群書治要 / 『群書治要』漢書三・軍中に将軍の令あって天子の詔なし
勃子亞夫、文帝封為條侯、後六年、匈奴大入邊、以宗正劉禮為將軍、軍霸上、祝茲侯徐厲為將軍、軍棘門、以亞夫為將軍、軍細柳、以備胡、上自勞軍、至霸上及棘門軍、直馳入、將以下騎送迎、已而之細柳軍、軍士吏被甲、鋭兵刃、彀弓弩、持滿、天子先驅至、不得入。先驅曰:天子且至軍門。都尉曰:將軍令曰:軍中聞將軍之令、不聞天子之詔、有頃上至、又不得入。於是上使使持節詔將軍曰:吾欲勞軍、亞夫乃傳言開壁門。壁門士請車騎曰:將軍約、軍中不得驅馳、於是迺按轡徐行至中營。將軍亞夫持兵揖曰:介胄之士不拜、請以軍禮見、天子為動、改容式車、使人稱謝、成禮而去、既出軍門、羣臣皆驚。文帝曰:嗟乎。此真將軍矣。向者霸上棘門軍、如兒戲耳、其將固可襲而虜也。亞夫可得而犯耶、稱善者久之。
新字:勃子亜夫、文帝封為条侯、後六年、匈奴大入辺、以宗正劉礼為将軍、軍覇上、祝茲侯徐厲為将軍、軍棘門、以亜夫為将軍、軍細柳、以備胡、上自労軍、至覇上及棘門軍、直馳入、将以下騎送迎、已而之細柳軍、軍士吏被甲、鋭兵刃、彀弓弩、持満、天子先駆至、不得入。先駆曰:天子且至軍門。都尉曰:将軍令曰:軍中聞将軍之令、不聞天子之詔、有頃上至、又不得入。於是上使使持節詔将軍曰:吾欲労軍、亜夫乃伝言開壁門。壁門士請車騎曰:将軍約、軍中不得駆馳、於是迺按轡徐行至中営。将軍亜夫持兵揖曰:介胄之士不拝、請以軍礼見、天子為動、改容式車、使人称謝、成礼而去、既出軍門、羣臣皆驚。文帝曰:嗟乎。此真将軍矣。向者覇上棘門軍、如児戯耳、其将固可襲而虜也。亜夫可得而犯耶、称善者久之。
書き下し
勃の子亜夫、文帝封じて条侯と為す。後六年、匈奴大いに辺に入る。宗正劉礼を以て将軍と為し、霸上に軍し、祝茲侯徐厲を将軍と為し、棘門に軍し、亜夫を以て将軍と為し、細柳に軍し、以て胡に備う。上自ら軍を労い、霸上及び棘門の軍に至るに、直ちに馳せ入り、将以下騎して送迎す。已にして細柳の軍に之くに、軍士の吏は甲を被り、兵刃を鋭くし、弓弩を彀き、満を持す。天子の先駆至るも、入るを得ず。先駆曰く、天子且に至らんとす、と。都尉曰く、将軍の令に曰く、軍中には将軍の令を聞き、天子の詔を聞かず、と。有頃にして上至るも、又入るを得ず。是に於いて上、使いをして節を持ち将軍に詔せしむ、吾軍を労わんと欲す、と。亜夫乃ち言を伝えて壁門を開かしむ。壁門の士、車騎に請いて曰く、将軍の約に、軍中は駆馳するを得ず、と。是に於いて乃ち轡を按じて徐ろに行き中営に至る。将軍亜夫、兵を持して揖して曰く、介冑の士は拝せず、請う軍礼を以て見えん、と。天子動かされ、容を改め車に式し、人をして称謝せしめ、礼を成して去る。既に軍門を出で、群臣皆驚く。文帝曰く、嗟乎、此れ真の将軍なり。向者の霸上・棘門の軍は、児戯の如きのみ。其の将は固より襲いて虜にすべきなり。亜夫は得て犯すべけんや、と。善と称すること之を久しくす。
現代語訳
周勃の子の亜夫を、文帝は条侯に封じました。六年後、匈奴が大挙して辺境に入りました。そこで宗正の劉礼を将軍として霸上に、祝茲侯の徐厲を将軍として棘門に、亜夫を将軍として細柳に陣を置かせ、胡に備えました。文帝は自ら軍をねぎらいに出向き、霸上と棘門の軍には、そのまま馬で駆け入り、将軍以下は馬で出迎え、見送りました。やがて細柳の軍へ行くと、兵士たちは甲冑を着け、刃を研ぎ、弓を引き絞って構えていました。天子の先駆けが着いても入れません。先駆けは言いました。「天子がまもなくお着きだ。」都尉は答えました。「将軍の命令に、軍中では将軍の命令を聞き、天子の詔は聞かない、とあります。」しばらくして文帝が着きましたが、やはり入れません。そこで文帝は使者に節を持たせて将軍に詔し、「私は軍をねぎらいたい」と告げさせました。亜夫はそこで伝言して陣門を開かせました。門の兵士は、供の車騎に言いました。「将軍の規則では、軍中は馬や車を走らせてはいけません。」そこで文帝は手綱を引いてゆっくり進み、中軍に至りました。亜夫は武器を持ったまま拱手して言いました。「鎧を着た兵は拝礼いたしません。軍の礼でお目にかかります。」天子は心を動かされ、姿勢を改めて車の横木に手をつき、人を遣わして謝意を述べ、礼を済ませて去りました。軍門を出ると、群臣は皆驚きました。文帝は言いました。「ああ、これこそ本物の将軍だ。さきほどの霸上と棘門の軍は、子どもの遊びのようだ。その将軍は、襲って捕らえることもできよう。亜夫を犯すことなどできようか。」文帝は長いあいだ称賛していました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』難三第三十八桓公能く管仲の功を用いて、鉤を射るの怨みを忘る。文公能く寺人の言を聴きて、祛を斬るの罪を棄つ。... 是れ臣讎するに、而も明燭すこと能わず、多く之に資を假すに、自ら以て賢と為して戒めず。
-
易経・師卦周易 第七卦。坎下坤上。易経。師は、貞なり、丈人なれば吉にして咎无し。初六、師出づるに律を以てす。否らざれば臧くとも凶。九二、師に在りて中す、吉にして咎无し。王三たび命を錫う。六三、師或いは尸を輿す、凶。六四、師左き次る、咎无し。六五、田に禽有り、言を執るに利ろし、咎无し。長子師を帥い、弟子尸を輿す、貞なれども凶。上六、大君命有り、国を開き家を承けしむ、小人は用うる勿かれ。彖に曰く、
-
『春秋左氏伝』僖公二十八年 城濮の戦い晉の車七百乘、韅・靷・鞅・靽あり。晉侯有莘の虛に登りて以て師を觀て、曰く、「少長禮有り、其れ用ゐるべし」と。遂に其の木を伐りて以て其の兵を益す。己巳、晉の師莘北に陳し、胥臣下軍の佐を以て陳・蔡に當たる。子玉若敖の六卒を以て中軍に將たり。曰く、「今日必ず晉無からん」と。子西左に將たり、子上右に將たり。胥臣馬を蒙ふに虎皮を以てし、先づ陳・蔡を犯す。陳・蔡奔り、楚の右師潰ゆ。狐毛二旆を設けて之を退く。欒枝輿をして柴を曳きて偽り遁れしむ、楚の師之を馳す。原軫・郤溱中軍の公族を以て之を橫擊す。狐毛・狐偃上軍を以て子西を夾攻し、楚の左師潰ゆ。楚の師敗績す。子玉其の卒を收めて止まる、故に敗れず。晉の師三日館穀し、癸酉に及びて還る。甲午、衡雍に至り、王宮を踐土に作る。鄉役の三月、鄭伯楚に如きて其の師を致す。楚の師既に敗るるが為に懼れ、子人九をして成を晉に行はしむ。晉の欒枝入りて鄭伯と盟ふ。五月、丙午、晉侯鄭伯と衡雍に盟ふ。丁未、楚の俘を王に獻ず、駟介百乘、徒兵千。鄭伯王に傅く、平禮を用ゐるなり。
-
尚書・牧誓時れ甲子の昧爽、王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。王左に黄鉞(こうえつ)を杖つき、右に白旄(はくぼう)を秉(と)りて以て麾(さしまね)きて、曰く、「逖(とほ)いかな西土の人。」王曰く、「嗟(ああ)、我が友邦の冢君、御事・司徒・司馬・司空・亜・旅・師氏・千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳(ぼう)・微・盧・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比(なら)べ、爾の矛を立てよ、予其れ誓はん。」王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨(あした)すること無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索(つ)くるなり』と。今商王受、惟れ婦の言を是れ用ふ。昏(くら)くして厥の肆祀を棄てて、答へず。昏くして厥の遺王父母弟を弃てて、迪(みちび)かず。乃ち惟れ四方の多罪逋逃(ほとう)、是れ崇び是れ長じ、是れ信じ是れ使ひ、是れ以て大夫卿士と為し、百姓に暴虐し、以て商邑に姦宄せしむ。今予発、惟れ恭しく天の罰を行ふ。今日の事、六歩・七歩に愆(す)ぎずして、乃ち止まりて斉(ととの)へよ。夫子勖(つと)めよや。四伐・五伐・六伐・七伐に愆ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勖めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く、貔(ひ)の如く、熊の如く、羆(ひ)の如く、商の郊に于いてせよ。克く奔るものを御(ふせ)ぐこと弗く、以て西土に役せしめよ。勖めよや夫子。爾の勖めざる所は、其れ爾の躬に于いて戮有らん。」
-
史記 淮南衡山列伝呂后諸呂を王とし、以て劉氏を危うくせんと欲す、辟陽侯争はず、罪の三なり。臣謹んで天下の為に賊臣辟陽侯を誅し、母の仇に報ゆ、謹んで闕下に伏して罪を請ふ」と。孝文其の志を傷み、親の為の故に、治めず、厲王を赦す。是の時に当たり、薄太后及び太子諸大臣皆厲王を憚る、厲王此を以て国に帰りて益々驕恣にして、漢の法を用ひず、出入に警蹕を称し、制と称し、自ら法令を為り、天子に擬す。六年、男子但等七十人をして棘蒲侯柴武の太子奇と謀り、輂車四十乗を以て谷口に反せしめ、人をして閩越・匈奴に使ひせしむ。事覚り、之を治め、使ひをして淮南王を召さしむ。淮南王長安に至る。「丞相臣張倉・典客臣馮敬・行御史大夫事宗正臣逸・廷尉臣賀・備盗賊中尉臣福昧死して言ふ。淮南王長先帝の法を廃し、天子の詔を聴かず、居処度無く、黄屋蓋の乗輿を為り、出入天子に擬し、擅に法令を為り、漢の法を用ひず。及び置く所の吏、其の郎中春を以て丞相と為し、漢の諸侯の人及び罪有りて亡ぐる者を聚収し、匿して与に居り、為に家室を治め、其の財物爵禄田宅を賜ひ、爵或いは関内侯に至り、奉ずるに二千石を以てす、当に得べからざる所なり、以て為す有らんと欲す。大夫但・士伍開章等七十人棘蒲侯の太子奇と謀反し、以て宗廟社稷を危うくせんと欲す。開章をして陰に長に告げしめ、与に謀りて閩越及び匈奴に使ひして其の兵を発せしめんとす。開章淮南に之きて長に見ゆ、長数々与に坐して語り飲食し、為に家室を為り婦を娶らしめ、二千石の俸を以て之を奉ず。開章人をして但に告げしむ、已に之を王に言ふと。春使ひをして但等に報ぜしむ。吏覚知し、長安の尉奇等をして往きて開章を捕へしむ。長匿して予へず、故の中尉蕑忌と謀り、殺して以て口を閉ざす。
-
『政談』大坂在番の事且又た主人死する上は主なき家来を御城内に差置き難きと云ふことか、小の御番城は家来計りにて守らするもあるなり、相番の番頭預りて下知せは苦しかるまじきことなり、惣じて大坂在番は余りに法厳しくて宜しからざるやうなり、凡て人は唯々居られぬものなり、御番所は各別、面々の小屋にては一組独吟のうたひは苦しかるまじきことなり、笛又は楽の笙ひちりきなど覚えたらん人は是亦苦しかるまじきことなり、然るに一切に鳴物を禁して忌中に似たるも宜しからざることなり、御番衆なりをしつめて不断に居る故食物に物入り夥し、或は博奕などすることに成るなり、惣じて大名の屋敷にても、余り法厳しき家中は必す博奕淫乱はやる者なり、