史記 / 廉頗藺相如列伝
趙王以爲賢大夫使不辱於諸侯,拜相如爲上大夫。秦亦不以城予趙,趙亦終不予秦璧。其後秦伐趙,拔石城。明年,復攻趙,殺二萬人。秦王使使者告趙王,欲與王爲好會於西河外澠池。趙王畏秦,欲毋行。廉頗、藺相如計曰:「王不行,示趙弱且怯也。」趙王遂行,相如從。廉頗送至境,與王訣曰:「王行,度道裏會遇之禮畢,還,不過三十日。三十日不還,則請立太子爲王。以絶秦望。」王許之,遂與秦王會澠池。秦王飲酒酣,曰:「寡人竊聞趙王好音,請奏瑟。」趙王鼓瑟。秦禦史前書曰「某年月日,秦王與趙王會飲,令趙王鼓瑟」。藺相如前曰:「趙王竊聞秦王善爲秦聲,請奏盆鮓秦王,以相娯樂。」秦王怒,不許。於是相如前進鮓,因跪請秦王。秦王不肯撃鮓。相如曰:「五歩之内,相如請得以頸血濺大王矣!」左右欲刃相如,相如張目叱之,左右皆靡。於是秦王不懌,爲一撃鮓。相如顧召趙禦史書曰「某年月日,秦王爲趙王撃鮓」。秦之群臣曰:「請以趙十五城爲秦王壽」。藺相如亦曰:「請以秦之咸陽爲趙王壽。」秦王竟酒,終不能加勝於趙。趙亦盛設兵以待秦,秦不敢動。
新字:趙王以為賢大夫使不辱於諸侯,拝相如為上大夫。秦亦不以城予趙,趙亦終不予秦璧。其後秦伐趙,抜石城。明年,復攻趙,殺二万人。秦王使使者告趙王,欲与王為好会於西河外澠池。趙王畏秦,欲毋行。廉頗、藺相如計曰:「王不行,示趙弱且怯也。」趙王遂行,相如従。廉頗送至境,与王訣曰:「王行,度道裏会遇之礼畢,還,不過三十日。三十日不還,則請立太子為王。以絶秦望。」王許之,遂与秦王会澠池。秦王飲酒酣,曰:「寡人窃聞趙王好音,請奏瑟。」趙王鼓瑟。秦禦史前書曰「某年月日,秦王与趙王会飲,令趙王鼓瑟」。藺相如前曰:「趙王窃聞秦王善為秦声,請奏盆鮓秦王,以相娯楽。」秦王怒,不許。於是相如前進鮓,因跪請秦王。秦王不肯撃鮓。相如曰:「五歩之内,相如請得以頸血濺大王矣!」左右欲刃相如,相如張目叱之,左右皆靡。於是秦王不懌,為一撃鮓。相如顧召趙禦史書曰「某年月日,秦王為趙王撃鮓」。秦之群臣曰:「請以趙十五城為秦王寿」。藺相如亦曰:「請以秦之咸陽為趙王寿。」秦王竟酒,終不能加勝於趙。趙亦盛設兵以待秦,秦不敢動。
書き下し
趙王以為へらく賢大夫にして使ひして諸侯に辱められずと、相如を拝して上大夫と為す。秦もまた城を以て趙に予へず、趙もまた終に秦に璧を予へず。その後、秦趙を伐ち、石城を抜く。明年、また趙を攻め、二万人を殺す。秦王、使者をして趙王に告げしめ、王と好会を西河の外の澠池に為さんと欲す。趙王秦を畏れ、行くこと毋からんと欲す。廉頗・藺相如計りて曰く、「王行かずんば、趙の弱くして且つ怯なるを示さん」と。趙王遂に行く、相如従ふ。廉頗送りて境に至り、王と訣れて曰く、「王行きて、道里を度り会遇の礼畢はりて還らば、三十日を過ぎず。三十日にして還らずんば、則ち請ふ太子を立てて王と為し、以て秦の望みを絶たん」と。王これを許す、遂に秦王と澠池に会す。秦王酒を飲みて酣なり、曰く、「寡人竊かに聞く、趙王音を好むと、請ふ瑟を奏せよ」と。趙王瑟を鼓す。秦の御史前みて書して曰く「某年月日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と。藺相如前みて曰く、「趙王竊かに聞く、秦王善く秦声を為すと、請ふ盆鮓を秦王に奏し、以て相娯楽せん」と。秦王怒りて、許さず。是に於いて相如前みて鮓を進め、因りて跪きて秦王に請ふ。秦王鮓を撃つことを肯んぜず。相如曰く、「五歩の内、相如請ふ頸血を以て大王に濺ぐを得ん」と。左右相如を刃せんと欲す、相如目を張りてこれを叱す、左右皆靡く。是に於いて秦王懌ばず、為に一たび鮓を撃つ。相如顧みて趙の御史を召し書せしめて曰く「某年月日、秦王、趙王の為に鮓を撃つ」と。秦の群臣曰く、「請ふ趙の十五城を以て秦王の寿と為せ」と。藺相如もまた曰く、「請ふ秦の咸陽を以て趙王の寿と為せ」と。秦王酒を竟ふるまで、終に勝を趙に加ふる能はず。趙もまた盛んに兵を設けて以て秦を待つ、秦敢へて動かず。
現代語訳
趙王は相如を、使者として諸侯に辱められなかった賢い大夫だと考え、上大夫に任じた。秦も結局城を趙に与えず、趙も最後まで璧を秦に与えなかった。その後、秦は趙を討って石城を落とした。翌年も趙を攻め、二万人を殺した。秦王は使者を送って趙王に伝え、西河の外の澠池で趙王と友好の会見をしたいと申し入れた。趙王は秦を恐れて行くまいとした。廉頗と藺相如は相談して言った。「王が行かなければ、趙が弱くて臆病だと示すことになる。」趙王はそこで出かけることにし、相如が随行した。廉頗は国境まで見送り、王と別れる際に言った。「王が行かれて、道のりを計算し、会見の儀礼を終えて帰ってこられるまで、三十日を超えないはずだ。三十日たってもお帰りにならなければ、太子を立てて王とし、秦の(王を人質にして趙を脅そうとする)望みを断たせていただきたい。」王はこれを許し、秦王と澠池で会見した。秦王は酒宴がたけなわになると言った。「わしは趙王が音楽を好まれると聞いている。どうか瑟を弾いていただきたい。」趙王は瑟を弾いた。すると秦の御史(記録官)が進み出て書き記した。「某年某月某日、秦王は趙王と酒宴をし、趙王に瑟を弾かせた。」藺相如は進み出て言った。「趙王は、秦王が秦の歌がお上手だと聞いている。どうか盆缻(素焼きの瓶の打楽器)を秦王に差し上げるので、打ち鳴らして互いに楽しもうではないか。」秦王は怒って承知しなかった。そこで相如は進み出て缻を差し出し、ひざまずいて秦王に願った。秦王は缻を打とうとしなかった。相如は言った。「五歩の内なら、私は首をはねて、その血を大王に浴びせかけることができる。」側近たちは相如を斬ろうとしたが、相如が目をむいて叱りつけると、みな後ずさりした。そこで秦王はしぶしぶ、趙王のために一度だけ缻を打った。相如は振り返って趙の御史を呼び、書き記させた。「某年某月某日、秦王は趙王のために缻を打った。」秦の群臣が言った。「趙の十五の城を秦王の長寿のお祝いとして献上していただきたい。」藺相如もまた言った。「秦の都咸陽を趙王の長寿のお祝いとして献上していただきたい。」秦王は酒宴が終わるまで、結局趙より優位に立つことができなかった。趙もまた兵を盛んに配置して秦に備えていたので、秦はあえて動けなかった。
解説
関連する章句
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史記 廉頗藺相如列伝城趙に入らば璧は秦に留めん。城入らずんば、臣請ふ璧を完うして趙に帰さん」と。趙王是に於いて遂に相如を遣はし璧を奉じて西のかた秦に入らしむ。秦王章台に坐して相如を見る、相如璧を奉じて秦王に奏す。秦王大いに喜び、伝へて以て美人及び左右に示す、左右皆万歳を呼ぶ。相如、秦王の趙に城を償ふに意無きを視て、乃ち前みて曰く、「璧に瑕有り、請ふ王に指示せん」と。王璧を授く、相如因りて璧を持して卻き立ち、柱に倚り、怒髪上りて冠を衝き、秦王に謂ひて曰く、「大王璧を得んと欲し、人をして書を発して趙王に至らしむ。趙王悉く群臣を召して議す、皆曰く『秦は貪にしてその彊きを負み、空言を以て璧を求む、城を償ふは恐らくは得べからず』と。議は秦に璧を予ふるを欲せず。臣以為へらく、布衣の交はりすら尚ほ相欺かず、況んや大国をや。且つ一璧の故を以て彊秦の驩に逆らふは、不可なりと。是に於いて趙王乃ち斎戒すること五日、臣をして璧を奉ぜしめ、書を庭に拝送す。何となれば、大国の威を厳にして以て敬を修むればなり。今、臣至る、大王臣を列観に見、礼節甚だ倨る。璧を得て、これを美人に伝へ、以て臣を戯弄す。臣、大王の趙王に城邑を償ふに意無きを観る、故に臣また璧を取る。大王必ず臣を急にせんと欲せば、臣の頭は今璧と倶に柱に砕けん」と。相如その璧を持して柱を睨み、以て柱を撃たんと欲す。秦王その璧を破らんことを恐れ、乃ち辞謝して固く請ひ、有司を召して図を案じ、此より以往の十五都を指して趙に予へんとす。相如度るに秦王は特に詐りを以て詳りて趙に城を予ふと為すのみ、実は得べからず、乃ち秦王に謂ひて曰く、「和氏の璧は、天下の共に伝ふる所の宝なり、趙王恐れて、敢へて献ぜずんばあらず。趙王璧を送る時、斎戒すること五日、今大王もまた宜しく斎戒すること五日、九賓を廷に設くべし、臣乃ち敢へて璧を上らん」と。秦王これを度るに、終に彊ひて奪ふべからず、遂に斎すること五日を許し、相如を広成伝に舎す。相如度るに秦王斎すと雖も、決して約に負きて城を償はざらん、乃ちその従者をして褐を衣せしめ、その璧を懐にし、径道より亡げて、璧を趙に帰さしむ。秦王斎すること五日の後、乃ち九賓の礼を廷に設け、趙の使者藺相如を引く。
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史記 廉頗藺相如列伝相如至り、秦王に謂ひて曰く、「秦は繆公より以来二十余君、未だ嘗て約束を堅明にする者有らざるなり。臣誠に王に欺かれて趙に負かんことを恐る、故に人をして璧を持して帰らしむ、間に趙に至れり。且つ秦は彊くして趙は弱し、大王一介の使ひを遣はして趙に至らば、趙立ちどころに璧を奉じて来たらん。今、秦の彊きを以て先づ十五都を割きて趙に予へば、趙豈に敢へて璧を留めて罪を大王に得んや。臣は大王を欺くの罪の誅に当たるを知る、臣請ふ湯鑊に就かん、唯だ大王と群臣とこれを孰計議せよ」と。秦王と群臣と相視て嘻す。左右或いは相如を引きて去らんと欲す、秦王因りて曰く、「今相如を殺すとも、終に璧を得る能はざるなり、而して秦趙の驩を絶たん。因りてこれを厚遇し、趙に帰らしむるに如かず、趙王豈に一璧の故を以て秦を欺かんや」と。卒に廷に相如を見、礼を畢へてこれを帰す。相如既に帰り、
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史記 廉頗藺相如列伝廉頗は、趙の良将なり。趙の恵文王の十六年、廉頗趙の将と為りて斉を伐ち、大いにこれを破り、陽晋を取り、拝して上卿と為る、勇気を以て諸侯に聞こゆ。藺相如は、趙人なり、趙の宦者令繆賢の舎人為り。趙の恵文王の時、楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王これを聞き、人をして趙王に書を遺らしめ、原(ねが)はくは十五城を以て璧に易へんことを請ふ。趙王、大将軍廉頗・諸大臣と謀る。秦に予へんと欲すれば、秦の城恐らくは得べからず、徒らに欺かれん。予ふること勿からんと欲すれば、即ち秦の兵の来たらんことを患ふ。計未だ定まらず、人の秦に報ぜしむべき者を求むるも、未だ得ず。宦者令繆賢曰く、「臣の舎人藺相如使はすべし」と。王問ふ、「何を以てこれを知る」と。対へて曰く、「臣嘗て罪有り、竊かに計りて亡げて燕に走らんと欲す。臣の舎人相如臣を止めて曰く、『君何を以て燕王を知る』と。臣語りて曰く、『臣嘗て大王に従ひて燕王と境上に会す、燕王私かに臣の手を握りて曰く「願はくは友を結ばん」と。此を以てこれを知る、故に往かんと欲す』と。相如臣に謂ひて曰く、『夫れ趙は彊くして燕は弱し、而して君は趙王に幸せらる、故に燕王君に結ばんと欲す。今、君乃ち趙を亡げて燕に走らば、燕は趙を畏れ、その勢ひ必ず敢へて君を留めずして、君を束ねて趙に帰さん。君は肉袒して斧質に伏して罪を請ふに如かず、則ち幸ひに脱るるを得ん』と。臣その計に従ふ、大王もまた幸ひに臣を赦せり。臣竊かに以為へらく、その人は勇士にして、智謀有り、宜しく使はすべし」と。是に於いて王召見し、藺相如に問ひて曰く、「秦王、十五城を以て寡人の璧に易へんことを請ふ、予ふべきや不や」と。相如曰く、「秦は彊くして趙は弱し、許さざるべからず」と。王曰く、「吾が璧を取りて、我に城を予へずんば、奈何」と。相如曰く、「秦、城を以て璧を求めて趙許さずんば、曲は趙に在り。趙、璧を予へて秦趙に城を予へずんば、曲は秦に在り。これが二策を均しくするに、甯ろ許して以て秦に曲を負はしめん」と。王曰く、「誰か使はすべき者ぞ」と。相如曰く、「王必ず人無くんば、臣願はくは璧を奉じて往きて使ひせん。
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史記 廉頗藺相如列伝既に罷めて国に帰り、相如の功大なるを以て、拝して上卿と為し、位は廉頗の右に在り。廉頗曰く、「我は趙の将と為り、攻城野戦の大功有り、而るに藺相如は徒だ口舌を以て労と為し、而して位は我が上に居る。且つ相如は素賤人なり、吾羞ぢて、これが下と為るに忍びず」と。宣言して曰く、「我相如を見ば、必ずこれを辱めん」と。相如聞き、与に会ふことを肯んぜず。相如朝する時毎に、常に病と称し、廉頗と列を争ふことを欲せず。已にして相如出で、廉頗を望見す、相如車を引きて避け匿る。是に於いて舎人相与に諫めて曰く、「臣の親戚を去りて君に事ふる所以の者は、徒だ君の高義を慕へばなり。今、君は廉頗と列を同じくす、廉君悪言を宣べて、君畏れてこれに匿る、恐懼すること殊に甚だし。且つ庸人すら尚ほこれを羞づ、況んや将相に於いてをや。臣等不肖なり、請ふ辞し去らん」と。藺相如固くこれを止めて曰く、「公の廉将軍を視るに、秦王といづれぞ」と。曰く、「若かざるなり」と。相如曰く、「夫れ秦王の威を以てすら、而も相如これを廷に叱し、その群臣を辱む。相如駑なりと雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧だ吾これを念ふに、彊秦の敢へて兵を趙に加へざる所以の者は、徒だ吾が両人の在るを以てなり。今、両虎共に闘はば、その勢ひ倶には生きざらん。吾の此を為す所以の者は、国家の急を先にして私讎を後にするを以てなり」と。廉頗これを聞き、肉袒して荊を負ひ、賓客に因りて藺相如の門に至りて罪を謝して曰く、「鄙賤の人、将軍の寛なることの此に至るを知らざりき」と。卒に相与に驩び、刎頸の交はりを為す。
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『正法眼蔵随聞記』巻四後に亦瀰池と云ふ処にて、趙王と秦王とあそびしに、趙王は琵琶の上手なり、秦王命じて弾せしむ、趙王相如にも云ひ合せずして即ち琵琶を弾じき、時に相如、趙王の楽王の命に随へることを嗔りて、我行て秦王に簫を吹かしめんと云て、秦王につげて云く、王は簫の上手なり、趙王聞かんことをねがふ、王吹たまふべしと云しかば、秦王是れを辞す、相如か云く、王若し辞せば王をうつべしと云ふ、時に秦の将軍剣を以て近づきよる、相如これをにらむに両目ほころびさけてけり、将軍恐て剣をぬかずして帰りしかば、秦王ついに簫を吹くと云へり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四相如遂に秦王に見えて、壁を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき気色見えたり、時に相如はかりごとを以て、秦王にかたりて云く、その壁にきずあり、我れ是れを示さんと云て、壁をこひ取て、後に相如が云く、王の気色を見るに、十五城を惜める気色あり、然あらば我が頭べを以て、此の壁を銅柱にあてゝ、うちわりてんと云て、瞋れる眼を以て、王を見て銅柱のもとによる気色まことに王をも犯しつべかりし、時に秦王の云く、汝壁をわることなかれ、十五城を与ふべし、あひはからはんほど、汝ぢ壁を持べしと云しかば、相如ひそかに人をして壁を本国へかへしぬ、
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