師導古典を学びたいすべての人に

呂氏春秋 / 論人③

何謂求諸人?人同類而智殊,賢不肖異,皆巧言辯辭,以自防禦,此不肖(王)〔主〕之所以亂也。凡論人,通則觀其所禮,貴則觀其所進,富則觀其所養,聽則觀其所行,止則觀其所好,習則觀其所言,窮則觀其所不受,賤則觀其所不為,喜之以驗其守,樂之以驗其僻,怒之以驗其節,懼之以驗其特,哀之以驗其人,苦之以驗其志,八觀六驗,此賢主之所以論人也。論人者,又必以六戚四隱。何謂六戚?父母兄弟妻子。何謂四隱?交友故舊邑里門(郭)〔郎〕。內則用六戚四隱,外則用八觀六驗,人之情偽貪鄙美惡無所失矣,譬之若逃雨汙,無之而非是。此先聖王之所以知人也。

新字:何謂求諸人?人同類而智殊,賢不肖異,皆巧言辯辞,以自防禦,此不肖(王)〔主〕之所以乱也。凡論人,通則観其所礼,貴則観其所進,富則観其所養,聴則観其所行,止則観其所好,習則観其所言,窮則観其所不受,賤則観其所不為,喜之以験其守,楽之以験其僻,怒之以験其節,懼之以験其特,哀之以験其人,苦之以験其志,八観六験,此賢主之所以論人也。論人者,又必以六戚四隠。何謂六戚?父母兄弟妻子。何謂四隠?交友故旧邑里門(郭)〔郎〕。內則用六戚四隠,外則用八観六験,人之情偽貪鄙美悪無所失矣,譬之若逃雨汙,無之而非是。此先聖王之所以知人也。

書き下し

何をか諸を人に求むると謂う。人、類を同じくして智殊にし、賢不肖異なれども、皆巧言辯辭して、以て自ら防禦す。此れ不肖の主の亂るる所以なり。凡そ人を論ずるには、通ずれば則ち其の禮する所を觀、貴ければ則ち其の進むる所を觀、富めば則ち其の養う所を觀、聽けば則ち其の行う所を觀、止まれば則ち其の好む所を觀、習えば則ち其の言う所を觀、窮すれば則ち其の受けざる所を觀、賤しければ則ち其の為さざる所を觀る。之を喜ばせて以て其の守を驗し、之を樂しませて以て其の僻を驗し、之を怒らせて以て其の節を驗し、之を懼れさせて以て其の特を驗し、之を哀しませて以て其の人を驗し、之を苦しませて以て其の志を驗す。八觀・六驗、此れ賢主の人を論ずる所以なり。人を論ずるには、又必ず六戚・四隱を以てす。何をか六戚と謂う、父母兄弟妻子なり。何をか四隱と謂う、交友故舊邑里門郎なり。內には則ち六戚・四隱を用い、外には則ち八觀・六驗を用うれば、人の情偽・貪鄙・美惡、失う所無し。之を譬うるに、雨汙を逃れんとするが若し。之くとして是に非ざるは無し。此れ聖王の人を知る所以なり。

現代語訳

「他人に求める」とはどういうことか。人は同類でありながら知恵は異なり、賢者と不肖の者は違うのに、みな巧みな言葉と弁舌で自分を守り繕う。これが愚かな君主が判断を誤る原因である。およそ人を評価するには、順境にあればその礼遇する相手を見、貴い地位にあれば推挙する人物を見、富めば養う相手を見、意見が用いられれば実行する内容を見、閑職にとどまればその好みを見、学べばその見識を見、窮すれば受け取らないものを見、賤しい境遇にあれば為さないことを見る(八観)。喜ばせてその節操を試し、楽しませてその癖(邪心)を試し、怒らせてその節度を試し、恐れさせてその独立心を試し、悲しませてその人柄を試し、苦しませてその志を試す(六験)。この八観・六験こそ、賢明な君主が人を評価する方法である。人を評価するには、さらに必ず六戚・四隠を用いる。六戚とは父・母・兄・弟・妻・子である。四隠とは、朋友・旧友・郷党・近習である。内では六戚・四隠を用い、外では八観・六験を用いれば、人の真偽・貪欲さ・善悪を見誤ることがない。たとえるなら、降る雨を逃れようとするようなもので、どこへ行っても(その評価から)逃れられない。これが聖王が人を見抜く方法である。

解説

人物を見抜くための具体的な観察法「八観・六験」と「六戚・四隠」を説く、論人篇の中核です。八観は境遇ごとに相手の何を見るかを、六験は喜怒哀楽など感情を揺さぶって節操や志を試す方法を示します。さらに家族(六戚)と親しい間柄(四隠)からも人を測れば、真偽も善悪も見逃さないとします。巧言でごまかす相手も、多面的に観察すれば本性は隠せないという実践的な人物鑑定術です。現代の採用や人事評価でも、順境だけでなく逆境や感情下での振る舞い、周囲との関係まで多角的に見るという発想は、そのまま有効な指針となります。

この章句が説くこと

論人八観六験六戚四隠人物鑑定

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる