艮斎閑話抄録 / 史を読んで体認する真実の学問
又那須野與市の扇の的は、源氏の大軍の內より擇み出され、馬を海に乘入、源平數萬の軍勢鳴を靜め、海陸ともに見物する晴の塲なるに、波動いて馬足定まらず、扇は船上に在て動搖す、誠に善射と雖射難き所なり、萬一扇を射損じなば、何の面目ありて天下の人を見んや、必馬上に切腹すべし、此時の心を思ひば、憐れとも哀れと云べきやうなし、故に覺へず嗚咽せり、然るに汝等これを聽て唯面白きとのみ思ふて、武士の心を察せざるは何事ぞやと云れたり、是も平日武道を磨く忠實の心より自然に感徹してかく流涕に及べり、千古の事も吾身に體認して其心を察し其處置を思ふ、是眞實の學問なり、論語に見賢思齊、見不賢而內自省と云も、我善を求の志深きゆへ、人の賢不賢を見て、心に感徹し、進脩の益となる、歷史を讀、名將苦戰の所、忠臣烈士殉節の所を見ても、天德寺帳下の士の如く、唯面白きとのみ思ふて、其實際を體認し感徹落淚に至らざるゆへ、讀史の益なく、記憶するともなく、茫々讀過する何の益あらんや、諸葛孔明の出師の表を讀て泣ざる者は忠臣にあらず、李密陳情の表を讀て泣ざる者は孝子にあらずと云、今の學者、此二表を讀て果して泣や否や、
新字:又那須野与市の扇の的は、源氏の大軍の内より択み出され、馬を海に乗入、源平数万の軍勢鳴を静め、海陸ともに見物する晴の塲なるに、波動いて馬足定まらず、扇は船上に在て動揺す、誠に善射と雖射難き所なり、万一扇を射損じなば、何の面目ありて天下の人を見んや、必馬上に切腹すべし、此時の心を思ひば、憐れとも哀れと云べきやうなし、故に覚へず嗚咽せり、然るに汝等これを聴て唯面白きとのみ思ふて、武士の心を察せざるは何事ぞやと云れたり、是も平日武道を磨く忠実の心より自然に感徹してかく流涕に及べり、千古の事も吾身に体認して其心を察し其処置を思ふ、是真実の学問なり、論語に見賢思斉、見不賢而内自省と云も、我善を求の志深きゆへ、人の賢不賢を見て、心に感徹し、進脩の益となる、歴史を読、名将苦戦の所、忠臣烈士殉節の所を見ても、天徳寺帳下の士の如く、唯面白きとのみ思ふて、其実際を体認し感徹落涙に至らざるゆへ、読史の益なく、記憶するともなく、茫々読過する何の益あらんや、諸葛孔明の出師の表を読て泣ざる者は忠臣にあらず、李密陳情の表を読て泣ざる者は孝子にあらずと云、今の学者、此二表を読て果して泣や否や、
書き下し
又那須野與市の扇の的は、源氏の大軍の內より擇み出され、馬を海に乘入、源平數萬の軍勢鳴を靜め、海陸ともに見物する晴の塲なるに、波動いて馬足定まらず、扇は船上に在て動搖す、誠に善射と雖射難き所なり、萬一扇を射損じなば、何の面目ありて天下の人を見んや、必馬上に切腹すべし、此時の心を思ひば、憐れとも哀れと云べきやうなし、故に覺へず嗚咽せり、然るに汝等これを聽て唯面白きとのみ思ふて、武士の心を察せざるは何事ぞやと云れたり、是も平日武道を磨く忠實の心より自然に感徹してかく流涕に及べり、千古の事も吾身に體認して其心を察し其處置を思ふ、是眞實の學問なり、論語に見賢思齊、見不賢而內自省と云も、我善を求の志深きゆへ、人の賢不賢を見て、心に感徹し、進脩の益となる、歷史を讀、名將苦戰の所、忠臣烈士殉節の所を見ても、天德寺帳下の士の如く、唯面白きとのみ思ふて、其實際を體認し感徹落淚に至らざるゆへ、讀史の益なく、記憶するともなく、茫々讀過する何の益あらんや、諸葛孔明の出師の表を讀て泣ざる者は忠臣にあらず、李密陳情の表を讀て泣ざる者は孝子にあらずと云、今の學者、此二表を讀て果して泣や否や、
現代語訳
また、那須野与市が扇の的を射たのは、源氏の大軍の中から選び出され、馬を海に乗り入れ、源氏と平家の数万の軍勢が声を静め、海上も陸上もともに見物する晴れの場でのことで、波が動いて馬の足が定まらず、扇は船の上で揺れ動いていました。まことに、弓の名人でも射にくい所です。万一扇を射損じたなら、何の面目があって天下の人に会えようか、必ず馬上で切腹しよう。この時の心を思えば、憐れとも哀れとも言いようがない。だから思わずむせび泣いたのだ。それなのに、お前たちはこれを聴いて、ただ面白いとだけ思って、武士の心を察しないのは何事か、と言われました。これも、平日武道を磨く忠実な心から、自然に感じ入って涙を流したのです。千古の事も自分の身に引き当てて、その心を察し、その処置を思う。これが真実の学問です。論語に「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」とあるのも、自分の善を求める志が深いので、人の賢不賢を見て心に感じ入り、進歩の助けとなるのです。歴史を読み、名将の苦戦の場面や、忠臣烈士が節に殉じた場面を見ても、天徳寺の陣中の兵士のように、ただ面白いとだけ思って、その実際を体認し、感じ入って落涙するまでに至らないので、読史の益がなく、記憶するともなく、ぼんやり読み過ごすのでは、何の益があるでしょうか。諸葛孔明の出師の表を読んで泣かない者は忠臣ではない、李密の陳情の表を読んで泣かない者は孝子ではない、と言います。今の学者は、この二つの表を読んで、果たして泣くでしょうか、泣かないでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第百七十三條好んで史を読む者は、明道程子の説に遵ひて以て之を治むれば、則ち当に身心に益ありて、己を誤らず、又人を誤らざるべし。初学如し泛く史類を観博く究むれば、則ち心術を壊り了ること必せり。然れども勢禁ずべからざるなり。故に之をして専ら其の忠孝旌徳及び烈女伝を読ましむるに如くは莫し。一伝を閲するも猶忽ち良心を動かし涕泣を流す者有り。然らば則ち必ず復た其の忠孝義烈を慕ふの願内に萌して、其の貞操高節に愧づるの情心を攻むる者有らん。況や之を読むに数伝を以てし、之を積むに歳月を以てすれば、乃ち彼と一となり、性と融けん。忠孝の変、倫常の艱、万一身に遍くば、則ち憤然として心を君父国家に尽くして、美を前脩に譲らざらん。則ち独り其の徳を世に顕すのみならず、其の国家に益あること、何ぞ勝げて算ふべけんや。学者心を茲に存せず、忠義烈女伝を度外に棄置して、只其の攻伐戦闘の成敗、弑逆淫泆の濁乱、及び鬼蜮の正類を陥れ、蛇蝎の清流を毒するを講究すれば、則ち駸駸として不善を為すの竅に赴くを知らず、豈に恐るべきの甚だしきに非ずや。故に子弟慎みて我が教を守らば、則ち人面獣心の帰を免るるに庶幾からん。然りと為さずんば則ち之を有道の君子に質せ。
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『近思録』巻3 致知凡そ史を読むには徒に事迹を記するを要とせず、須らく其の治乱安危興廃存亡の理を識らんことを要すべし。且つ高帝紀を読むが如き、便ち須らく漢家四百年の終始治乱の当に如何なるべきかを識り得べし。是れ亦た学なり。先生毎に史を読むに、一半に到れば、便ち巻を掩ひて思量し、其の成敗を料りて、然る後に却って看る。合はざる処有れば、又更に精思す。其の間多く幸ひにして成り、不幸にして敗るる有り。今人は只だ成る者を見れば便ち以て是と為し、敗るる者をば便ち以て非と為す。知らず成る者に煞(はなは)だ是ならざる有り、敗るる者に煞だ是なる底有ることを。史を読むには須らく聖賢の存する所の治乱の機、賢人君子の出処進退を見るべし、便ち是れ格物なり。元祐中客に伊川に見ゆる者有り、几案の間に他書無く、惟だ印行の唐鑑一部のみ。先生曰く、近く方に此の書を見る。三代以後此の議論無し。横渠先生曰く、序卦は聖人の縕に非ずと謂ふべからず。今一物を安置せんと欲するも、猶ほ審らかに処らんことを求む。況んや聖人の易に於けるをや、其の間極至の精義無しと雖も、大概皆意思有り。聖人の書を観るに、須らく遍布細密なること是の如くなるべし。大匠豈に一斧を以て知るべけんや。天官の職は、須らく襟懐洪大にして、方に看ることを得べし。蓋し其の規模至大なり、若し此の心を得ずして、事事の上に曲を致して窮究し、此の心の是の如く大なるを湊合せんと欲するも、必ず得ること能はざるなり。釈氏は天地を錙銖にす、至大と謂ふべし。然れども嘗て大を為さざれば、則ち事を為し得ず。若し之に一銭を畀ふれば、則ち必ず乱れん。又曰く、太宰の職は看難し。蓋し許大の心胸の包羅する無ければなり。此を記し得れば、復た彼を忘る。其の天下の事を混混たる、当に龍蛇を捕へ虎豹を搏つが如くすべし。心力を用ひて看て方に可なり。其の他の五官は便ち看易し、止だ一職のみなればなり。古人の能く詩を知る者は惟だ孟子のみ。其の意を以て志を逆ふるが為なり。
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『顔氏家訓』勉學且つ甲を負いて兵と為り、筆を咋みて吏と為り、身死し名滅ぶる者は牛毛の如く、角立し傑出する者は芝草の如し。素を握り黄を披き、道を吟じ徳を詠じ、苦辛して益無き者は日蝕の如く、名利に逸楽する者は秋荼の如し。豈に年を同じくして語るを得んや。且つ又た之を聞く、生まれながらにして之を知る者は上、学びて之を知る者は次なりと。学ぶ所以の者は、其の多く知り明達ならんことを欲するのみ。必ず天才有りて、群を抜き類を出で、将と為らば則ち闇に孫武・呉起と術を同じくし、政を執らば則ち懸かに管仲・子産の教えを得ば、未だ書を読まずと雖も、吾も亦た之を学と謂わん。今子は即ち然る能わず。古の蹤迹を師とせずんば、猶お被を蒙りて臥するのみ。
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『翁問答』下卷之本さて又学問はさぶらひの仕業にあらずと云へるは、一しほ愚なる評判まよひの中の迷ひなり、子細は心あきらかに行儀たゞしく文武かね備はる様に思按工夫するを正真の学問とす、かくのごとく心あきらかに行儀正しく文武かね備はる人を、よきさぶらひと云事は普く人のわきまへたる事なれば、学問はさぶらひの仕業にしてなさで叶はぬこといはずして明白なり、さて又学問する人はぬるくて武用の役にたちがたかるべきなどいへるは、学問の本意を弁へざるまよひのみにあらず、文盲なる諸士他人の文芸あるをねたみ、おのれが文盲なる耻を隠さんとの街ざたなるべし、誠に分になきひが事なり、たとひ正真の学問に志なく、徒に文芸ばかりをならふと云とも、武篇のさわりになるべき理なし、その子細は源義経公弁慶、君臣ともに文芸その時分の諸士にすぐれ給ひぬれども、終に一度もおくれをとり給はず末代に至るまで犬うつ童も武篇のためしには、義経公弁慶と聞つたへていひならはせり、
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『童子問』卷下史を読むの法を問ふ。曰く、経は道を載する者なり。史は道を以て之を裁する者なり。故に道を知る者に非ざれば、則ち史の用を尽くすこと無きなり。大凡史を読むには、涑水の通鑑、朱子の綱目を以て要と為す。本末相貫き、次第相承け、古今の治乱成敗、犂然として畢く見ゆ。史家の権衡と謂ふべきなり。一代の治乱得失、典故人物を観んと欲せば、須らく正史を見るべし。万目挙がりて紀綱正しからざる者有り、紀綱正しくして人意に満たざる者有り、紀綱万目を併せて漫然として統無き者有り。是れ史を看るの要なり。此の方の学者、大類史を以て小説の流と做して看る。笑ふべきの甚だしきなり。古今の史臣、卓識有る者寡なし。其の著す所の論賛、膚浅冗雑にして、観るに足る者無し。須らく諸儒の論評を考へて、以て断と為すべし。但其の間に議論刻薄にして、反つて実を失ふ者有り。弁ぜざるべからず。史を読むには、須らく経を以て断と為すべし。史中より功夫を作すこと勿かれ。晦翁は老泉父子の学、皆史記・戦国策中より功夫を作すことを議す。又東萊の博学純正を以てすら、猶其の全体史学なるを譏る。皆聡門頂上の一針なり。
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『南洲翁遺訓』第三十六条聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚も企て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。朱子も白刃を見て逃る者はどうもならぬと云はれたり。誠意を以て聖賢の書を読み、其の処分せられたる心を身に体し心に験する修業致さず、唯个様の言个様の事と云ふのみを知りたるとも、何の詮無きもの也。予今日人の論を聞くに、何程尤もに論ずるとも、処分に心行き渡らず、唯口舌の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し。真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。聖賢の書を空く読むのみならば、譬へば人の剣術を傍観するも同じにて、少しも自分に得心出来ず。自分に得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時逃るより外有る間敷也。

人生を、一行の式にしてみた。
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