群書治要 / 『群書治要』史記下・国の急を先にして私憾を後にする
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。頗曰:我為趙將、有攻城野戰之功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。宣言曰:我見相如、必辱之、相如聞、每朝、常稱病、已而相如出、望見廉頗、引車避匿。於是舍人相與諫曰:臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉君同列、廉君宣惡言、而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、况於將相乎。臣等不肖、請辭去、相如固止之。曰:公之視廉將軍、孰與秦王。曰:不若也。相如曰:夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其羣臣、相如雖駑、獨何畏廉將軍哉。顧吾念之、强秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎鬥、其勢不俱生、吾所以為此、先公家之急而後私讎也。頗聞之、肉袒負荊、因賓客至相如門謝罪。曰:鄙賤之人、不知將軍寬之至此也。卒相與歡、為刎頸之交。
新字:既罷帰国、以相如功大、拝為上卿、位在廉頗之右。頗曰:我為趙将、有攻城野戦之功、而藺相如徒以口舌為労、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。宣言曰:我見相如、必辱之、相如聞、毎朝、常称病、已而相如出、望見廉頗、引車避匿。於是舎人相与諫曰:臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君与廉君同列、廉君宣悪言、而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、況於将相乎。臣等不肖、請辞去、相如固止之。曰:公之視廉将軍、孰与秦王。曰:不若也。相如曰:夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其羣臣、相如雖駑、独何畏廉将軍哉。顧吾念之、強秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾両人在也。今両虎鬥、其勢不倶生、吾所以為此、先公家之急而後私讎也。頗聞之、肉袒負荊、因賓客至相如門謝罪。曰:鄙賤之人、不知将軍寛之至此也。卒相与歓、為刎頸之交。
書き下し
既に罷めて国に帰るや、相如の功大なるを以て、拝して上卿と為し、位は廉頗の右に在り。頗曰く、我趙の将と為り、攻城野戦の功有り。而るに藺相如は徒だ口舌を以て労を為すのみにして、位は我が上に居る。且つ相如は素より賤しき人なり。吾羞じて、之が下と為るに忍びず、と。宣言して曰く、我相如を見れば、必ず之を辱めん、と。相如聞き、朝する毎に、常に病と称す。已にして相如出でて、遥かに廉頗を見れば、車を引きて避け匿る。是に於いて舎人相与に諫めて曰く、臣の親戚を去りて君に事うる所以は、徒だ君の高義を慕えばなり。今君は廉君と同列なるに、廉君悪言を宣べ、而るに君之を畏れ匿るること、恐懼殊に甚だし。且つ庸人すら尚お之を羞ず、況んや将相をや。臣等不肖なり、請う辞し去らん、と。相如固く之を止む。曰く、公の廉将軍を視ること、秦王と孰与れぞ、と。曰く、若かざるなり、と。相如曰く、夫れ秦王の威を以てして、相如廷に之を叱し、其の群臣を辱む。相如駑なりと雖も、独り何ぞ廉将軍を畏れんや。顧うに吾之を念うに、強秦の敢えて兵を趙に加えざる所以の者は、徒だ吾が両人在るを以てなり。今両虎闘わば、其の勢い俱には生きず。吾が此れを為す所以は、公家の急を先にして私讎を後にすればなり、と。頗聞き、肉袒して荊を負い、賓客に因りて相如の門に至りて謝罪す。曰く、鄙賤の人、将軍の寛なること此に至るを知らざりき、と。卒に相与に歓び、刎頸の交わりを為す。
現代語訳
会合が終わって国に帰ると、相如の功が大きいというので、上卿に任じられ、位は廉頗の上になりました。廉頗は言いました。「私は趙の将として、城攻めや野戦の功がある。ところが藺相如は、ただ口先の働きだけで、私より上の位にいる。しかも相如はもともと身分の低い者だ。私は恥ずかしくて、その下に立つのは我慢できない。」そして公言しました。「相如に会ったら、必ず辱めてやる。」相如はこれを聞き、朝廷に出る日はいつも病気と言って休みました。やがて外出した折、遠くに廉頗を見ると、車を引き返して身を隠しました。そこで家臣たちが相談して諫めました。「私たちが親族のもとを離れて君にお仕えしているのは、ただ君の高い義を慕うからです。今、君は廉君と同列なのに、廉君が悪口を言うと、君は恐れて隠れ、その怯えようは非常に甚だしい。凡人でさえ恥じることです。まして将軍や宰相ならなおさらです。私たちは不肖ですので、辞めさせてください。」相如は固く引き止めて言いました。「あなた方は、廉将軍と秦王とでは、どちらが上だと思うか。」「秦王に及びません。」相如は言いました。「あの秦王の威勢にも、私は朝廷でその場で叱りつけ、その群臣を辱めた。私が愚かでも、どうして廉将軍だけを恐れようか。よく考えると、強い秦が趙に兵を向けないのは、ただ私たち二人がいるからだ。今、二匹の虎が闘えば、どちらも生き残れない。私がこうするのは、国の急を先にして、私的な恨みを後にするからだ。」廉頗はこれを聞き、肌脱ぎになって荊の鞭を背負い、客人を通じて相如の門まで行って謝罪しました。「卑しい私は、将軍の寛大さがここまでとは知りませんでした。」こうして二人は和解し、首を切られても悔いない交わりを結びました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 廉頗藺相如列伝既に罷めて国に帰り、相如の功大なるを以て、拝して上卿と為し、位は廉頗の右に在り。廉頗曰く、「我は趙の将と為り、攻城野戦の大功有り、而るに藺相如は徒だ口舌を以て労と為し、而して位は我が上に居る。且つ相如は素賤人なり、吾羞ぢて、これが下と為るに忍びず」と。宣言して曰く、「我相如を見ば、必ずこれを辱めん」と。相如聞き、与に会ふことを肯んぜず。相如朝する時毎に、常に病と称し、廉頗と列を争ふことを欲せず。已にして相如出で、廉頗を望見す、相如車を引きて避け匿る。是に於いて舎人相与に諫めて曰く、「臣の親戚を去りて君に事ふる所以の者は、徒だ君の高義を慕へばなり。今、君は廉頗と列を同じくす、廉君悪言を宣べて、君畏れてこれに匿る、恐懼すること殊に甚だし。且つ庸人すら尚ほこれを羞づ、況んや将相に於いてをや。臣等不肖なり、請ふ辞し去らん」と。藺相如固くこれを止めて曰く、「公の廉将軍を視るに、秦王といづれぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王の威を以てすら、而も相如これを廷に叱し、その群臣を辱む。相如駑なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧だ吾これを念ふに、彊秦の敢へて兵を趙に加へざる所以の者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり。今、両虎共に闘はば、その勢ひ倶には生きざらん。吾の此を為す所以の者は、国家の急を先にして私讎を後にするを以てなり」と。廉頗これを聞き、肉袒して荊を負ひ、賓客に因りて藺相如の門に至りて罪を謝して曰く、「鄙賤の人、将軍の寛なることの此に至るを知らざりき」と。卒に相与に驩び、刎頸の交はりを為す。
-
『智囊』見大・藺相如・寇恂趙王、澠池より帰り、藺相如の功大なるを以て、拝して上卿と為し、位は廉頗の右に在り。廉頗は自ら戦功を侈り、而るに相如は徒だ口舌の労を以て位その上に居るを、以て羞とし、宣言して曰く、「我、相如を見れば、必ずこれを辱めん」と。相如聞きて、与に会するを肯んぜず。朝する毎に、常に病と称し、頗と列を争うを欲せず。已にして相如出でて、廉頗を望み見れば、輒ち車を引きて避け匿る。是に於て舎人ら相い与に相如を諫め、辞し去らんと欲す。相如固くこれを止めて曰く、「公の廉頗を視ること、秦王に孰与れぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王の威を以てして、相如はこれを廷叱し、その群臣を辱む。相如、駑なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧うに吾これを念う、強秦の敢えて兵を趙に加えざる所以の者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり。今、両虎共に闘えば、勢い俱には生きず。吾が此れを為す所以の者は、国家の急を先にして私仇を後にすればなり」と。頗これを聞き、肉袒して荊を負い、賓客に因りて相如の門に至りて謝罪し、遂に刎頸の交わりを為す。
-
十八史略・『十八史略』趙・恵文王(藺相如)・将相和と刎頸の交わり趙王帰り、相如を以て上卿と為し、廉頗の右に在らしむ。頗曰く、「我は趙の将と為り、攻城野戦の功有り。相如は素より賤人、徒だ口舌を以て我が上に居る。吾之が下と為るを羞ず。我相如を見れば必ず之を辱めん」と。相如之を聞き、朝毎に常に病と称し、与に列を争うを欲せず。出でて望み見れば、輒ち車を引きて避け匿る。其の舎人、皆な以て恥と為す。相如曰く、「夫れ秦の強きを以てして、秦の敢えて兵を趙に加えざる者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり。今両虎共に鬭わば、其の勢い倶には生きず。吾の此を為す所以の者は、国家の急を先にして私讎を後にすればなり」と。頗之を聞き、肉袒して荊を負い、門に詣りて罪を謝し、遂に刎頸の交わりを為す。
-
史記 廉頗藺相如列伝相如至り、秦王に謂ひて曰く、「秦は繆公より以来二十余君、未だ嘗て約束を堅明にする者有らざるなり。臣誠に王に欺かれて趙に負かんことを恐る、故に人をして璧を持して帰らしむ、間に趙に至れり。且つ秦は彊くして趙は弱し、大王一介の使ひを遣はして趙に至らば、趙立ちどころに璧を奉じて来たらん。今、秦の彊きを以て先づ十五都を割きて趙に予へば、趙豈に敢へて璧を留めて罪を大王に得んや。臣は大王を欺くの罪の誅に当たるを知る、臣請ふ湯鑊に就かん、唯だ大王と群臣とこれを孰計議せよ」と。秦王と群臣と相視て嘻す。左右或いは相如を引きて去らんと欲す、秦王因りて曰く、「今相如を殺すとも、終に璧を得る能はざるなり、而して秦趙の驩を絶たん。因りてこれを厚遇し、趙に帰らしむるに如かず、趙王豈に一璧の故を以て秦を欺かんや」と。卒に廷に相如を見、礼を畢へてこれを帰す。相如既に帰り、
-
史記 廉頗藺相如列伝廉頗は、趙の良将なり。趙の恵文王の十六年、廉頗趙の将と為りて斉を伐ち、大いにこれを破り、陽晋を取り、拝して上卿と為る、勇気を以て諸侯に聞こゆ。藺相如は、趙人なり、趙の宦者令繆賢の舎人為り。趙の恵文王の時、楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王これを聞き、人をして趙王に書を遺らしめ、原(ねが)はくは十五城を以て璧に易へんことを請ふ。趙王、大将軍廉頗・諸大臣と謀る。秦に予へんと欲すれば、秦の城恐らくは得べからず、徒らに欺かれん。予ふること勿からんと欲すれば、即ち秦の兵の来たらんことを患ふ。計未だ定まらず、人の秦に報ぜしむべき者を求むるも、未だ得ず。宦者令繆賢曰く、「臣の舎人藺相如使はすべし」と。王問ふ、「何を以てこれを知る」と。対へて曰く、「臣嘗て罪有り、竊かに計りて亡げて燕に走らんと欲す。臣の舎人相如臣を止めて曰く、『君何を以て燕王を知る』と。臣語りて曰く、『臣嘗て大王に従ひて燕王と境上に会す、燕王私かに臣の手を握りて曰く「願はくは友を結ばん」と。此を以てこれを知る、故に往かんと欲す』と。相如臣に謂ひて曰く、『夫れ趙は彊くして燕は弱し、而して君は趙王に幸せらる、故に燕王君に結ばんと欲す。今、君乃ち趙を亡げて燕に走らば、燕は趙を畏れ、その勢ひ必ず敢へて君を留めずして、君を束ねて趙に帰さん。君は肉袒して斧質に伏して罪を請ふに如かず、則ち幸ひに脱るるを得ん』と。臣その計に従ふ、大王もまた幸ひに臣を赦せり。臣竊かに以為へらく、その人は勇士にして、智謀有り、宜しく使はすべし」と。是に於いて王召見し、藺相如に問ひて曰く、「秦王、十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ、予ふべきや不や」と。相如曰く、「秦は彊くして趙は弱し、許さざるべからず」と。王曰く、「吾が璧を取りて、我に城を予へずんば、奈何」と。相如曰く、「秦、城を以て璧を求めて趙許さずんば、曲は趙に在り。趙、璧を予へて秦趙に城を予へずんば、曲は秦に在り。これが二策を均しくするに、甯ろ許して以て秦に曲を負はしめん」と。王曰く、「誰か使はすべき者ぞ」と。相如曰く、「王必ず人無くんば、臣願はくは璧を奉じて往きて使ひせん。
-
史記 廉頗藺相如列伝趙王以為へらく賢大夫にして使ひして諸侯に辱められずと、相如を拝して上大夫と為す。秦もまた城を以て趙に予へず、趙もまた終に秦に璧を予へず。その後、秦趙を伐ち、石城を抜く。明年、また趙を攻め、二万人を殺す。秦王、使者をして趙王に告げしめ、王と好会を西河の外の澠池に為さんと欲す。趙王秦を畏れ、行くこと毋からんと欲す。廉頗・藺相如計りて曰く、「王行かずんば、趙の弱くして且つ怯なるを示さん」と。趙王遂に行く、相如従ふ。廉頗送りて境に至り、王と訣れて曰く、「王行きて、道里を度り会遇の礼畢はりて還らば、三十日を過ぎず。三十日にして還らずんば、則ち請ふ太子を立てて王と為し、以て秦の望みを絶たん」と。王これを許す、遂に秦王と澠池に会す。秦王酒を飲みて酣なり、曰く、「寡人竊かに聞く、趙王音を好むと、請ふ瑟を奏せよ」と。趙王瑟を鼓す。秦の御史前みて書して曰く「某年月日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と。藺相如前みて曰く、「趙王竊かに聞く、秦王善く秦声を為すと、請ふ盆鮓を秦王に奏し、以て相娯楽せん」と。秦王怒りて、許さず。是に於いて相如前みて鮓を進め、因りて跪きて秦王に請ふ。秦王鮓を撃つことを肯んぜず。相如曰く、「五歩の内、相如請ふ頸血を以て大王に濺ぐを得ん」と。左右相如を刃せんと欲す、相如目を張りてこれを叱す、左右皆靡く。是に於いて秦王懌ばず、為に一たび鮓を撃つ。相如顧みて趙の御史を召し書せしめて曰く「某年月日、秦王、趙王の為に鮓を撃つ」と。秦の群臣曰く、「請ふ趙の十五城を以て秦王の寿と為せ」と。藺相如もまた曰く、「請ふ秦の咸陽を以て趙王の寿と為せ」と。秦王酒を竟ふるまで、終に勝を趙に加ふる能はず。趙もまた盛んに兵を設けて以て秦を待つ、秦敢へて動かず。