群書治要 / 『群書治要』春秋左氏傳中・牛を奪う罰は重すぎる
王使讓之曰:夏徵舒為不道、弑其君、寡人以諸侯討而戮之、諸侯縣公皆慶寡人、汝獨不慶寡人、何故。對曰:夏徵舒弑其君、其罪大矣。討而戮之、君之義也。抑人亦有言曰:牽牛以蹊人之田、而奪之牛、牽牛以蹊者、信有罪矣。而奪之牛、罰已重矣。諸侯之從也。曰討有罪也。今縣陳、貪其富也。以討召諸侯、而以貪歸之、無乃不可乎。王曰:善哉。吾未之聞也。反之、可乎。對曰:可哉。吾儕小人、所謂取諸其懷、而與之也。乃復封陳。
新字:王使譲之曰:夏徴舒為不道、弑其君、寡人以諸侯討而戮之、諸侯県公皆慶寡人、汝独不慶寡人、何故。対曰:夏徴舒弑其君、其罪大矣。討而戮之、君之義也。抑人亦有言曰:牽牛以蹊人之田、而奪之牛、牽牛以蹊者、信有罪矣。而奪之牛、罰已重矣。諸侯之従也。曰討有罪也。今県陳、貪其富也。以討召諸侯、而以貪帰之、無乃不可乎。王曰:善哉。吾未之聞也。反之、可乎。対曰:可哉。吾儕小人、所謂取諸其懐、而与之也。乃復封陳。
書き下し
王、使て之を譲めて曰く、夏徴舒不道を為し、其の君を弑す。寡人、諸侯を以て討ちて之を戮す。諸侯・県公皆寡人を慶す。汝独り寡人を慶せざるは、何の故ぞ、と。対えて曰く、夏徴舒其の君を弑す、其の罪大なり。討ちて之を戮するは、君の義なり。抑も人亦言える有り。曰く、牛を牽きて以て人の田を蹊み、而して之が牛を奪う。牛を牽きて以て蹊む者は、信に罪有り。而るに之が牛を奪うは、罰已に重し、と。諸侯の従うや、有罪を討つと曰えばなり。今、陳を県とするは、其の富を貪ればなり。討を以て諸侯を召し、而して貪を以て之を帰す。無乃ち不可ならずや、と。王曰く、善いかな。吾未だ之を聞かざるなり。之を反さば可ならんか、と。対えて曰く、可なり。吾が儕小人は、所謂其の懐に取りて之に与うるなり、と。乃ち陳を復封す。
現代語訳
楚王は使いを出して申叔時を責めて言いました。「夏徴舒は無道を働き、主君を殺した。私は諸侯とともに討ってこれを処刑した。諸侯も県公もみな私を祝ったのに、お前だけが祝わないのは、なぜか。」叔時は答えました。「夏徴舒が主君を殺した罪は大きく、これを討って処刑したのは君の義です。しかし、世にはこういう言葉があります。牛を引いて人の田を踏み荒らした者は、確かに罪があります。けれども、その牛を取り上げるのは、罰がすでに重すぎる、と。諸侯がお従いしたのは、罪ある者を討つとおっしゃったからです。いま陳を県にするのは、その富を貪るからです。討伐を名目に諸侯を呼び集めながら、貪欲を結末にする。それはよろしくないのではありませんか。」王は言いました。「よい言葉だ。私はまだ聞いたことがなかった。陳を返したらよいだろうか。」叔時は答えました。「よろしゅうございます。私どものような小人は、いわゆる相手の懐から取って、それを返してやる者でございます。」そこで王は陳を元通りに封じました。
解説

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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。