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五常訓 / 巻之五・信

一むかし魏の文侯と云ひし君、明日獵に出でんと下知せらる。然るに明日雨ふる。されども前言をたがへじとて、路まで出で、やがて歸られける。是信を民に失はじとなり。周の幽王は、無道の君なり。褒姒と云ふ美女を愛す。此女笑ふ事を好まず。或時隣國に變ありとて、烽火をあぐ。烽火は、相圖の火をあげて、兵を招きよせんがため也。褒姒、烽火を見て大にわらふ。是より褒姒を笑はせんとて、烽火をあぐ。兵ども、變ありと思ひて集れども、其事なし。それより後は、しばしば烽火すれども、相圖の火にあらざる事を知りて、兵あつまらず。或時他方より敵せめ來りしに、兵をまねかんため、烽火をしきりに擧ぐれども、兵ども、褒姒が爲の烽火なりと思ひて集らず。幽王つひに敵のために殺されぬ。是民に信を失へるなり。

新字:一むかし魏の文侯と云ひし君、明日猟に出でんと下知せらる。然るに明日雨ふる。されども前言をたがへじとて、路まで出で、やがて帰られける。是信を民に失はじとなり。周の幽王は、無道の君なり。褒姒と云ふ美女を愛す。此女笑ふ事を好まず。或時隣国に変ありとて、烽火をあぐ。烽火は、相図の火をあげて、兵を招きよせんがため也。褒姒、烽火を見て大にわらふ。是より褒姒を笑はせんとて、烽火をあぐ。兵ども、変ありと思ひて集れども、其事なし。それより後は、しばしば烽火すれども、相図の火にあらざる事を知りて、兵あつまらず。或時他方より敵せめ来りしに、兵をまねかんため、烽火をしきりに挙ぐれども、兵ども、褒姒が為の烽火なりと思ひて集らず。幽王つひに敵のために殺されぬ。是民に信を失へるなり。

書き下し

一むかし魏の文侯と云ひし君、明日猟に出でんと下知せらる。然るに明日雨ふる。されども前言をたがへじとて、路まで出で、やがて帰られける。是信を民に失はじとなり。周の幽王は、無道の君なり。褒姒と云ふ美女を愛す。此女笑ふ事を好まず。或時隣国に変ありとて、烽火をあぐ。烽火は、相図の火をあげて、兵を招きよせんがため也。褒姒、烽火を見て大にわらふ。是より褒姒を笑はせんとて、烽火をあぐ。兵ども、変ありと思ひて集れども、其事なし。それより後は、しばしば烽火すれども、相図の火にあらざる事を知りて、兵あつまらず。或時他方より敵せめ来りしに、兵をまねかんため、烽火をしきりに挙ぐれども、兵ども、褒姒が為の烽火なりと思ひて集らず。幽王つひに敵のために殺されぬ。是民に信を失へるなり。

現代語訳

昔、魏の文侯という君主が、明日狩りに出ると命令を出されました。ところが翌日は雨が降りました。それでも前の言葉をたがえまいとして、道まで出て、すぐに帰られました。これは民に対して信を失うまいとしたのです。周の幽王は無道の君主です。褒姒という美女を愛しました。この女は笑うことを好みませんでした。あるとき隣国に異変があるとして、烽火を上げました。烽火とは合図の火を上げて兵を招き寄せるためのものです。褒姒は烽火を見て大いに笑いました。それから褒姒を笑わせようとして烽火を上げました。兵たちは異変があると思って集まりますが、何事もありません。それから後は、たびたび烽火を上げても、合図の火ではないことを知って、兵は集まりませんでした。あるとき他方から敵が攻めてきたので、兵を招こうとして烽火をしきりに上げましたが、兵たちは褒姒のための烽火だと思って集まりませんでした。幽王はついに敵に殺されました。これは民に対して信を失ったのです。

解説

信を守った君主と失った君主を対比しています。魏の文侯が雨の日にも約束どおり狩りに出かけたという話は『戦国策』魏策などに見えます。周の幽王が寵愛する褒姒を笑わせるために偽りの烽火を上げ続け、本当に敵が来たときには誰も集まらず殺されたという話は、『史記』周本紀に記される西周滅亡の物語です。いわゆる狼少年の寓話と同じ構図で、小さな嘘を繰り返すと肝心なときに信じてもらえなくなります。組織の警報や連絡の重みにも通じる教訓です。

この章句が説くこと

信史記君主約束戦国策

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