群書治要 / 『群書治要』魏志・倹約の強要が偽りを生む
天下大器、在位與人、不可以一節儉也。儉素過中、自以處身則可、以此格物、所失或多、今朝廷之議、吏著新衣、乘好車者、謂之不清、形容不飾、衣裘獘壞者、謂之廉潔、至令士大夫、故污辱其衣、藏其輿服、朝府大吏、或自挈壺餐、以入官寺、夫立教觀俗、貴處中庸、為可繼也。今崇一槪難堪之行、以檢殊塗、勉而為之、必有疲瘁、古之大教、務在通人情、而凡激詭之行、則容隱僞矣。
新字:天下大器、在位与人、不可以一節倹也。倹素過中、自以処身則可、以此格物、所失或多、今朝廷之議、吏著新衣、乗好車者、謂之不清、形容不飾、衣裘獘壊者、謂之廉潔、至令士大夫、故汚辱其衣、蔵其輿服、朝府大吏、或自挈壺餐、以入官寺、夫立教観俗、貴処中庸、為可継也。今崇一槪難堪之行、以検殊塗、勉而為之、必有疲瘁、古之大教、務在通人情、而凡激詭之行、則容隠偽矣。
書き下し
天下の大器は、位と人とに在り。一節の倹を以てす可からざるなり。倹素の中を過ぐるは、自ら以て身を処するには則ち可なるも、此れを以て物を格さば、失う所或いは多し。今、朝廷の議、吏の新衣を著け、好車に乗る者は、之を不清と謂い、形容飾らず、衣裘の獘壊せる者は、之を廉潔と謂う。士大夫をして、故に其の衣を汚辱し、其の輿服を蔵し、朝府の大吏、或いは自ら壺餐を挈げて、以て官寺に入るに至らしむ。夫れ教えを立て俗を観るには、中庸に処するを貴ぶ、継ぐ可きが為なり。今、一槪の堪え難きの行いを崇び、以て殊塗を検し、勉めて之を為せば、必ず疲瘁有り。古の大教は、務めて人情に通ずるに在り。而して凡そ激詭の行いは、則ち隠僞を容る。
現代語訳
天下という大きな器は、位と人にかかっています。ひとつの節倹だけで測ってはなりません。度を超えた質素は、自分の身の処し方としてならよいのですが、それで人を正そうとすれば、失うものがおそらく多くなります。いま朝廷の議論では、役人が新しい衣を着て良い車に乗れば不清とされ、身なりを飾らず衣服の破れた者は廉潔とされています。そのため士大夫は、わざと衣服を汚し、乗り物や衣服を隠し、役所の高官の中には自分で弁当を提げて役所に入る者まで出ています。そもそも教えを立てて風俗を整えるには、中庸にあることが大切で、それは続けられるからです。いま、ひと通りの耐えがたい行いを尊んで、さまざまな道を歩む人々を取り締まれば、無理に励んで必ず疲れ果てます。古の大きな教えは、人情に通じることに努めました。極端で奇をてらう行いは、かえって隠れた偽りを許してしまうのです。
解説

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