五常訓 / 巻之五・智
一生れつきて知るは良知なり。二三歲の小兒も、親を愛する事を知らざるはなく、年すこし長じては、兄を敬ふことを知らざるはなし。是まなばずして、人々生れつきて、よく知る故、良知と云ふ。是仁義禮智の智と同じ。天性なり。學んで知るも、亦是良知あるが故なり。むまれつきたる知無くんば、何ぞ學んでも知ることを得んや。學問の道は、智をひらく工夫なり。學問の要二あり。いまだ知らざる所を知る、一なり。すでに知る所をかたく守りて行ふ、一なり。知るにあらざれば行ひがたく、行ふにあらざれは、實なくして、知らざるに同じく、無用の事となる。
新字:一生れつきて知るは良知なり。二三歳の小児も、親を愛する事を知らざるはなく、年すこし長じては、兄を敬ふことを知らざるはなし。是まなばずして、人々生れつきて、よく知る故、良知と云ふ。是仁義礼智の智と同じ。天性なり。学んで知るも、亦是良知あるが故なり。むまれつきたる知無くんば、何ぞ学んでも知ることを得んや。学問の道は、智をひらく工夫なり。学問の要二あり。いまだ知らざる所を知る、一なり。すでに知る所をかたく守りて行ふ、一なり。知るにあらざれば行ひがたく、行ふにあらざれは、実なくして、知らざるに同じく、無用の事となる。
書き下し
一生れつきて知るは良知なり。二三歳の小児も、親を愛する事を知らざるはなく、年すこし長じては、兄を敬ふことを知らざるはなし。是まなばずして、人々生れつきて、よく知る故、良知と云ふ。是仁義礼智の智と同じ。天性なり。学んで知るも、亦是良知あるが故なり。むまれつきたる知無くんば、何ぞ学んでも知ることを得んや。学問の道は、智をひらく工夫なり。学問の要二あり。いまだ知らざる所を知る、一なり。すでに知る所をかたく守りて行ふ、一なり。知るにあらざれば行ひがたく、行ふにあらざれは、実なくして、知らざるに同じく、無用の事となる。
現代語訳
生まれつき知っているのは良知です。二、三歳の幼児でも親を愛することを知らない者はなく、年が少し長じれば兄を敬うことを知らない者はいません。これは学ばなくても、人々が生まれつきよく知っているので良知といいます。これは仁義礼智の智と同じで、天性です。学んで知るのも、良知があるからです。生まれつきの知がなければ、どうして学んでも知ることができるでしょうか。学問の道は智を開く工夫です。学問の要は二つあります。まだ知らないところを知ることが一つです。すでに知っているところを固く守って行うことが一つです。知らなければ行いにくく、行わなければ実がなくて、知らないのと同じで無用のことになります。
解説
この章句が説くこと
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