群書治要 / 『群書治要』晉書下・直言を封じない君主の詔
詔曰:凡關言於人主、人臣之所至難、而人主苦不能虛心聽納、自古忠臣直士所忼慨也。其甚者至使杜口結舌、每念於此、未嘗不嘆息也。故前詔敢有直言勿有所拒、庶幾得以發蒙補過、獲保高位、喉舌納言諸賢、當深解此心、務使下情必盡、苟言有偏善、情在忠益、不可責備於一人、雖文辭有謬誤、言語有得失、皆當曠然恕之、古人猶不拒誹謗、况皆善意、在可采録乎。
新字:詔曰:凡関言於人主、人臣之所至難、而人主苦不能虚心聴納、自古忠臣直士所忼慨也。其甚者至使杜口結舌、毎念於此、未嘗不嘆息也。故前詔敢有直言勿有所拒、庶幾得以発蒙補過、獲保高位、喉舌納言諸賢、当深解此心、務使下情必尽、苟言有偏善、情在忠益、不可責備於一人、雖文辞有謬誤、言語有得失、皆当曠然恕之、古人猶不拒誹謗、況皆善意、在可采録乎。
書き下し
詔に曰く、凡そ人主に関言するは、人臣の至難とする所にして、人主は能く心を虚しくして聴納する能わざるに苦しむは、古より忠臣直士の忼慨する所なり。其の甚だしき者は口を杜ぎ舌を結ばしむるに至る。此に念う毎に、未だ嘗て嘆息せずんばあらざるなり。故に前の詔に、敢えて直言する有らば拒む所有ること勿かれと。庶幾くは以て蒙を発き過ちを補い、高位を保つを獲んことを。喉舌納言の諸賢、当に深く此の心を解すべし。務めて下情をして必ず尽くさしめよ。苟くも言に偏善有り、情の忠益に在らば、備わるを一人に責むべからず。文辞に謬誤有り、言語に得失有りと雖も、皆当に曠然として之を恕すべし。古人すら猶お誹謗を拒まず。況んや皆な善意にして、采録すべきに在るをや。
現代語訳
詔にいう。そもそも君主に言葉を申し上げることは、臣下にとって最も難しいことであり、君主が心を空しくして聞き入れることができないのは、昔から忠臣や直言の士が憤り嘆くところである。ひどい場合には、口をつぐみ舌を結ばせてしまうに至る。このことを思うたびに、嘆息せずにはいられない。そこで先の詔で、あえて直言する者があれば拒んではならないと定めた。そうすれば、蒙を啓き、過ちを補い、高い地位を保つことができるだろう。喉舌(君主の言葉を取り次ぐ職)や進言を納める諸賢は、この心を深く理解せよ。つとめて下の者の事情を必ず尽くさせよ。かりにも、言葉に偏りがあっても、真情が忠実な益をはかることにあるなら、一人に完全さを求めてはならない。文章に誤りがあり、言葉に当否があっても、すべて広い心で許さなければならない。古人でさえ誹謗を拒まなかった。まして皆が善意で、採り上げるに足るものであればなおさらである。
解説

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