五常訓 / 巻之五・信
一子路無宿諾とは、一たび行はんと心にうけごひたる事を、延引せず、すみやかに行はれしとなり。是信ある所なり。一信は心に誠あるなり。心に誠あれば、言行の上にあらはる。言は行をかへりみていひ、行は言をかへりみて行ふ。是言行共に信あるなり。もし身に行はざる事を口にいひ、口に言ふ事を身に行はざるは、是言行共に信なきなり。言ふ事は易く、行ふ事はかたし。故に言をばひかへ、行をば過すべし。是信を行ふ道なり。
書き下し
一子路無宿諾とは、一たび行はんと心にうけごひたる事を、延引せず、すみやかに行はれしとなり。是信ある所なり。一信は心に誠あるなり。心に誠あれば、言行の上にあらはる。言は行をかへりみていひ、行は言をかへりみて行ふ。是言行共に信あるなり。もし身に行はざる事を口にいひ、口に言ふ事を身に行はざるは、是言行共に信なきなり。言ふ事は易く、行ふ事はかたし。故に言をばひかへ、行をば過すべし。是信を行ふ道なり。
現代語訳
子路に宿諾なしというのは、一度行おうと心に承知したことを先延ばしにせず、すぐに行われたということです。これが信のあるところです。信は心に誠があることです。心に誠があれば、言葉と行いの上に表れます。言葉は行いを顧みて言い、行いは言葉を顧みて行います。これが言行ともに信があることです。もし自分の身で行わないことを口で言い、口で言うことを身で行わないのは、言行ともに信がないのです。言うことはやさしく、行うことは難しいものです。ですから言葉は控え、行いは過ぎるくらいにすべきです。これが信を行う道です。
解説
論語顔淵篇の「子路は宿諾無し」、つまり引き受けたことを翌日に持ち越さなかったという子路の美点から始まり、言葉と行いの一致を説きます。中庸第十三章の「言は行を顧み、行は言を顧みる」を踏まえ、言うのはやさしく行うのは難しいので、言葉は控えめに、行いは多めにせよと勧めます。約束したことをすぐ実行する、できることだけを言う、というのは、信頼される人の基本動作です。口より先に手を動かすという教えは、仕事の場でそのまま通用します。
この章句が説くこと
信言行子路論語実行
関連する章句
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一中庸曰く、言は行を顧み、行は言を顧みる。言ふ意は、言と行とは相違なかるべし。言を出すに、わが身の行をかへりみて言ふべし。事を行ふには、己が言をかへりみて行ふべし。言ふ事はやすく、行ふ事はかたし。故に言はひかへていひ、行は言より過すべし。如此すれば、言と行と相違なし。口にいふ事あまり有りて、身に行ふ事足らざるは、是言行のそむけるなり。恥づべし。
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『墨子』貴義子墨子曰く、言、以て行いを遷すに足る者は、之を常とす。以て行いを遷すに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを遷して之を常とするは、是れ口を蕩かすなり。
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『墨子』耕柱子墨子曰く、「言、以て行いを復するに足る者は、之を常とす。以て行いを舉ぐるに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを舉ぐるに足らずして之を常とするは、是れ口を蕩かすなり」と。
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論語・公冶長篇子路聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯だ聞くこと有らんことを恐る。
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