艮斎閑話抄録 / 礼義を軍法の要とする人和の理
此後侯臣に慈愛を垂しかば、一藩悅んで宗茂公は希代の名將なりと稱せり、又立齋の言に、敵の衆寡によらず初一定利を得る理を知を要とす、戰に臨み標を取て死ねやと大聲に呼はりたりとて、命に從がふ者に非ず、常に上より下を愛すると子の如く、慈悲を加ふるゆへ下よりも親の如くに思ふて嚴命なくとも一命を捨て戰ふものなり、との玉へり、是即孟子の人和の所なり、酒井讚州、ある時眞田豆州に貴家は軍法傳ありと聞り、國家の爲に軍法の要を傳へ玉へと請、別に軍法の要はなし、只禮義あるを軍法の要と答へり、是も上下禮義ありて上は下を愛し、下は上を親しみ、禮義の道正しければ、三軍死力を致し勝を得の理を說れしなり、其言簡にして滋味深し、朱舜水答明石源助書曰、前年至廈門、趣國姓之召、見其將吏並寄居薦紳、皆佻達自喜、屏斥禮敎、吕爲古氣、吕爲骨董、不侫知其事必無成、故萬里嘗行不投一刺而返、不幸果無所濟、可見禮也者、不特爲國家之精神榮衞、直乃爲國家之楨幹、在國家爲國家之幹、在一身爲一身之幹、未可蔑也、この書中に國姓爺と稱する、朱成功のことなり、成功臺灣に據て明を恢復せんと圖る忠義の豪傑なれども、禮義の法正しからざるゆへ其事の成ざるを知り、舜水は去りし也、幾を知賢人と謂べし、是も豆州の言と同じく軍法の要は禮義に在と云意味にて、孟子の人和の論は鈐韜の骨子と知べし、
新字:此後侯臣に慈愛を垂しかば、一藩悦んで宗茂公は希代の名将なりと称せり、又立斎の言に、敵の衆寡によらず初一定利を得る理を知を要とす、戦に臨み標を取て死ねやと大声に呼はりたりとて、命に従がふ者に非ず、常に上より下を愛すると子の如く、慈悲を加ふるゆへ下よりも親の如くに思ふて厳命なくとも一命を捨て戦ふものなり、との玉へり、是即孟子の人和の所なり、酒井讃州、ある時真田豆州に貴家は軍法伝ありと聞り、国家の為に軍法の要を伝へ玉へと請、別に軍法の要はなし、只礼義あるを軍法の要と答へり、是も上下礼義ありて上は下を愛し、下は上を親しみ、礼義の道正しければ、三軍死力を致し勝を得の理を説れしなり、其言簡にして滋味深し、朱舜水答明石源助書曰、前年至廈門、趣国姓之召、見其将吏並寄居薦紳、皆佻達自喜、屏斥礼教、呂為古気、呂為骨董、不侫知其事必無成、故万里嘗行不投一刺而返、不幸果無所済、可見礼也者、不特為国家之精神栄衛、直乃為国家之楨幹、在国家為国家之幹、在一身為一身之幹、未可蔑也、この書中に国姓爺と称する、朱成功のことなり、成功台湾に拠て明を恢復せんと図る忠義の豪傑なれども、礼義の法正しからざるゆへ其事の成ざるを知り、舜水は去りし也、幾を知賢人と謂べし、是も豆州の言と同じく軍法の要は礼義に在と云意味にて、孟子の人和の論は鈐韜の骨子と知べし、
書き下し
此後侯臣に慈愛を垂しかば、一藩悅んで宗茂公は希代の名將なりと稱せり、又立齋の言に、敵の衆寡によらず初一定利を得る理を知を要とす、戰に臨み標を取て死ねやと大聲に呼はりたりとて、命に從がふ者に非ず、常に上より下を愛すると子の如く、慈悲を加ふるゆへ下よりも親の如くに思ふて嚴命なくとも一命を捨て戰ふものなり、との玉へり、是即孟子の人和の所なり、酒井讚州、ある時眞田豆州に貴家は軍法傳ありと聞り、國家の爲に軍法の要を傳へ玉へと請、別に軍法の要はなし、只禮義あるを軍法の要と答へり、是も上下禮義ありて上は下を愛し、下は上を親しみ、禮義の道正しければ、三軍死力を致し勝を得の理を說れしなり、其言簡にして滋味深し、朱舜水答明石源助書曰、前年至廈門、趣國姓之召、見其將吏並寄居薦紳、皆佻達自喜、屏斥禮敎、吕爲古氣、吕爲骨董、不侫知其事必無成、故萬里嘗行不投一刺而返、不幸果無所濟、可見禮也者、不特爲國家之精神榮衞、直乃爲國家之楨幹、在國家爲國家之幹、在一身爲一身之幹、未可蔑也、この書中に國姓爺と稱する、朱成功のことなり、成功臺灣に據て明を恢復せんと圖る忠義の豪傑なれども、禮義の法正しからざるゆへ其事の成ざるを知り、舜水は去りし也、幾を知賢人と謂べし、是も豆州の言と同じく軍法の要は禮義に在と云意味にて、孟子の人和の論は鈐韜の骨子と知べし、
現代語訳
この後、侯が家臣に慈愛を垂れたので、一藩が悦び、宗茂公は世に稀な名将だと称しました。また立斎(立花宗茂)の言葉に、敵の多少にかかわらず、最初に利を得る道理を知ることが肝要だ。戦いに臨んで、目印を取って死ねやと大声で呼びかけても、命に従う者ではない。常に上が下を愛すること子のようにし、慈悲を加えるから、下からも親のように思い、厳しい命令がなくても一命を捨てて戦うものだ、とあります。これがすなわち孟子の人和というものです。酒井讃州(酒井忠勝)があるとき真田豆州(真田信之)に、あなたの家には軍法の伝えがあると聞いています、国家のために軍法の要を伝えてください、と請いました。豆州は、特別な軍法の要はありません、ただ礼義があることを軍法の要とします、と答えました。これも、上下に礼義があって、上は下を愛し、下は上に親しみ、礼義の道が正しければ、三軍が死力を尽くして勝ちを得るという理を説かれたのです。その言葉は簡潔で、味わいが深いものです。朱舜水が明石源助に答えた書に言います。先年、廈門に行き、国姓(鄭成功)の召しに応じ、その将吏や寄居する縉紳を見ると、みな軽薄で自らを喜び、礼教を退け、それを古の気風とし、骨董と見なしていました。私はそのことが必ず成功しないと知り、万里を渡って来たのに一枚の名刺も出さずに帰りました。不幸にも、果たして成し遂げるところがありませんでした。礼というものは、国家の精神や栄衛(気血)であるだけでなく、まさに国家の楨幹(骨組み)であり、国家においては国家の幹、一身においては一身の幹であって、軽んじてはならないと分かります。この書中で国姓爺と称するのは、朱成功のことです。成功は台湾に拠って明を恢復しようと図った忠義の豪傑ですが、礼義の法が正しくなかったので、その事が成らないと知って舜水は去ったのです。幾(兆し)を知る賢人と言うべきです。これも豆州の言葉と同じく、軍法の要は礼義にあるという意味であり、孟子の人和の論は兵法の骨子だと知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『艮斎閑話抄録』・兵を用いる本は人和にあり立花宗茂孟子に天時不如地利、地利不如人和、とあり、唐の員半千の傳に、これを天陣地陣人陣の三陣と云、天時は註に時日支干孤虛王相の屬とあり、或は朝掛又は夜討、或は風雨昏霧に乘じ戰ふの類皆天時なり、兵法に右は山陵に倍き、前は水澤を左にし、或は要害に據、或は半渡を擊の類は皆地の利なり、天時地利の事は戰國の世に大將たちよく通曉すれども、兵を用ふるの本は人和にあると、深く心を用ひざるゆへに、孟子說れしに見へたり、誠に韜略の骨髓たるべし、立花立齋は智勇の名將にて、幼年より武勇を顯はし、朝鮮にても明の李如松の大軍を破りし武功の將なり、嘗尾州侯に至りし時、侯之を留めて其武功を賞し合戰の要務を問はれしに、方々の軍功とても何流の軍法を用ふると云儀もなし、何れも害と云所を取用、尤謀は其節に至りて敵の勢次第なり、世の一萬の兵と我の三千五千の兵と異ならず、是も軍の備方宜と云のみに非ず、常に兵士を依怙最負なく、痛く勤勞せしむるとなく、慈悲を加へ、少々の過失は其通りにいたし、國法にはづれたる者は其法に行なふのみなり、 我小國なれば俸祿とても高に應じ少々づゝ與へしなれども、常に慈悲を專にいたし愛憐するゆへ、戰に臨み皆一命を捨て力戰し吾功に成り、此外に能事は無と答へり、侯は殊に感賞し玉へり、侍臣此話を聞よき所を說れたりと大に喜ぶ、
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『講孟余話』公孫丑下 首章「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」。此の義明白、復た論を待たず。今試みに是れを例言せん。夫れ人和を得て初めて地利用ふべし、天時用ふべし。故に国家の務めを論ずる時は、先づ人和を務むべし。人和已に得ば城高くすべし、池深くすべし、兵革堅利にすべし、米粟多くすべし、其の戦に臨みては天時も択ぶべし。是れを一身に譬ふるに、胸中固より忠孝の念を存する、是れ人和の如し。忠孝の念あらば文学も修むべし、武芸も講ずべし、武器も畜ふべし、是れ天時・地利の如し。故に忠孝の念なき者をして、文武を講修し、武器を畜へしめば、却つて害となり、其の身を全うすること能はざるの基なり。是れ人和を得ずして、地利・天時を恃むが如し。理は一なり。一身一家より国天下に通じ、皆別理あることなし。宜しく先後緩急の在る所を察すべし。先と云ひ急と云ふは、忠孝の念なり、人和なり。後と云ひ緩と云ふは、文学・武芸・武器等なり、天時・地利なり。
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『翁問答』上卷之末夫軍法の本意は国家安穏武運長久にして万民を恵まん為なるにかへつて万民も其毒にあたり、其身の運もつき国家も絶滅する基となれば、軍法に達し軍功をたつるも、畢竟は無益のいたずら事なり、其上陰謀をのみもつはらとし、詐力に任して仁義の徳なきは、たとへ韓信項羽の才ありといふとも、節制の敵にさへ楯つくことあたはず、まして仁義の師に敵せん事、立車にむかへる螳螂に異ならず、太白陰経に斉の伎撃は魏の武卒にあふべからず、魏の武卒は秦の鋭士に勝ことあたはず、秦の鋭士は桓文の節制にあたるべからず、桓文の節制は湯武の仁義に敵す可からずといへるこゝろよく玩味あるべし、しかるゆへに孫子の五事はみちを第一とし、呉子の兵法は和をもつて先とす、道といへるも和といへるも、みな仁義の徳のことなり、儒門の心学の外に此徳を明かにすべき道なければ、心学をつとめてその徳をあきらかにしてのちに、軍法をまなびたるがよしといふ事分明なり、とても軍法を学ばんとならば天下に敵なき仁者の軍法をまなびたるがよろしきか。
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『兵要録抄録』・兵の要は民を附けること荀卿、兵を論じて曰く、要は民を附くるに在りと。夫れ仁人の兵は、上下一心、三軍力を同じくす。臣の君に於けるや、下の上に於けるや、子弟の父兄に事ふるが若く、手臂の頭目を扞ぎて胸腹を覆ふが若きなり。故に兵の要は民を附くるに在り。蓋し賢主明將の下を御するや、誠を以て誠に感ず。故に上下の情合ふ。恩に感じ義に服するの至り、必ず國の爲に死を以て報いんと欲す。玆の若くにして後、束伍齊ふべく、號令施すべく、攻戰敎ふべく、賞罰行ふべし。凡そ進退應接、將の心に隨ひて約束忒はず。是を上下一心、三軍力を同じくすと爲す。若し士卒親附せざれば、則ち操練すれども習はず、令を申ぬれども服せず。罰すれば則ち怨み、賞すれば則ち貪る。軍期を失ひ、戰節に乖く。何を以て勝つを獲ん。是れ民を愛するに實心無くして、士卒親附せざるなり。書に曰く、赤子を保つが如しと。眞に能く赤子を保つの心を以て民を愛せば、誰か敢へて親附せざらん。上は下を愛し、下は上に親しむ。故に上下一心なり。心一にして氣齊ひ、氣齊ひて力同じ、力同じければ則ち十を以て百を擊つべく、千を以て萬を擊つべし。況んや三軍の衆力を同じくするをや。天下誰か敢へて當たる者あらん。故に曰く、國君仁を好めば、天下に敵無しと。夫れ民の仁德に歸するは、水の下に就くが如し。招かずして徠臣し、攻めずして賓服す。
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『武人訓抄録』・禮は難しとせず易し一禮は天理の節文人事の儀則也、故にいはく人禮あればやすし、禮なければあやうし、內に克己の儀あり、外に擧動の則あり、內に克己の儀なければ心の靈を損ひ、外に擧動の則なければ身の業を失ふ、是を以て君主に事れば不忠、父母に使れば不孝、兄弟に配すれば不睦、妻子に合ふに不別、朋友に交るに不信、抑人の禽獸に異なる所以は禮あればなり、禮なくんば何をもつてか禽獸とわかたんや、夫禮は自他行ひ難しとすれど、事毎に其理に隨ふゆへに還て易し、譬へば平地を行がごとし、小子是を難しとして怠る事なかれ、
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三略・上略夫れ兵を用うるの要は、礼を崇びて禄を重んずるに在り。礼崇ければ則ち智士至り、禄重ければ則ち義士死を軽んず。故に賢に禄するに財を愛まず、功を賞するに時を踰えざれば、則ち下は力を并せて、敵国は削らる。夫れ人を用うるの道は、尊ぶに爵を以てし、贍すに財を以てすれば、則ち士は自ら来たる。接するに礼を以てし、励ますに義を以てすれば、則ち士は之に死す。

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