群書治要 / 『群書治要』呂氏春秋・人を見極める八観六験
凡論人、通則觀其所禮、通、達、貴則觀其所進、富則觀其所養、聽則觀其所行、近則觀其所好、習則觀其所言、窮則觀其所不受、賤則觀其所不為、喜之以驗其守、樂之以驗其僻、怒之以驗其節、懼之以驗其特、哀之以驗其仁、苦之以驗其志、八觀六驗、此賢主之所以論人也。論人必以六戚四隱、何謂六戚、父母兄弟妻子、何謂四隱、交友故舊邑里門廊、內則用六戚四隱、外則以八觀六驗、人之情僞、貪鄙羨美、無所失矣。此先聖王之所以知人也。
新字:凡論人、通則観其所礼、通、達、貴則観其所進、富則観其所養、聴則観其所行、近則観其所好、習則観其所言、窮則観其所不受、賤則観其所不為、喜之以験其守、楽之以験其僻、怒之以験其節、懼之以験其特、哀之以験其仁、苦之以験其志、八観六験、此賢主之所以論人也。論人必以六戚四隠、何謂六戚、父母兄弟妻子、何謂四隠、交友故旧邑里門廊、内則用六戚四隠、外則以八観六験、人之情偽、貪鄙羨美、無所失矣。此先聖王之所以知人也。
書き下し
凡そ人を論ずるに、通ずれば則ち其の礼する所を観、通、達、貴ければ則ち其の進むる所を観、富めば則ち其の養う所を観、聴けば則ち其の行う所を観、近づけば則ち其の好む所を観、習えば則ち其の言う所を観、窮すれば則ち其の受けざる所を観、賤しければ則ち其の為さざる所を観る。之を喜ばしめて以て其の守を験し、之を楽しましめて以て其の僻を験し、之を怒らしめて以て其の節を験し、之を懼れしめて以て其の特を験し、之を哀しましめて以て其の仁を験し、之を苦しましめて以て其の志を験す。八観六験は、此れ賢主の人を論ずる所以なり。人を論ずるには必ず六戚四隠を以てす。何をか六戚と謂う、父母兄弟妻子なり。何をか四隠と謂う、交友故旧邑里門廊なり。内は則ち六戚四隠を用い、外は則ち八観六験を以てすれば、人の情偽、貪鄙羨美、失う所無し。此れ先聖王の人を知る所以なり。
現代語訳
およそ人を見きわめるには、志が通じて栄達したときは、どんな人を礼遇するかを見ます。身分が高くなれば、どんな人を引き立てるかを見ます。富めば何を養うかを、人の訴えを聴く立場にあれば何を行うかを、親しくなればその好むものを、慣れ親しめばその言うことを見ます。困窮すれば何を受け取らないかを、身分が低ければ何をしないかを見ます。喜ばせて守りの固さを試し、楽しませて偏りを試し、怒らせて節度を試し、恐れさせて並はずれた本性を試し、悲しませて仁を試し、苦しませて志を試します。これが八観六験で、賢い君主が人を見きわめる方法です。人を論じるには必ず六戚四隠を用います。六戚とは父母・兄弟・妻子、四隠とは友人・旧知・同郷・近隣の者です。内では六戚四隠を用い、外では八観六験を用いれば、人の真偽、貪欲や卑しさ、羨望や美点を見失うことがありません。これが昔の聖王が人を知った方法です。
解説

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呂氏春秋・論人③何をか諸を人に求むると謂う。人、類を同じくして智殊にし、賢不肖異なれども、皆巧言辯辭して、以て自ら防禦す。此れ不肖の主の亂るる所以なり。凡そ人を論ずるには、通ずれば則ち其の禮する所を觀、貴ければ則ち其の進むる所を觀、富めば則ち其の養う所を觀、聽けば則ち其の行う所を觀、止まれば則ち其の好む所を觀、習えば則ち其の言う所を觀、窮すれば則ち其の受けざる所を觀、賤しければ則ち其の為さざる所を觀る。之を喜ばせて以て其の守を驗し、之を樂しませて以て其の僻を驗し、之を怒らせて以て其の節を驗し、之を懼れさせて以て其の特を驗し、之を哀しませて以て其の人を驗し、之を苦しませて以て其の志を驗す。八觀・六驗、此れ賢主の人を論ずる所以なり。人を論ずるには、又必ず六戚・四隱を以てす。何をか六戚と謂う、父母兄弟妻子なり。何をか四隱と謂う、交友故舊邑里門郎なり。內には則ち六戚・四隱を用い、外には則ち八觀・六驗を用うれば、人の情偽・貪鄙・美惡、失う所無し。之を譬うるに、雨汙を逃れんとするが若し。之くとして是に非ざるは無し。此れ聖王の人を知る所以なり。
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『長短経』知人習えば則ち其の言う所を観る。〔好めば則ち義を好み、言えば則ち道を言う。〕窮すれば則ち其の愛せざる所を観る。〔又た曰く、窮すれば則ち其の非を為さざる所を視る。又た曰く、貧しければ其の敢えてせざる所を視る。〕賤しければ則ち其の為さざる所を観る。〔又た曰く、貧賤の人は、其の徳守有るを観る。〕之を喜ばしめて、以て其の守を験す。〔守は慎み守るなり。又た曰く、之を喜ばしめて、以て其の軽きを観る。〕之を楽しましめて、以て其の僻を験す。〔僻は邪僻なり。又た曰く、之を娯しましむるに楽を以てし、以て其の倹を観る。〕之を怒らしめて、以て其の節を験す。〔節は性なり。又た曰く、之を怒らしむるに讐を以てし、以て其の怨みざるを観るなり。〕之を哀しましめて、以て其の仁を験す。〔仁人は哀しむ可き者を見れば則ち哀しむ。〕之を苦しましめて、以て其の志を験す」と。〔又た曰く、之を験して、以て其の能く安んずるを観る。〕
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『長短経』知人呂氏春秋に曰く「通ずれば則ち其の礼する所を観る。〔通は達なり。〕貴ければ則ち其の進むる所を観る。〔又た曰く、達すれば其の挙ぐる所を視る。〕富めば則ち其の養う所を観る。〔又た曰く、富めば其の与うる所を視る。又た曰く、富貴の人を見ては、其の礼施有るを観る。太公曰く、之を富ませて驕逸を犯さざる者、仁と謂うなり。〕聴かるれば則ち其の行う所を観る。〔行えば則ち仁を行う。〕近づけば則ち其の好む所を観る。〔又た曰く、居れば其の親しむ所を視る。又た曰く、其の居処を省て其の貞良を観、其の交遊を省て其の志比を観る。〕
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群書治要・『群書治要』周書・人を見抜く観誠の法富貴なる者は其の礼施有るを観、貧窮なる者は其の徳守有るを観、嬖寵せらるる者は其の驕奢ならざるを観、隠約なる者は其の懾懼せざるを観る。其の少き者は其の恭敬にして学を好み能く弟なるを観、其の壮なる者は其の潔廉にして行いを務め其の私に勝つを観、其の老いたる者は其の思慎にして、其の足らざる所を強めて逾えざるを観る。父子の間は其の慈孝を観、兄弟の間は其の和友を観、君臣の間は其の忠恵を観、郷党の間は其の信誠を観る。之に設くるに謀を以てして以て其の智を観、之に示すに難を以てして以て其の勇を観、之を煩わすに事を以てして以て其の治を観、之に臨むに利を以てして以て其の貪らざるを観、之を濫らすに楽を以てして以て其の荒まざるを観、之を喜ばしめて以て其の軽きを観、之を怒らしめて以て其の重きを観、之を酔わしめて以て其の失を観、之を縦にして以て其の常を観、之を遠ざけて以て其の貳わざるを観、之を昵しませて以て其の狎れざるを観、復た其の言を徴して以て其の精を観、曲さに其の行いを省みて以て其の備わるを観る。此れを観誠と謂う。
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人物志・八觀八観とは、一に曰く、其の奪救を観て、以て間雑を明らかにす。二に曰く、其の感変を観て、以て常度を審らかにす。三に曰く、其の志質を観て、以て其の名を知る。四に曰く、其の所由を観て、以て依似を弁ず。五に曰く、其の愛敬を観て、以て通塞を知る。六に曰く、其の情機を観て、以て恕惑を弁ず。
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人物志・八觀故に曰く、慈、吝に勝つこと能はざれば、其の能く仁なるを必とする無きなり。仁、懼に勝つこと能はざれば、其の能く恤むを必とする無きなり。厲、慾に勝つこと能はざれば、其の能く剛なるを必とする無きなり。是の故に、不仁の質勝てば、則ち伎力害器と為り、貪悖の性勝てば、則ち彊猛禍梯と為る。亦た善情の悪を救ひて、害を為すに至らざる有り。愛恵分篤ければ、傲狎なりと雖も離れず。善を助くる者明らかなれば、悪を疾むと雖も害無きなり。救済過厚なれば、人に取ると雖も貪らざるなり。是の故に、其の奪救を観て、間雑を明らかにするの情、得て知るべきなり。何をか其の感変を観て、以て常度を審らかにすと謂ふ。夫れ人は貌を厚くし情を深くす。将に之を求めんと欲すれば、必ず其の辞旨を観、其の応賛を察す。夫れ其の辞旨を観るは、猶ほ音の善醜を聴くがごとし。其の応賛を察するは、猶ほ智の能否を視るがごときなり。故に辞を観、応を察すれば、以て互ひに相別識するに足る。