群書治要 / 『群書治要』傅子・言葉より行いを観て人を知る
凡有血氣、苟不相順、皆有争心、隱而難分、微而害深者、莫甚於言矣。君人者、將和衆定民而殊其善惡、以通天下之志者也。聞言不可不審也。聞言未審而以定善惡、則是非有錯、而飾辯巧言之流起矣。故聽言不如觀事、觀事不如觀行、聽言必審其本、觀事必校其實、觀行必考其迹、參三者而詳之、近少失矣。
新字:凡有血気、苟不相順、皆有争心、隠而難分、微而害深者、莫甚於言矣。君人者、将和衆定民而殊其善悪、以通天下之志者也。聞言不可不審也。聞言未審而以定善悪、則是非有錯、而飾弁巧言之流起矣。故聴言不如観事、観事不如観行、聴言必審其本、観事必校其実、観行必考其迹、参三者而詳之、近少失矣。
書き下し
凡そ血気有る者は、苟くも相い順わざれば、皆な争心有り。隠れて分かち難く、微にして害の深き者は、言より甚だしきは莫し。君人たる者は、将に衆を和し民を定めて其の善悪を殊にし、以て天下の志を通ずる者なり。言を聞くこと審らかにせざる可からず。言を聞くこと未だ審らかならずして以て善悪を定むれば、則ち是非錯い有りて、辯を飾り言を巧みにするの流起こる。故に言を聴くは事を観るに如かず、事を観るは行いを観るに如かず。言を聴けば必ず其の本を審らかにし、事を観れば必ず其の実を校べ、行いを観れば必ず其の迹を考え、三者を参えて之を詳らかにすれば、少失に近し。
現代語訳
血気ある者は、意に沿わないことがあれば、みな争う心を持ちます。隠れて見分けにくく、小さくて害の深いものは、言葉より甚だしいものはありません。人の上に立つ者は、民をなごませ安定させ、善悪を分けて、天下の志を通じさせる者です。言葉を聞くときは、念入りに確かめなければなりません。念入りに確かめないまま善悪を決めれば、是非に誤りが生じ、言葉を飾り弁舌を巧みにする連中が出てきます。ですから、言葉を聞くことは事柄を見ることに及ばず、事柄を見ることは行いを見ることに及びません。言葉を聞くなら必ずその根本を確かめ、事柄を見るなら必ずその実際を調べ、行いを見るなら必ずその足跡を考え、三つを合わせて詳しく見れば、誤りはほとんどなくなります。
解説

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