艮斎閑話抄録 / 城を通した真田昌幸と大将の一心
台德公大軍を帥ひ玉ひ、信州上田の城を攻玉ひし時、前鋒石川玄蕃日野根德太郎は冠の嶽に陣せり、公島田兵四郎に命じ、前鋒に急ぎ告玉ひし事あり、兵四郎は始めて此地を過るゆへ地理に暗し、且城を廻りて往は路迂遠にて往來時を移すゆへ、一騎にて城の大手に至り馬を下り城門を叩て、某は江戸中納言の士なり、君命を奉じ急に先陣に告るとあり、地理も詳ならず城を廻れば道はよほどの廻りと聞けり、願くば城內を通し玉はらば大幸なりと云、門を守る者大に駭き城將眞田昌幸に白す、昌幸古より敵人使命を奉ずるに城內を通りし例なし、然るに此者城內を通らんと望む、其膽氣の勇壯感するに餘りあり、もし道を借すんば怯弱を示すなり、亟に門を開き通すべし、門番其由を告しかば兵四郎大に悅び、城內を通り搦手に到りてとても通し玉はるからは、歸りにも又通し玉はれとて馳去、歸りにも搦手の門を叩てこれを請、門番驚き城將に報ず、昌幸益感歎して我其士に對面すべしとありて兵四郎を延見し、且云敵人に城內を通せしからは城內の要害悉く見て能覺ひ置、城攻の時先登せらるべし、さて要害は城郭の固にあらず唯大將の一心に在とて、兵四郎に先導して城中悉見せられき、兵四郎感謝して城中を一覽し、大手の門より出て復命す、軍中の人云、道を借人も人なり、借大將も大將なり、昔より未なき希代の奇事英雄の所爲なりと皆感稱せり、誠に古の名將は度量の大いなるものにて、殊に昌幸の要害は城郭にあらず大將の一心にありとは、吳起の德に在て險に在ずの一語と相似たり、尤感ずべし、
新字:台徳公大軍を帥ひ玉ひ、信州上田の城を攻玉ひし時、前鋒石川玄蕃日野根徳太郎は冠の嶽に陣せり、公島田兵四郎に命じ、前鋒に急ぎ告玉ひし事あり、兵四郎は始めて此地を過るゆへ地理に暗し、且城を廻りて往は路迂遠にて往来時を移すゆへ、一騎にて城の大手に至り馬を下り城門を叩て、某は江戸中納言の士なり、君命を奉じ急に先陣に告るとあり、地理も詳ならず城を廻れば道はよほどの廻りと聞けり、願くば城内を通し玉はらば大幸なりと云、門を守る者大に駭き城将真田昌幸に白す、昌幸古より敵人使命を奉ずるに城内を通りし例なし、然るに此者城内を通らんと望む、其胆気の勇壮感するに余りあり、もし道を借すんば怯弱を示すなり、亟に門を開き通すべし、門番其由を告しかば兵四郎大に悦び、城内を通り搦手に到りてとても通し玉はるからは、帰りにも又通し玉はれとて馳去、帰りにも搦手の門を叩てこれを請、門番驚き城将に報ず、昌幸益感嘆して我其士に対面すべしとありて兵四郎を延見し、且云敵人に城内を通せしからは城内の要害悉く見て能覚ひ置、城攻の時先登せらるべし、さて要害は城郭の固にあらず唯大将の一心に在とて、兵四郎に先導して城中悉見せられき、兵四郎感謝して城中を一覧し、大手の門より出て復命す、軍中の人云、道を借人も人なり、借大将も大将なり、昔より未なき希代の奇事英雄の所為なりと皆感称せり、誠に古の名将は度量の大いなるものにて、殊に昌幸の要害は城郭にあらず大将の一心にありとは、呉起の徳に在て険に在ずの一語と相似たり、尤感ずべし、
書き下し
台德公大軍を帥ひ玉ひ、信州上田の城を攻玉ひし時、前鋒石川玄蕃日野根德太郎は冠の嶽に陣せり、公島田兵四郎に命じ、前鋒に急ぎ告玉ひし事あり、兵四郎は始めて此地を過るゆへ地理に暗し、且城を廻りて往は路迂遠にて往來時を移すゆへ、一騎にて城の大手に至り馬を下り城門を叩て、某は江戸中納言の士なり、君命を奉じ急に先陣に告るとあり、地理も詳ならず城を廻れば道はよほどの廻りと聞けり、願くば城內を通し玉はらば大幸なりと云、門を守る者大に駭き城將眞田昌幸に白す、昌幸古より敵人使命を奉ずるに城內を通りし例なし、然るに此者城內を通らんと望む、其膽氣の勇壯感するに餘りあり、もし道を借すんば怯弱を示すなり、亟に門を開き通すべし、門番其由を告しかば兵四郎大に悅び、城內を通り搦手に到りてとても通し玉はるからは、歸りにも又通し玉はれとて馳去、歸りにも搦手の門を叩てこれを請、門番驚き城將に報ず、昌幸益感歎して我其士に對面すべしとありて兵四郎を延見し、且云敵人に城內を通せしからは城內の要害悉く見て能覺ひ置、城攻の時先登せらるべし、さて要害は城郭の固にあらず唯大將の一心に在とて、兵四郎に先導して城中悉見せられき、兵四郎感謝して城中を一覽し、大手の門より出て復命す、軍中の人云、道を借人も人なり、借大將も大將なり、昔より未なき希代の奇事英雄の所爲なりと皆感稱せり、誠に古の名將は度量の大いなるものにて、殊に昌幸の要害は城郭にあらず大將の一心にありとは、吳起の德に在て險に在ずの一語と相似たり、尤感ずべし、
現代語訳
台徳公(徳川秀忠)が大軍を率いて信州上田の城を攻めなさった時、前鋒の石川玄蕃と日野根徳太郎は冠ヶ嶽に陣を取っていました。公は島田兵四郎に命じて、前鋒へ急ぎ告げさせたことがありました。兵四郎は初めてこの地を通るので地理に暗く、また城を回って行けば道が遠回りで往復に時がかかるため、一騎で城の大手に至り、馬を下りて城門を叩き、私は江戸中納言の家臣です、君命を奉じて急ぎ先陣に告げに行きます、地理も詳しくなく、城を回れば道はかなり回り道と聞いています、お願いですから城内を通してくださればありがたい、と言いました。門を守る者は大いに驚き、城将の真田昌幸に申し上げました。昌幸は、古来、敵の使者が使命を奉じて城内を通った例はない、しかしこの者は城内を通りたいと望む、その胆力の勇ましさには感心するほかない、もし道を貸さなければ臆病を示すことになる、早く門を開いて通せ、と言いました。門番がその旨を告げたので、兵四郎は大いに喜び、城内を通って搦手に至り、このように通してくださったからには、帰りにもまた通してくださいと言って駆け去り、帰りにも搦手の門を叩いてこれを願いました。門番は驚いて城将に報告しました。昌幸はますます感嘆して、私はその士に対面しようと言って、兵四郎を招き入れ、さらに言いました。敵の者に城内を通らせたからには、城内の要害をことごとく見てよく覚えておき、城攻めの時に先陣を務められよ。ところで要害は城郭の固さではない、ただ大将の一心にあるのだ、と言って、兵四郎を案内して城中をことごとく見せました。兵四郎は感謝して城中を一覧し、大手の門から出て復命しました。軍中の人は言いました。道を貸す人も人であり、貸す大将も大将である、昔から未だない希代の奇事、英雄の所為だ、と皆が感称しました。まことに古の名将は度量が大きいもので、とりわけ昌幸の、要害は城郭にあらず大将の一心にあり、という言葉は、呉起の「徳にあって険にあらず」の一語と似ています。特に感ずべきことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 晋世家二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。
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『十善法語』巻第六・不惡口戒愚ナル者ハ。謹慎ハ窮窟ナルヤウニ思ヒ。放逸ハ安楽ナルヤウニ思フ。サウデナイ。誠ノ楽ハ謹慎篤実ノ上ニ在テ。燕安放逸ノ処ニハナイ。愚ナル者ハ。謹慎篤実ナレハ不器量ナル様ニ思ヒ。倨傲大胆ナレハ一器量アル様ニ思フ。サウテナイ。誠ノ度量ハ謹慎篤実ノ上ニ在テ。倨傲大胆ノ処ニハナキシヤ。古稽叔夜カ鍾会ヲ侮テ。後其身刑セラル。其養生論閑言語トナル。知伯カ韓魏ヲ侮テ。終ニ身ヲ亡シ国ヲ亡ス。其强土堅甲ミナ敵ノ資トナル。稽叔夜カ自ラ才ヲ負ミ。知伯カ自ラ威名ニ夸ル。実ヲ剋スレハ。ミナ其量ノ狭小ナルヨリ起ル。耻ヘキコトシヤ。
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史記 項羽本紀其の後に最(あつ)まりて、郎中騎楊喜、騎司馬呂馬童、郎中呂勝・楊武各々其の一体を得たり。五人共に其の体を会するに、皆是なり。故に其の地を分かちて五と為し、呂馬童を封じて中水侯と為し、王翳を封じて杜衍侯と為し、楊喜を封じて赤泉侯と為し、楊武を封じて呉防侯と為し、呂勝を封じて涅陽侯と為す。項王已に死し、楚の地皆漢に降る、独り魯のみ下らず。漢乃ち天下の兵を引きて之を屠らんと欲す、其の礼義を守り、主の為に節に死するが為に、乃ち項王の頭を持ちて魯に視(しめ)す、魯の父兄乃ち降る。始め、楚の懐王初めて項籍を封じて魯公と為す、其の死するに及びて、魯最後に下る、故に魯公の礼を以て項王を穀城に葬る。漢王為に哀を発し、之に泣きて去る。諸々の項氏の枝属、漢王皆誅せず。乃ち項伯を封じて射陽侯と為す。桃侯・平皋侯・玄武侯は皆項氏なり、姓劉氏を賜ふ。太史公曰く、吾之を周生に聞く、曰く「舜の目は蓋し重瞳子なり」と、又聞く項羽も亦重瞳子なりと。羽豈に其の苗裔ならんや。何ぞ興ることの暴かなるや。夫れ秦其の政を失ひ、陳渉難を首め、豪傑蠭起し、相与に并び争ふこと、勝げて数ふべからず。
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『酔古堂剣掃』集醒・內は精明にして外は渾厚好醜の心太だ明らかなれば、則ち物契はず。賢愚の心太だ明らかなれば、則ち人親しまず。須らく是れ內は精明にして、外は渾厚、好醜をして兩つながら其の平を得しめ、賢愚をして共に其の益を受けしむべし。纔かに是れ生成の德量なり。
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『近思録』巻10 政事感慨して身を殺すは易く、従容として義に就くは難し。人或は先生に勧むるに近貴に礼を加ふるを以てす。先生曰く、何ぞ責むるに礼を尽すを以てせずして、之を責むるに礼を加ふるを以てするや。礼尽せば則ち已む、豈に加ふること有らんや。或ひと問ふ、簿は、令を佐くる者なり。簿の為さんと欲する所、令或は従はずんば、奈何せん。曰く、当に誠意を以て之を動かすべし。今令と簿と和せざるは、只是れ私意を争ふのみ。令は是れ邑の長なり、若し能く父兄に事ふるの道を以て之に事へ、過は則ち己に帰し、善は則ち惟だ令に帰せざらんことを恐る。此の誠意を積まば、豈に人を動かし得ざること有らんや。問ふ、人議論に於て多く己を直くせんと欲し、含容の気無し。是れ気平らかならざるか。曰く、固より是れ気平らかならず、亦是れ量狭きなり。人の量は識に随ひて長ず。亦人の識高くして量長ぜざる者有り、是れ識実に未だ至らざるなり。大凡別事は、人都て強ひ得。惟だ識量は強ふべからず。今人に斗筲の量有り、釜斛の量有り、鍾鼎の量有り、江河の量有り。江河の量も亦大なり。然れども涯有り。涯有れば亦時有りて満つ。惟だ天地の量のみ則ち満つること無し。故に聖人は、天地の量なり。聖人の量は、道なり。常人の量有る者は、天資なり。天資の量有るは須らく限り有るべし。大抵六尺の軀、力量は只此くの如し。満たざらんと欲すと雖も、得べからざるなり。鄧艾の如き位三公、年七十。処し得て甚だ好し。蜀を下して功有るに因るに及び、便ち動き了る。謝安謝玄の苻堅を破るを聞き、客に対して碁を囲む。報至るも喜ばず。帰るに及びて屐歯を折る。強ふるも終に得ざるなり。更に人の大酔の後に益恭謹なる者の如き。只益恭謹なる、便ち是れ動き了るなり。放肆なる者と同じからずと雖も、其の酒の為に動かさるるは一なり。又貴公子の位益高くして、益卑謙なるが如き。只卑謙なる、便ち是れ動き了るなり。驕傲なる者と同じからずと雖も、其の位の為に動かさるるは一なり。然れども惟だ道を知る者のみ量自然に宏大なり。勉強せずして成る。今人の見る所卑下なる者有るは他無し、亦是れ識量足らざるなり。
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『春秋左氏伝』僖公二十三年 天の興す所、誰か廃せん子玉之を殺さんと請ふ。楚子曰く、「晉の公子は廣くして儉、文にして禮有り。其の從者は肅にして寬、忠にして能く力む。晉侯親無く、外內之を惡む。吾聞く、姬姓は唐叔の後、其の後に衰ふる者なりと。其れ將に晉の公子に由らんか。天將に之を興さんとす、誰か能く之を廢せん。天に違へば必ず大咎有り」と。乃ち諸を秦に送る。秦伯女五人を納る、懷嬴與る。匜を奉じて沃盥す、既にして之を揮ふ。怒りて曰く、「秦・晉は匹なり、何を以て我を卑しむる」と。公子懼れ、服を降して囚す。他日、公之を享す。子犯曰く、「吾衰の文なるに如かず、請ふ衰をして從はしめん」と。公子《河水》を賦し、公《六月》を賦す。趙衰曰く、「重耳賜を拜せよ」と。公子降りて、拜稽首す。公一級を降りて辭す。衰曰く、「君天子を佐くる所以の者を稱げて重耳に命ず、重耳敢へて拜せざらんや」と。

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