群書治要 / 『群書治要』漢書・羊飼いの理で民を治める
卜式、河南人也。以田畜為事、時漢方事匈奴、式上書願輸家財半助邊、上使使問式欲為官乎。式曰:自少牧羊、不習仕宦、不願也。使者以聞、上乃召拜式為中郎、賜爵左庶長、田十頃、布告天下、尊顯以風百姓、初、式不願為郎。上曰:吾有羊在上林中、欲令子牧之、式既為郎、布衣草蹻而牧羊、歲餘、羊肥息、上過其羊所、善之。式曰:非獨羊也。治民亦猶是矣。以時起居、惡者輒去、無令敗羣、上奇其言、欲試使治民、拜式緱氏令、緱氏便之、遷齊王大傅、轉御史大夫。
新字:卜式、河南人也。以田畜為事、時漢方事匈奴、式上書願輸家財半助辺、上使使問式欲為官乎。式曰:自少牧羊、不習仕宦、不願也。使者以聞、上乃召拝式為中郎、賜爵左庶長、田十頃、布告天下、尊顕以風百姓、初、式不願為郎。上曰:吾有羊在上林中、欲令子牧之、式既為郎、布衣草蹻而牧羊、歳余、羊肥息、上過其羊所、善之。式曰:非独羊也。治民亦猶是矣。以時起居、悪者輒去、無令敗羣、上奇其言、欲試使治民、拝式緱氏令、緱氏便之、遷斉王大傅、転御史大夫。
書き下し
卜式は、河南の人なり。田畜を以て事と為す。時に漢方に匈奴に事あり、式上書して家財の半ばを輸して辺を助けんことを願う。上使いをして式に問わしむ、官と為らんと欲するか、と。式曰く、少きより羊を牧し、仕宦を習わず、願わざるなり、と。使者以て聞し、上乃ち式を召して拝して中郎と為し、爵左庶長を賜い、田十頃、天下に布告して尊顕し、以て百姓に風す。初め式は郎と為るを願わず。上曰く、吾に羊の上林の中に在る有り、子をして之を牧せしめんと欲す、と。式既に郎と為り、布衣草蹻して羊を牧すること、歳余にして、羊肥え息う。上其の羊の所を過ぎ、之を善しとす。式曰く、独り羊のみに非ず、民を治むるも亦猶お是くのごとし。時を以て起居せしめ、悪しき者は輒ち去らしめ、群を敗らしむる無かれ、と。上其の言を奇とし、試みに民を治めしめんと欲して、式を拝して緱氏の令と為す。緱氏之を便とす。斉王の大傅に遷り、御史大夫に転ず。
現代語訳
卜式は河南の人で、農耕と牧畜を生業にしていました。そのころ漢は匈奴との戦いに当たっており、式は上書して家財の半分を差し出して辺境を助けたいと願い出ました。武帝は使者を遣わし、官になりたいのかと尋ねさせました。式は「若いころから羊を飼ってきて、仕官には慣れておりません。望みません」と言いました。使者がこれを報告すると、武帝は式を召して中郎に任じ、左庶長の爵と田十頃を賜い、天下に布告して尊び顕し、民を教化する手本としました。はじめ式は郎になるのを望みませんでした。武帝は「私には上林苑に羊がいる。そなたに飼わせたい」と言いました。式は郎となると、粗末な衣に草のわらじで羊を飼い、一年余りで羊は肥えて増えました。武帝が羊のいる所を通りかかって、これを称えると、式は言いました。「羊だけではありません。民を治めることもこれと同じです。時に応じて起き伏しさせ、悪いものはすぐに群れから去らせて、群れ全体を損なわせないことです。」武帝はその言葉を奇として、試みに民を治めさせようと、式を緱氏の令に任じました。緱氏の人々はこれを便利としました。その後、斉王の太傅に遷り、御史大夫に転じました。
解説

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史記 平準書是の時、漢方に数々将をして匈奴を撃たしむ。卜式上書し、家の半ばを県官に輸して辺を助けんことを願ふ。天子、使をして式に問はしむ、「官を欲するか」と。式曰く、「臣少くして牧し、仕宦に習はず、願はざるなり」と。使問ひて曰く、「家に豈に冤有りて、事を言はんと欲するか」と。式曰く、「臣生まれて人と分争無し。式の邑人の貧しき者は之に貸し、善からざる者は之を教へて順ならしむ。居る所の人皆式に従ふ。式何の故に人に冤せられん。言はんと欲する所無きなり」と。使者曰く、「苟くも此の如くんば、子は何を欲して然るや」と。式曰く、「天子匈奴を誅す。愚以為へらく、賢者は宜しく節に辺に死すべく、財有る者は宜しく輸委すべし。此の如くして匈奴滅す可きなり」と。使者、具さに其の言を入りて以聞す。天子以て丞相弘に語る。弘曰く、「此れ人情に非ず。不軌の臣は、以て化を為して法を乱す可からず。願はくは陛下許す勿かれ」と。是に於て上久しく式に報ぜず。数歳にして、乃ち式を罷む。式帰りて、復た田牧す。歳余にして、会々軍数々出で、渾邪王等降り、県官の費衆く、倉府空し。其の明年、貧民大いに徙り、皆県官に仰ぎ給するも、以て尽く贍す無し。卜式、銭二十万を持ちて河南の守に予へ、以て徙民に給す。河南、富人の貧人を助くる者の籍を上る。天子、卜式の名を見て之を識り、曰く「是れ固より前に其の家の半ばを輸して辺を助けんと欲せしものなり」と。乃ち式に外繇四百人を賜ふ。式又尽く復た県官に予ふ。是の時、富豪皆争ひて財を匿し、唯式のみ尤も之を輸して費を助けんと欲す。天子是に於て式を以て終に長者なりとし、故に尊顕して以て百姓を風す。初め、式は郎と為るを願はず。上曰く、「吾、羊を上林の中に有す。子をして之を牧せしめんと欲す」と。式乃ち拝して郎と為り、布衣屩にして羊を牧す。歳余にして、羊肥え息す。上過ぎて其の羊を見て、之を善しとす。式曰く、「独り羊のみに非ざるなり、民を治むるも亦猶ほ是のごとし。時を以て起居せしめ、悪しき者は輒ち斥け去りて、群を敗らしむる毋し」と。
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史記 平準書是に於て天子、山東の贍らざるが為に、天下の囚を赦し、南方の楼船の卒二十余万人に因りて南越を撃ち、数万人は三河以西の騎を発して西羌を撃ち、又数万人は河を度りて令居を築く。初めて張掖・酒泉郡を置き、而して上郡・朔方・西河・河西に田官を開き、斥塞の卒六十万人をして戍りて之に田せしむ。中国は道を繕ひ糧を餽ること、遠き者は三千、近き者は千余里、皆大農に仰ぎ給す。辺兵足らず、乃ち武庫・工官の兵器を発して以て之を贍す。車騎の馬乏絶し、県官銭少なく、馬を買ふも得難し。乃ち令を著し、封君以下三百石以上の吏に至るまで、差を以て牝馬を天下の亭に出さしむ。亭に畜牸馬有り、歳ごとに息を課す。斉の相卜式上書して曰く、「臣聞く、主憂ふれば臣辱めらると。南越反す。臣願はくは父子、斉の船に習ふ者と往きて之に死せん」と。天子詔を下して曰く、「卜式は躬ら耕牧すと雖も、以て利と為さず、余り有れば輒ち県官の用を助く。今天下不幸にして急有り、而して式奮ひて父子之に死せんことを願ふ。未だ戦はずと雖も、義内に形はると謂ふ可し。爵関内侯、金六十斤、田十頃を賜へ」と。天下に布告するも、天下応ずる莫し。列侯百を以て数ふるも、皆軍に従ひて羌・越を撃たんことを求むる莫し。酎に至りて、少府金を省し、而して列侯の酎金に坐して侯を失ふ者百余人。乃ち式を拝して御史大夫と為す。式既に位に在り、郡国の多く県官の塩鉄を作るを便とせず、鉄器苦悪にして、賈貴く、或いは彊ひて民をして之を売買せしむるを見る。而して船に算有り、商ふ者少なく、物貴し。乃ち孔僅に因りて船算の事を言ふ。上是に由りて卜式を悦ばず。漢、兵を連ぬること三歳、羌を誅し、南越を滅す。番禺以西、蜀の南に至るまで、初郡十七を置き、且つ其の故俗を以て治め、賦税する毋し。南陽・漢中以往の郡は、各々地の比するを以て初郡の吏卒の奉食・幣物、伝車馬の被具を給す。
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史記 平準書敢て私に鉄器を鋳て塩を煮る者は、左趾に釱し、其の器物を没入せん。郡の鉄を出さざる者は、小鉄官を置き、便ち在る所の県に属せしめん」と。孔僅・東郭咸陽をして伝に乗りて天下の塩鉄を挙げ行はしめ、官府を作り、故の塩鉄家の富める者を除して吏と為す。吏道益々雑にして、選ばれず、而して賈人多し。商賈、幣の変を以て、多く貨を積みて利を逐ふ。是に於て公卿言ふ、「郡国頗る菑害を被り、貧民の産業無き者は、募りて広饒の地に徙す。陛下膳を損じ用を省き、禁銭を出して以て元元を振ひ、賦を寛貸す。而るに民は斉しく南畝に出でず、商賈滋々衆し。貧しき者は畜積有る無く、皆県官に仰ぐ。異時、軺車・賈人の緡銭に算すること皆差有り。請ふ、算すること故の如くせん。諸々の賈人・末作の貰貸・売買し、邑に居りて諸物を稽め、及び商ひて以て利を取る者は、市籍無しと雖も、各々其の物を以て自ら占し、率ね緡銭二千にして一算とせん。諸々の作に租有る及び鋳するものは、率ね緡銭四千にして一算とせん。吏に比する者に非ざる三老・北辺の騎士は、軺車は一算を以てし、商賈人の軺車は二算、船の五丈以上は一算とせん。匿して自ら占せず、占して悉さざるものは、辺を戍ること一歳、緡銭を没入せん。能く告ぐる者有らば、其の半ばを以て之に畀へん。賈人の市籍有る者及び其の家属は、皆田を籍名するを得ること無からしめ、以て農を便にせん。敢て令を犯すものは、田僮を没入せん」と。天子乃ち卜式の言を思ひ、召して式を拝して中郎と為し、爵は左庶長、田十頃を賜ひ、天下に布告して、明らかに之を知らしむ。初め、卜式なる者は河南の人なり。田畜を以て事と為す。親死し、式に少弟有り。弟壮なるや、式は身を脱して出でて分れ、独り畜羊百余を取り、田宅・財物は尽く弟に予ふ。式は山に入りて牧すること十余歳、羊は千余頭に致り、田宅を買ふ。而るに其の弟は尽く其の業を破り、式は輒ち復た弟に分ち予ふること数々なり。
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史記 日者列伝太史公曰く、古者、卜人の載せざる所以の者は、多く篇に見えず。司馬季主に至るに及びて、余志して之を著す。褚先生曰く、臣郎為りし時、長安の中に游観し、卜筮の賢大夫を見る。其の起居行歩を観るに、坐起自ら動き、誓ひて其の衣冠を正して郷人に当たる。君子の風有り。性好く解する婦の来たりて卜するを見るに、之に対して顔色厳振し、未だ嘗て歯を見して笑はず。古より以来、賢者の世を避くるに、止まりて沢に舞ふに居る者有り、民間に居りて口を閉ぢて言はざる者有り、卜筮の間に隠居して以て身を全うする者有り。夫れ司馬季主は楚の賢大夫なり。長安に游学し、易経に通じ、黄帝・老子を術(まな)び、博聞遠見なり。其の二大夫貴人に対する談言を観るに、古の明王聖人の道を称引す。固より浅聞小数の能に非ず。卜筮を以て名声を千里に立つる者に及びては、各々往往にして在り。伝に曰く、「富を上と為し、貴之に次ぐ。既に貴ければ各々一伎能を学びて其の身を立つ」と。黄直は大夫なり。陳君夫は婦人なり。馬を相するを以て名を天下に立つ。斉の張仲・曲成侯は善く撃刺するを以て剣を用ふるを学び、名を天下に立つ。留長孺は彘を相するを以て名を立つ。滎陽の褚氏は牛を相するを以て名を立つ。能く伎能を以て名を立つる者甚だ多く、皆高世絶人の風有り。何ぞ言ふに勝ふ可けんや。故に曰く、「其の地に非ざれば、之を樹うるも生ぜず。其の意に非ざれば、之を教ふるも成らず」と。夫れ家の子孫を教ふるは、当に其の好む所以を視るべし。好みて苟くも生活の道を含まば、因りて之を成す。故に曰く、「宅を制し子に命ずるは、以て士を観るに足る。子に処る所有らば、賢人と謂ふ可し」と。臣郎為りし時、太卜の待詔して郎為る者と署を同じくす。言ひて曰く、「孝武帝の時、占家を聚会して之に問ふ、某日婦を取る可きか」と。
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群書治要・『群書治要』漢書・口の達者さで人を昇進させるな張釈之は字は季、南陽の人なり。資を以て郎と為り、文帝に事うるも、十年調せられず、免ぜられて帰らんと欲す。中郎将爰盎其の賢を知り、其の去るを惜しみ、乃ち請いて釈之を徙して謁者に補せしむ。釈之既に朝し畢りて、因りて前みて便宜の事を言い、文帝善しと称し、釈之を拝して謁者僕射と為す。従いて行き、上虎圏に登り、上林尉に禽獣の簿を問うこと十余問、尉左右を視て、尽く対うる能わず。虎圏の嗇夫旁より尉に代わりて上の問う所の禽獣の簿に対うること甚だ悉く、其の能を観せしめんと欲し、口対響応して窮まり無し。文帝曰く、吏は当に此くの如くなるべからざるか、と。詔して嗇夫を拝して上林令と為さんとす。釈之前みて曰く、陛下は絳侯周勃を以て何人と為すや、と。上曰く、長者なり、と。又復た東陽侯張相如を問う、何人ぞ、と。上復た曰く、長者なり、と。釈之曰く、夫れ絳侯・東陽侯は称して長者と為すも、此の両人は事を言うに、曾て口より出す能わず、豈に嗇夫の喋喋として利口捷給なるに効わんや。且つ秦は刀筆の吏を任ずるを以て、争いて亟疾苛察を以て相高しとし、其の弊徒らに文具にして、惻隠の実無し。故を以て其の過ちを聞かず、陵夷して二世に至り、天下土崩せり。今陛下嗇夫の口弁を以て之を超遷せば、臣恐る、天下風に随いて靡き、口弁を争いて、其の実無からんことを。且つ下の上に化するは、景響よりも疾し。挙措は察せざる可からず、と。文帝曰く、善し、と。迺ち止む。
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牧民忠告・拜命今官を選ぶ者は大率(おおむ)ね内を重んじて外を軽んず、殊に知らず漢の宣帝の民を富ます所以、唐の太宗の家給し人足るる所以は、皆民を牧するの長を重んずるに由るが故なるを。嗚呼、民を牧するの長、其の重きこと此くの若し、乃ち泛焉(はんえん)として選び、懵焉(ぼうえん)として授く、奚(なん)為れぞ是れを慮らざるや。