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配所残筆 / 配所殘筆2

十四歲之頃は、詩文共に達者に仕候故、傳奏飛鳥井大納言殿被及聞召被召寄、卽座に詩を作候て懸御目候處、大納言殿和歌を御詠吟候て和韻被下候、烏丸大納言殿被及聞召候て、卽座に章句を被成下候、乍慮外我等も卽座に對を仕候、若輩の時分殊更卽座の事に御座候間、只今見申候ては笑草成儀に候へ共、各御感不淺候、其後兩公御懇請に被成下、折々奉得御意候て、詩文贈答御座候、 十五歲の時、初て大學之講釋仕、聽衆大勢有之候、 十六歲之時、大森信濃守殿(其頃者佐久間久七)黑田信濃守殿(其頃者源右衞門)御所望にて、孟子之講釋仕候、蒔田甫庵老論語御所望、是亦同年講釋、いづれも翌年迄に講終候、是亦若輩之時分故、定て不埒成事計可有之候へ共、其時分之義、蒔田權助殿富永甚四郎殿抔今以能覺候、 我等幼弱より武藝軍法不怠候、十五之時に尾畑勘兵衞殿北條安房守殿へ逢申候て兵學令稽古、修行候、廿歲ゟ內にて門弟中に我等大方上座仕候て、則北條安房守殿筆者にて尾畑勘兵衞殿印免之狀給候、 廿一歲之時尾畑勘兵衞殿印可被仕候て、殊更門弟中一人も無之候印可之副狀と申候を我等に被與之候、筆者は高野按察院光宥にて御座候、其文に、於文而感其能勤。於武而歎其能修、噫有文章者必有武備、古人云我又云と、末句に我等を御稱美之此文言をば、勘兵衞殿直に御好に御座候、

新字:十四歳之頃は、詩文共に達者に仕候故、伝奏飛鳥井大納言殿被及聞召被召寄、即座に詩を作候て懸御目候処、大納言殿和歌を御詠吟候て和韻被下候、烏丸大納言殿被及聞召候て、即座に章句を被成下候、乍慮外我等も即座に対を仕候、若輩の時分殊更即座の事に御座候間、只今見申候ては笑草成儀に候へ共、各御感不浅候、其後両公御懇請に被成下、折々奉得御意候て、詩文贈答御座候、 十五歳の時、初て大学之講釈仕、聴衆大勢有之候、 十六歳之時、大森信濃守殿(其頃者佐久間久七)黒田信濃守殿(其頃者源右衛門)御所望にて、孟子之講釈仕候、蒔田甫庵老論語御所望、是亦同年講釈、いづれも翌年迄に講終候、是亦若輩之時分故、定て不埒成事計可有之候へ共、其時分之義、蒔田権助殿富永甚四郎殿抔今以能覚候、 我等幼弱より武芸軍法不怠候、十五之時に尾畑勘兵衛殿北条安房守殿へ逢申候て兵学令稽古、修行候、廿歳ゟ内にて門弟中に我等大方上座仕候て、則北条安房守殿筆者にて尾畑勘兵衛殿印免之状給候、 廿一歳之時尾畑勘兵衛殿印可被仕候て、殊更門弟中一人も無之候印可之副状と申候を我等に被与之候、筆者は高野按察院光宥にて御座候、其文に、於文而感其能勤。於武而嘆其能修、噫有文章者必有武備、古人云我又云と、末句に我等を御称美之此文言をば、勘兵衛殿直に御好に御座候、

書き下し

十四歲之頃は、詩文共に達者に仕候故、傳奏飛鳥井大納言殿被及聞召被召寄、卽座に詩を作候て懸御目候處、大納言殿和歌を御詠吟候て和韻被下候、烏丸大納言殿被及聞召候て、卽座に章句を被成下候、乍慮外我等も卽座に對を仕候、若輩の時分殊更卽座の事に御座候間、只今見申候ては笑草成儀に候へ共、各御感不淺候、其後兩公御懇請に被成下、折々奉得御意候て、詩文贈答御座候、 十五歲の時、初て大學之講釋仕、聽衆大勢有之候、 十六歲之時、大森信濃守殿(其頃者佐久間久七)黑田信濃守殿(其頃者源右衞門)御所望にて、孟子之講釋仕候、蒔田甫庵老論語御所望、是亦同年講釋、いづれも翌年迄に講終候、是亦若輩之時分故、定て不埒成事計可有之候へ共、其時分之義、蒔田權助殿富永甚四郎殿抔今以能覺候、 我等幼弱より武藝軍法不怠候、十五之時に尾畑勘兵衞殿北條安房守殿へ逢申候て兵學令稽古、修行候、廿歲ゟ內にて門弟中に我等大方上座仕候て、則北條安房守殿筆者にて尾畑勘兵衞殿印免之狀給候、 廿一歲之時尾畑勘兵衞殿印可被仕候て、殊更門弟中一人も無之候印可之副狀と申候を我等に被與之候、筆者は高野按察院光宥にて御座候、其文に、於文而感其能勤。於武而歎其能修、噫有文章者必有武備、古人云我又云と、末句に我等を御稱美之此文言をば、勘兵衞殿直に御好に御座候、

現代語訳

十四歳のころは詩も文も達者だったので、伝奏の飛鳥井大納言殿が噂を聞かれて召し寄せ、その場で詩を作ってお見せすると、大納言殿は和歌を詠んで和韻をくださいました。烏丸大納言殿もお聞き及びになり、その場で章句をくださったので、恐れ多くも私もその場で対句を作りました。若輩のうえ即席のことでしたから、今見れば笑い草ですが、お二方とも深く感心してくださいました。その後、両公のたってのご懇請により、折々お目にかかり、詩文の贈答がありました。十五歳のとき、初めて『大学』の講釈をし、聴衆は大勢いました。十六歳のとき、大森信濃守殿(そのころは佐久間久七)と黒田信濃守殿(そのころは源右衛門)のご所望で『孟子』の講釈をし、蒔田甫庵老が『論語』をご所望になったので、これも同じ年に講釈し、いずれも翌年までに講じ終えました。これも若輩のころのことですから、きっと不都合なことばかりだったでしょうが、そのころのことは蒔田権助殿・富永甚四郎殿などが今もよく覚えておられます。私は幼いころから武芸・軍法を怠らず、十五歳のときに尾畑勘兵衛殿と北条安房守殿にお会いして、兵学の稽古を修行しました。二十歳より前に、門弟の中でおおかた上座を占め、北条安房守殿の筆で、尾畑勘兵衛殿から印免の状をいただきました。二十一歳のとき、尾畑勘兵衛殿が印可をくださり、とくに門弟中に一人もいない印可の副状というものを私にお与えくださいました。筆者は高野の按察院光宥です。その文には「文においてはその能く勤むるを感じ、武においてはその能く修むるを歎ず。ああ、文章ある者は必ず武備あり、古人も言い、我もまた言う」とあり、末句で私を称賛するこの文言は、勘兵衛殿がご自身でお好みになったものです。

解説

十代の素行が、詩の即興、講釈、兵学の印可と、文武の両面で認められていく段です。即席の詩を今は笑い草と言いながら、聞いた人々が感心したことや、講釈の聴衆が今も覚えていることを証人として挙げています。結びの副状の言葉「文章ある者は必ず武備あり」は、学問と武の両立を認められた誇りの源でしょう。自分に都合のよい話ほど、誰が見ていたかを添えて語る姿勢がうかがえます。実績を語るときに第三者の目を添える手法は、現代の職務経歴にも通じます。

この章句が説くこと

文武両道印可即興講釈兵学配所残筆

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