艮斎閑話抄録 / 不遇でも身を自愛し職分を尽くす
人は遇不遇を論せず、一生の間吾身を自愛すべし、吉凶禍福は糺纆の如き者なれば、不遇なればとて志を挫くべからず、又いかなる時に遇も量り難し、縱使一生遇はざれども、吾職分を盡さば心に愧と無かるべし、石田治部少輔三成は關が原の戰に敗北し囚となり刑に行はるゝ時、途中にて喉乾て湯を求しかば、警衞の士民家に入り湯を乞しに湯はなし、水を飲まんやと云ふ、三成聞て水は五臟を損すると聞けり養生の道に非ずとて飲まずして去れり、三成の命今日を限りしに猶養生の道を論ずるは自重すと謂べし、松永彈正久秀織田信長と戰ひ敗れ自害せんとする時、百會に灸して云ひしは、我いつの爲の養生ぞや、いかに笑みゆべけれども、我常に中風を患ふ、死に臨て中風發し、四體心に任せず臆したりと云はれなば、今までの武勇徒と成るべし、百會は中風の灸なれば、防ぎて勇士快く死に就くべしとありて、灸を百會に炷し終り自害す、名を惜と謂べし、三成の姦邪、久秀の凶逆は、士君子の唾罵する輩なれども、其志の深く身を守りしは節取すべし、惡而知其美と云ともあれば、其美は沒すべからず、」
新字:人は遇不遇を論せず、一生の間吾身を自愛すべし、吉凶禍福は糺纆の如き者なれば、不遇なればとて志を挫くべからず、又いかなる時に遇も量り難し、縦使一生遇はざれども、吾職分を尽さば心に愧と無かるべし、石田治部少輔三成は関が原の戦に敗北し囚となり刑に行はるゝ時、途中にて喉乾て湯を求しかば、警衛の士民家に入り湯を乞しに湯はなし、水を飲まんやと云ふ、三成聞て水は五臓を損すると聞けり養生の道に非ずとて飲まずして去れり、三成の命今日を限りしに猶養生の道を論ずるは自重すと謂べし、松永弾正久秀織田信長と戦ひ敗れ自害せんとする時、百会に灸して云ひしは、我いつの為の養生ぞや、いかに笑みゆべけれども、我常に中風を患ふ、死に臨て中風発し、四体心に任せず臆したりと云はれなば、今までの武勇徒と成るべし、百会は中風の灸なれば、防ぎて勇士快く死に就くべしとありて、灸を百会に炷し終り自害す、名を惜と謂べし、三成の姦邪、久秀の凶逆は、士君子の唾罵する輩なれども、其志の深く身を守りしは節取すべし、悪而知其美と云ともあれば、其美は没すべからず、」
書き下し
人は遇不遇を論せず、一生の間吾身を自愛すべし、吉凶禍福は糺纆の如き者なれば、不遇なればとて志を挫くべからず、又いかなる時に遇も量り難し、縱使一生遇はざれども、吾職分を盡さば心に愧と無かるべし、石田治部少輔三成は關が原の戰に敗北し囚となり刑に行はるゝ時、途中にて喉乾て湯を求しかば、警衞の士民家に入り湯を乞しに湯はなし、水を飲まんやと云ふ、三成聞て水は五臟を損すると聞けり養生の道に非ずとて飲まずして去れり、三成の命今日を限りしに猶養生の道を論ずるは自重すと謂べし、松永彈正久秀織田信長と戰ひ敗れ自害せんとする時、百會に灸して云ひしは、我いつの爲の養生ぞや、いかに笑みゆべけれども、我常に中風を患ふ、死に臨て中風發し、四體心に任せず臆したりと云はれなば、今までの武勇徒と成るべし、百會は中風の灸なれば、防ぎて勇士快く死に就くべしとありて、灸を百會に炷し終り自害す、名を惜と謂べし、三成の姦邪、久秀の凶逆は、士君子の唾罵する輩なれども、其志の深く身を守りしは節取すべし、惡而知其美と云ともあれば、其美は沒すべからず、」
現代語訳
人は、時流に遇うか遇わないかを論じず、一生の間わが身を大切にするべきです。吉凶禍福はより合わせた縄のように交互にやってくるものですから、不遇だからといって志をくじいてはいけません。また、いつ好機に遇うかも計り知れません。たとえ一生遇わなくても、自分の職分を尽くしていれば心に恥じることはないでしょう。石田治部少輔三成は関ヶ原の戦いに敗れて囚われ、刑場に引かれる途中、喉が渇いて湯を求めました。警護の士が民家に入って湯を乞いましたが湯はなく、「水を飲まれるか」と言いました。三成はそれを聞いて、「水は五臓を損なうと聞いている。養生の道ではない」と言って飲まずに立ち去りました。三成の命はその日限りでしたが、なお養生の道を論じたのは、自重したというべきです。松永弾正久秀は織田信長と戦って敗れ、自害しようとするとき、百会のつぼに灸をすえて言いました。「私は何のための養生なのかと、さぞ笑われるだろうが、私は常に中風を患っている。死に臨んで中風が起こり、手足が思うにまかせず臆したと言われれば、今までの武勇も無駄になる。百会は中風の灸であるから、これで防いで勇士として心安らかに死に就こう」と。灸をすえ終わって自害しました。名を惜しむというべきです。三成の悪賢さ、久秀の凶逆は、士君子が唾棄するようなものですが、その志が深く身を守ろうとした点は取るべきです。「憎みながらもその美点を知る」とも言いますから、その美点は埋もれさせてはなりません。
解説
この章句が説くこと
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『艮斎閑話抄録』・泰平の世に私欲という敵を破る凡そ士たる者は、戰塲に臨み忠義の爲に死するを本意とす、安逸に耽り酒色貨財に心を溺すは小人の事なり、泰平の時に在ても戰塲の心持にて物事に油斷すべからず、孔子の語に、志士不忘在溝壑、勇子不忘喪其元とあり、後漢の馬援は我身を馬革に裏み郊野に棄られんと云ふ、梁の王彥章は豹死留皮、人死留名、と云ふ、豪傑の士の志を立る思ふべし、泰平の時は酒色貨財を嗜む、種々の私欲は我敵と思ひ、志氣を勇猛にして打破り、身心を堅固に守るべし、私欲は吾身を害する大賊なり、是を破は其功甲首を取るより大なるべし、朱子の克己の工夫を論じて云ふ、項羽の章邯と鉅鹿に戰ひし時、舟を沈め釜を破り、三日の糧を持ち、必死となりて戰ふ如くすべしと、王陽明の語に、破山中賊易、破心中賊難と、誠に心中私欲の敵を破は、泰平の戰塲にて天地君父への大忠孝なるべし、
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『艮斎閑話抄録』・首になる時まで備える武士の心がけ古名君の訓に、武道を嗜む士は戰場に赴く時、必死を遂ぐべき心なくては叶はず、白齒なるもの齒の黃にならぬ樣に心懸べし、髮も香を留るがよし、上田宗古も云、武士討死し首になりたる時の事は心懸べきなり、月代の後下りなるは首になる時詫言顏になり見苦しければ、後高に剃たるがよし、剃刀を陣中に持參し物前に月代を剃りて首を奇麗にすべしと、誠に古の勇士の心懸は格別なるものにて、孟子の勇士は不忘喪其元と云所を能自得せしものなり、又鎧より冑をよく鍛ひ華麗にし、首になりたる時、討し人も其冑とりそへて大將の前に出せし時、冑のよろしきは功にもなり、其人の賤しからざるも知るなり、木村長門守戰死して首實檢になりし時、奇香馥郁として座を薰ぜしは、髮の內伽楠の香を留たるなり、誠に壯士の死は心懸よろしく衆人感賞せりとなん、
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『艮斎閑話抄録』・功を遂げて退く名士と天野康景の決断昔の楠、今の竹中と人に畏敬せられし人なり、此人三木の陣に在し時、書寫山にて僧の具數を求め、高野山に登せ置、城を攻落したらん後は、必世を遁れんと思ひしと見へたり、秀吉我勢の起るに隨ひ重治に及ばざるを知彼を深く忌に因て、かくは思ひ立しなるべし、古の陶朱子房の儔にや、其志のならずして身早く死せしは惜むべし、又幸なりとも云ん、誠に尊ぶべき名士なり、天野三郎兵衞康景は少小より、東照公の左右に給事し、屢戰功を立て、駿河の內にて一萬石を賜ふ、嘗て築造の事あり、步卒に命じ竹木を切置くを、公領の百姓夜中に盜みしかば、步卒に命じ夜番をつけ置しが、其夜も大勢來り竹木を奪はんとす、步卒制すれども聽ざるゆへ、憤り刀を拔て一人を斬傷を負せたり、此者縣令へ訴へ喧嘩にて斬れしと云、縣令人を以切りし步卒をさし出すべき由嚴しく康景に言、康景は喧嘩にあらず竹木の盜賊と思ひ公領の民とは知ず傷つけしなり、且我命じて竹木を守らしめ其盜賊を斬たるに、何ぞ此者を差出すべきと云り、此事爭論となり、公裁を受、本多正純密に來り喩して其人を强てさし出さしむ、康景は步卒なりとも我臣なり、臣として君に忠ある者さし出すは不義なり、我寧祿を棄て步を助けんとて出奔し、其終る所をしらず、孟子行一不義、殺一不辜、而得天下、不爲也、とあれども、漢士に其實事の確證を見ず、康景の如き、一步卒の爲に萬鍾の祿を棄る屣を脫する如く、飄然逸去せしは、孟子の言に近く、古今に希なる高風淸節の名賢なり、
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『艮斎閑話抄録』・浩然の気を養い義を行う人々鳶の者ども鳶口を揮ふて四車を擊しかば、刎かへりて透らずと、老人の話にて聞り、其氣の壯強なる知べし、況や聖賢道義を以て涵養し盛大流行の氣に至りては、東坡の所謂卒然遇之、賁育失其勇、良平失其智、蘇張失其辨、とは能形容せし妙文と謂べし、士君子常に此氣を養ひ充實すれば、強健の人の寒暑を畏れず風雨を厭はず、險難の地を嫌はざる如く、義理を行ふに當りて猶豫せず、決然と行ふを得るなり、此氣の不足なる人は、虛弱の人寒暑風雨を畏れて縮退する如く、義理を行ふに力薄し、孔子所謂見義不爲無勇也と、此樣なる人を指、浩然の氣は大勇のとにて、踏張づよき勢ありて、道義を行ふに苦勞無を云なり、漢士には高風淸節の士、越の范蠡、漢の張良、唐の李泌の類、功成名遂て世を避し人多し、吾邦にても中納言藤房後醍醐帝に忠節を盡し、廟謨を翼賛し、北條氏を亡ぼし、天下の大功を立玉ひしが、後に 帝其諫言を用ひ玉はざるに因て、飄然として都を去、雲踪杳然、其終る所を知ざるは希世の名賢なり、先年伊豆の熱海の溫泉に浴せし時、村中を逍遙せしに溫泉寺と云寺あり、此寺授翁和尙の開基なり、授翁は即藤房卿にて、庭中の松其手植なりと住持の僧語られき、寺に澤元愷の記文あり、記中にも此事を載たり、公卿の位を棄て僻落山水の間に隱れ玉ひしは、范蠡にも譲らざる尊き人なり、竹中半兵衞重治は美濃の人にて、豐臣氏に從がひ帷幕の謀主として、凡秀吉の戰功雄略は重治の翼贊せし所なり、
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『艮斎閑話抄録』・敵を卑怯に討たず赦す名将の度量古の名將は志氣曠豁なる所人の意表に出る事あり、立花道雪の家臣白す、今日博多に歌舞伎見物のありしが、秋月僧體にて忍びて見に出られたり、臣に命ぜられば打取べしと、道雪聞て己は憎き奴なり、秋月ほどの者が己を賴みだまし打になるべきや、秋月などは息災にてあらしめ重て一戰の塲にて勝負を決せんこそ本意なるべけれ、それをきたなき心底の奴かなと叱られて、秋月の城下に人をつかはし、秋月殿粗相の體にて見物の座へ出るを、立花の家臣ねらふものあり、能用心あれと觸させたり、稻葉一鐵普請をいたさるゝに人夫の內にすます者あり、殺さんとす、彼者心底を述たしと望む、其言を聞ば、一鐵に親を討れたれば其恨みに報はんとて、人夫にまぎれてねらふなり、一鐵是を聞て死を赦し、隨分我等をねらひうてと云、其後一鐵病死す、彼者一鐵の墓を三刀斬て其側に自殺す、是は趙襄子の豫讓を赦せると同じく、英雄の事なり、
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『艮斎閑話抄録』・覚悟ある人は事変に動じない覺悟ある人は事變に臨て驚かず、覺悟なき人は狼狽して度を失ふなり、一點の火にても思ひ寄ざる寸手に當れば驚きて色を變ず、大の灸にても覺悟して炷すれば驚くとなし、古人の書を讀み人物の邪正得失を辨じ、治亂興廢の迹を觀るは、皆我覺悟する工夫なり、道に古今無く理に內外無し、事迹は同からざれども、道理は一に歸するなり、今川義元戰塲にて何某を召し斥候に遣す、先陣戰始りし所なれば逃れ難く、鎗を交へ首一級を得て返る、義元大に怒り、敵勢を覘ひ速に歸るべしと命ぜしに、己の功を貪り忠義の心無し、軍法に行ふべしとあり、彼士しほれたる體にて側の人に低聲にて、家隆の歌に、刈萱に身にしむ色は無れども見て捨難き露の下折れ、かく唱へしかば、義元益怒り何にを云ふとありしに、侍臣其事を告しかば、暫く沈吟して忽怒色霽れ、屆ざるとなれども、急猝の間に家隆の歌を思ひ出せしと、名譽なりとて罪を赦たり、此人は急猝の間に古歌を引、志を述しは覺悟ある人なり、立花龍虎齋常に息女に敎へ玉ひしは、女なりとも士の妻たる者、事ある座に居合せたる時、取亂したる體は見苦さなり、左樣の時はかゝる座に居合せたる事誠に冥加の事かなと先づ思ふべし、さて其後に事いかよふとも相應に取計べし、若しいか成ると動轉するゆへ、取亂したる體も有るなりと敎へられしは、意味深き名言なり、

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