群書治要 / 『群書治要』春秋左氏傳中・仇も我が子も、適任なら推挙する
祁奚請老、晉侯問嗣焉。稱解狐、其讎也。將立之而卒、又問焉。對曰:午也可、於是羊舌職死矣。晉侯曰:孰可以代之。對曰:赤也可、於是使祁午為中軍尉、羊舌赤佐之、君子謂、祁奚於是能舉善矣。稱其讎、不為諂、立其子、不為比、舉其偏、不為黨、能舉善也。夫唯善、故能舉其類也。
新字:祁奚請老、晋侯問嗣焉。称解狐、其讎也。将立之而卒、又問焉。対曰:午也可、於是羊舌職死矣。晋侯曰:孰可以代之。対曰:赤也可、於是使祁午為中軍尉、羊舌赤佐之、君子謂、祁奚於是能舉善矣。称其讎、不為諂、立其子、不為比、舉其偏、不為党、能舉善也。夫唯善、故能舉其類也。
書き下し
祁奚老を請う。晉侯嗣を問う。解狐を称す、其の讎なり。将に之を立てんとして卒す。又焉を問う。対えて曰く、午や可なり、と。是に於いて羊舌職死せり。晉侯曰く、孰か以て之に代わるべき、と。対えて曰く、赤や可なり、と。是に於いて祁午をして中軍尉たらしめ、羊舌赤之を佐けしむ。君子謂う、祁奚是に於いて能く善を挙ぐと。其の讎を称して諂いと為さず、其の子を立てて比と為さず、其の偏を挙げて党と為さず。能く善を挙ぐるなり。夫れ唯だ善なり、故に能く其の類を挙ぐるなり。
現代語訳
祁奚が引退を願い出ると、晉侯は後任を尋ねました。祁奚は解狐を推しました。解狐は祁奚の仇敵です。いよいよ任命しようというときに解狐が亡くなりました。晉侯が改めて尋ねると、祁奚は「午が適任です」と答えました。午は祁奚の子です。このとき羊舌職も亡くなっていました。晉侯が「ではその後任は誰がよいか」と尋ねると、祁奚は「赤が適任です」と答えました。そこで祁午を中軍尉に、羊舌赤をその補佐にしました。君子は評しました。祁奚はこのとき、よく善人を挙げた。仇を推しても媚びにならず、子を立てても身内びいきにならず、近しい者を挙げても徒党にならない。善をよく挙げたのだ。善人であるからこそ、同じ類の善人を挙げられるのだ、と。
解説

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