五常訓 / 巻之五・智
此理甚明かにして、さとりやすし。然れども、愚者は此理を知らずして、神にちかづき、けがし諂ひて、さいはひを祈るは、迷の甚しきなり。人道の行ふべき事をつとめ、神をうやまひて、近づき諂はざるは、是知者のまどはざるなり。故に知といふべしとのたまへり。神にいのるは、誠に正理なり。君父などのために、いのるべき理ありて、誠と敬をつくして、天にいのり、正神にいのるは、其さいはひあり。又わが過をあらため、罪を悔いて、神のとがめを詫事するも、是亦いのる理あり。かやうの、いのるべき理なくして、如何にいのるとも、さいはひを得がたし。其ためし、古今甚多し。其理を知るべし。
書き下し
此理甚明かにして、さとりやすし。然れども、愚者は此理を知らずして、神にちかづき、けがし諂ひて、さいはひを祈るは、迷の甚しきなり。人道の行ふべき事をつとめ、神をうやまひて、近づき諂はざるは、是知者のまどはざるなり。故に知といふべしとのたまへり。神にいのるは、誠に正理なり。君父などのために、いのるべき理ありて、誠と敬をつくして、天にいのり、正神にいのるは、其さいはひあり。又わが過をあらため、罪を悔いて、神のとがめを詫事するも、是亦いのる理あり。かやうの、いのるべき理なくして、如何にいのるとも、さいはひを得がたし。其ためし、古今甚多し。其理を知るべし。
現代語訳
この理はたいへん明らかで、悟りやすいものです。それなのに愚かな者はこの理を知らず、神に近づき、汚しへつらって幸いを祈るのは、迷いのはなはだしいものです。人の道として行うべきことを努め、神を敬って近づきへつらわないのが、知者の迷わないところです。だから知ということができると言われたのです。神に祈ることは、誠に正しい理です。君や父のために祈るべき理があって、誠と敬を尽くして天に祈り、正しい神に祈るのは、その幸いがあります。また自分の過ちを改め、罪を悔いて、神の咎めをわびるのも、これまた祈る理があります。このような祈るべき理がなくて、どのように祈っても幸いは得がたいものです。その例は昔も今もたいへん多くあります。その理を知るべきです。
解説
この章句が説くこと
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