艮斎閑話抄録 / 泰平の世に私欲という敵を破る
凡そ士たる者は、戰塲に臨み忠義の爲に死するを本意とす、安逸に耽り酒色貨財に心を溺すは小人の事なり、泰平の時に在ても戰塲の心持にて物事に油斷すべからず、孔子の語に、志士不忘在溝壑、勇子不忘喪其元とあり、後漢の馬援は我身を馬革に裏み郊野に棄られんと云ふ、梁の王彥章は豹死留皮、人死留名、と云ふ、豪傑の士の志を立る思ふべし、泰平の時は酒色貨財を嗜む、種々の私欲は我敵と思ひ、志氣を勇猛にして打破り、身心を堅固に守るべし、私欲は吾身を害する大賊なり、是を破は其功甲首を取るより大なるべし、朱子の克己の工夫を論じて云ふ、項羽の章邯と鉅鹿に戰ひし時、舟を沈め釜を破り、三日の糧を持ち、必死となりて戰ふ如くすべしと、王陽明の語に、破山中賊易、破心中賊難と、誠に心中私欲の敵を破は、泰平の戰塲にて天地君父への大忠孝なるべし、
新字:凡そ士たる者は、戦塲に臨み忠義の為に死するを本意とす、安逸に耽り酒色貨財に心を溺すは小人の事なり、泰平の時に在ても戦塲の心持にて物事に油断すべからず、孔子の語に、志士不忘在溝壑、勇子不忘喪其元とあり、後漢の馬援は我身を馬革に裏み郊野に棄られんと云ふ、梁の王彦章は豹死留皮、人死留名、と云ふ、豪傑の士の志を立る思ふべし、泰平の時は酒色貨財を嗜む、種々の私欲は我敵と思ひ、志気を勇猛にして打破り、身心を堅固に守るべし、私欲は吾身を害する大賊なり、是を破は其功甲首を取るより大なるべし、朱子の克己の工夫を論じて云ふ、項羽の章邯と鉅鹿に戦ひし時、舟を沈め釜を破り、三日の糧を持ち、必死となりて戦ふ如くすべしと、王陽明の語に、破山中賊易、破心中賊難と、誠に心中私欲の敵を破は、泰平の戦塲にて天地君父への大忠孝なるべし、
書き下し
凡そ士たる者は、戰塲に臨み忠義の爲に死するを本意とす、安逸に耽り酒色貨財に心を溺すは小人の事なり、泰平の時に在ても戰塲の心持にて物事に油斷すべからず、孔子の語に、志士不忘在溝壑、勇子不忘喪其元とあり、後漢の馬援は我身を馬革に裏み郊野に棄られんと云ふ、梁の王彥章は豹死留皮、人死留名、と云ふ、豪傑の士の志を立る思ふべし、泰平の時は酒色貨財を嗜む、種々の私欲は我敵と思ひ、志氣を勇猛にして打破り、身心を堅固に守るべし、私欲は吾身を害する大賊なり、是を破は其功甲首を取るより大なるべし、朱子の克己の工夫を論じて云ふ、項羽の章邯と鉅鹿に戰ひし時、舟を沈め釜を破り、三日の糧を持ち、必死となりて戰ふ如くすべしと、王陽明の語に、破山中賊易、破心中賊難と、誠に心中私欲の敵を破は、泰平の戰塲にて天地君父への大忠孝なるべし、
現代語訳
おおよそ武士たる者は、戦場に臨んで忠義のために死ぬことを本意とします。安楽に耽り、酒色や金銭財貨に心を溺れさせるのは小人のすることです。太平の時代にあっても戦場にいる心持ちで、物事に油断してはいけません。孔子の言葉に「志士は溝壑(どぶや谷)に捨てられることを忘れず、勇士はおのれの首を失うことを忘れない」とあります。後漢の馬援は「わが身を馬の革に包んで野に棄てられたい」と言い、梁の王彦章は「豹は死んで皮を留め、人は死んで名を留める」と言いました。豪傑の士が志を立てるさまを思うべきです。太平の時には酒色財貨を好むなど種々の私欲を自分の敵と思い、志気を勇ましくして打ち破り、心身を堅く守るべきです。私欲は我が身を害する大賊であり、これを破る功は敵の首を取るよりも大きいでしょう。朱子は克己の工夫を論じて、項羽が章邯と鉅鹿で戦ったとき、舟を沈め釜を破り、三日分の食糧だけを持って必死に戦ったようにせよと言いました。王陽明の言葉にも「山中の賊を破るのはやさしく、心中の賊を破るのは難しい」とあります。まことに心の中の私欲という敵を破ることは、太平の世の戦場にあって、天地・君・父に対する大きな忠孝であるはずです。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之一欲に克つには剛を以てす。須らく猛将の敵を鏖にするが如くなるべし。朱子曰く、己に克つには別に巧法無し。譬へば孤軍猝かに強敵に逢ふが如し。只力を尽くし己を舎てて前に向かふことを得るのみ。尚ほ何をか問はんと。此の譬へ最も切なり。是れ己に克つの良法と為すべし。学者の宜しく循守すべき所なり。人能く此に従事すれば、則ち何ぞ己私の克ち難きこと之れ有らん。凡そ講学の力を得る者は、己の私欲に克つと、過ちを知りて能く改むるとに在り。然らざれば、則ち講学に従事すと雖も、何を以て為さん。
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『艮斎閑話抄録』・首になる時まで備える武士の心がけ古名君の訓に、武道を嗜む士は戰場に赴く時、必死を遂ぐべき心なくては叶はず、白齒なるもの齒の黃にならぬ樣に心懸べし、髮も香を留るがよし、上田宗古も云、武士討死し首になりたる時の事は心懸べきなり、月代の後下りなるは首になる時詫言顏になり見苦しければ、後高に剃たるがよし、剃刀を陣中に持參し物前に月代を剃りて首を奇麗にすべしと、誠に古の勇士の心懸は格別なるものにて、孟子の勇士は不忘喪其元と云所を能自得せしものなり、又鎧より冑をよく鍛ひ華麗にし、首になりたる時、討し人も其冑とりそへて大將の前に出せし時、冑のよろしきは功にもなり、其人の賤しからざるも知るなり、木村長門守戰死して首實檢になりし時、奇香馥郁として座を薰ぜしは、髮の內伽楠の香を留たるなり、誠に壯士の死は心懸よろしく衆人感賞せりとなん、
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『兵要録抄録』・義に安んじて勇を養う凡そ身を守るの道は、唯〻是れ心の安きを求むるのみ。不義の祿、無功の賞は、之を受けて快からず。不虞の譽れ、不當の任は、之に處りて安からず。義を見て爲さざれば、則ち無勇の非を羞づ。節に死すること敢へてせざれば、則ち罷軟の辱めを憂ふ。事を作して忠ならざれば、則ち素餐の譏りを得。惡を隱して已に犯せば、則ち敗露の恐れ有り。故に其の心降らず、常に不平を懷く。且つ一朝の忿りに其の義を忘れ、一時の利に其の恩を廢して、忠臣義士の指議する所と爲らば、顏厚の士と雖も、豈に其の辱めに堪へんや。況んや天誅の格るは度るべからざるをや。何ぞ心安きを得んや。夫れ士爲る者、常に理義の爲に生を捨て利を忘るれば、則ち獨り心に羞づる所莫し、亦た快からずや。利害を計較するは人の常情なり。利を趨り害を避くるを知りて、義の當に爲すべきと當に爲すべからざるとを看ざれば、則ち騷騷然として自家の利便の處に流荒し、自私して到らざる所無し。未だ此の如くにして恩を廢して君を後にし、義に背きて寇を引かざる者有らざるなり。唯〻義に安んずる處を知りて便ち利と爲し、不義を是れ害と爲す者は、庶くは危難に變ぜず、利誘に陷らざらん。言行已に失すれば逐ふべからず。當に先づ其の機を心に愼むべし。事前に決せざれば、機に當たらず。當に先づ其の急を常に戒むべし。夫れ勇を養ふや、義と直とに配すれば、則ち中正を獲。徒らに助長すれば、則ち其の積氣太だ浮にして畏心漸く掩はれ、變じて麤暴と作る。人麤暴なれば、則ち最も事を害す。良將の取らざる所なり。人能く這箇の勇義を養成すれば、則ち未だ戰に應ぜずと雖も、其の心勇決にして疑懼する所無し。或いは未だ疑懼を免れざる者は、養ふこと充たざるなり。恐らくは事に臨みて果敢を得ず。
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