に九年有之、存寄之子細御座候て書付を差上、子年大島雲八殿奉賴知行斷申上候て上候、其時分は加增迄可被申付候由に御留被成候得共、加增利祿之望にて知行斷申候にては無御座候由、達而斷申候て知行返納候、大島雲八殿具に御存被成候、知行斷申候て以後、間御座候て、淺野因州公本多備前守殿など私宅へ御出被成候時分、因州公仰られ候は、其方義以來は一萬石にて無之候はゞ何方へも奉公仕間敷候由兼而申候一段、尤に被思召候、古來戰國の時には陪臣に高知行取候者數多候、木村常陸介五萬石の時、木村惣左衞門五千石、長谷川藤五郎八萬石にて江口三郎右衞門坂井與右衞門一萬石宛取候、箇樣の事不珍候、結城中納言殿越前拜領被成候時分仰られ候は、御國を拜領被成候以前にかはり別而御滿足は無之難有被思召候事二箇條有之、其第一は年來分限廣候はゞ被召置度被思召候、
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『配所残筆』配所殘筆(9)此段皆上意に候間、難有可奉存候由被申聞候、卯年二月御近習番頭駒井左京殿御事阿部伊勢守殿(其比式部と被申御小性被仕候)を御賴被成、拙者弟子に被成、兵學被成御聞度由被仰候間、幸に御近所に北條安房守殿居被申候間、是に御相傳可然と達而御斷申上候へ共、思召入有之由被仰候間、任御意候而參候所、急度被成候御馳走にて、兵書御聞被成、早々御登城候、御兩所の御咄は拙者不承候、脇にて承候へば、右右京殿被召寄候事上意にて御座候由承候、此段具に祖心へ物語仕候へば、大方上意にて可有之候間、彌以諸事愼、家中抔へ奉公は不入義に可存之旨被申候、其後薨御被爲成候、松平越中守殿其年極月御逝去に候、翌辰之年淺野內匠頭拙者え直に約束被仕候て、色々念頃之上、知行千石被宛行候、拙者儀相應之奉公被申付候樣に達而賴申候へ共、いかゞ被存候哉、番並使者等一度も不被申付候、定て拙者不調法者故にて可有之候、稽古日を定置、我等罷出候時分は馳走仕られ候て、浪人分に仕られ候、
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『配所残筆』配所殘筆(30)拙者儀凡下無德之者に御坐候而。御歴々樣方の御前へ罷出候體の者には無御坐候得共。若輩之時分より御歴々樣方被懸御目御取持被下候。此段聊私德義故などゝは不奉存候。天道之冥加に相叶候事と奉存候。右之通に御坐候故彌逼塞仕。高田に罷在候御近付衆をもはぶき申。淺野因州公松浦肥州公迄に奉得御意候樣に仕罷在候。其外之御方々へは大方に仕候。然所不慮に配所被仰付。十ヶ年彼地に罷在候。日々老衰仕。罷下候而四年に罷成候。只今者存命仕候而罷在候迄之體に御坐候。今少々餘命御坐候間。何とぞ義理相違不仕候樣に相勤申候而相果申候迄之覺悟に御坐候。右之次第自分之取合に似合申候而如斯書付申候段別而迷惑仕候。此以前被懸御目候御方々皆以御存被成候。就中松浦肥州公能御存之御事候。私配所へ參り候以後十三年に罷成候。其内奉得御意候御方々御死去被成候而。只今殘少に罷成候。然者新敷拙者儀被聞召候御方々樣者。一己獨身之徒者の樣に被思召候へば迷惑仕候間。益も無御坐候儀共如斯書付候へば。事あたらしく御坐候て。如何敷奉存候。以上。 十月十六日 山鹿甚五左衞門 右之通一通合紋二
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『配所残筆』配所殘筆(8)大猷院樣御前へ祖心昵近仕られ候時分、祖心被申候者、其方義御次て御座候て具達上聞候、折に其方事上意有之間、必家中へ奉公に罷出候事無用に可仕候、何卒御家人に罷成候やうに取持可被申由被申候、松平越中守殿御念頃故、右之次第具に御內意申上候へば、一段之事に候、表向越中守殿御取持可被下候、其方事松平伊豆守殿兼而能御存被成候間、當公方樣へ被召出候樣に仕候はゞ、早速首尾可仕候、祖心へも其段御相談可被成、先酒井日向守殿へも被仰遣候間、掛御目置候へと被仰候、御家老三輪權右衞門を差添られ、日向守殿へ拙者を遊され懸御目候、其後越中守殿仰られ候は、酒井空印公へ拙者事具に御物語被成置候間、左樣に心得候樣に被仰候、其節空印公事上意にて祖心下屋敷へ振舞申され候時分、拙者も被召出、御念頃之上、越中守殿拙者噂具に被仰候由御挨拶被成候、久世和州公上意にて祖心振舞被成、道春被召寄、老子經之講釋御座候時分。和州公被仰下、拙者も右之末座へ被召出候、祖心後に被申候者、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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